2008年11月19日

戦国時代にまで戻らなくてもいいから…晴れ

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

まことの国際社会人になるために・・


菅靖匡の公式ブログにお出で下さり、ほんの少しでも目をとおしていただきおります皆さん黒ハートお早うございます晴れ心から感謝しつつ、いっそうの御多幸を祈念しおります揺れるハート
今日の西条市…小雨の降りしきる、より寒さを感じおります早朝となりました。
まず、手洗いを済ませましては、歯磨き、洗顔…眼鏡そうして身繕いを済ませたなら…まず自家に奉らせていただきおります神仏様々ならびに御先祖様方に新鮮な真水や…あるいは御飯とお茶をお供えしては黒ハート神さん方には灯明と祝詞(のりと)を…仏さん方には、やはり灯明と線香もて御経を唱えましてね…いずれも今日という有り難い一日を生かしてもらえることの感謝を伝えます晴れ
たとえば旅していたり…たとえば二日酔いってやつで失恋こうして拝めない日もありますが…やはり、いつも心には忘れるものではないのです黒ハートとかく日本人は…ことに戦後日本に住み暮らす多くの方々は…宗教とか信仰、あるいは神様とか仏様などと聞いただけで、もう敬遠というより断固拒否っていう感じではないでしょうか…眼鏡

じつは菅靖匡も、まさにそうした一人でありました。が、しかし…それは人間として不自然であり、かつ尊敬とか信頼には価(あたい)しない…そう教えてくれたのは黒ハート全国国公立学校にて英語を教授する外国人の友人達だったのです眼鏡

菅靖匡ってやつは、とにかく英語で歌いたい!!という願望のもと…道で外国人を見かけると眼鏡まず声をかけて、オーイェス、ワオッ、ハハァン、サンキュー、などと会話を試み…お茶に誘ってみたり、飲み屋に誘ってみたり、だんだん和めば、寿司食いねえ〜黒ハートてな感じで…そうするうちには、やはり人と人との縁の有り難さと申しますか晴れしっかりと通訳のできる日本人とも友達になり、その人が高校教師だったので…一気に外国人達との交流が広がりましてね…毎週一度は四国のあちこちから外国人の方々が、新居浜や西条に集まってはパーティーするようになったのです黒ハート

続く…揺れるハート

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 08:06 | Comment(0) | 歴史小説家菅靖匡の信心

2008年11月18日

橋下府知事!塩谷文科相!教育改革にむけて頑張って下さい!

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

国際社会で通用する人になるために・・

 明治時代の偉いさんが、きっぱりと云い切ってます。
「教育は、国家百年の計である」

 僕は、以前にも当ブログに書かせていただきましたが・・・
「そもそもホモサピエンス=ヒト=人という生物は、産まれ育つ環境によって、ざっくり云いますと、まさに動物に近い者にも、あるいは人間という者にも成長しうる」
 と信じている者です。ここに云う人間とは、自他ともを大切に尊重し合い、共栄共存を望み、かつ、どういう形や手段であれ社会にも貢献できるような人格を目指す、そんな人を指しています。

 じつは、こうしたことを学ぶための、もっとも有り難い教科書あるいは参考書とでも想えるのが、歴史というものだ、と僕は考えている次第なんです。歴史とは、ややこしい年表とか人名とか出来事を覚えるものではなく、まさに地球上に生きとし生けるすべての黒ハート生命黒ハートの尊い貴重さを事実でもって教えてくれる!そんな有り難いものである・・、と僕は信じているわけなんです。

 さて、ともかく人間にとっては、人類有史以来などとも申しますように、この地球上にて、ある日、どうにかして誕生した生命が、ただの一度も途切れることなく紡ぎ続かれた奇跡によって、今日の僕らが生きて存在できておりますことに間違いないのでして・・、だからこそ、有ることが難しい、にもかかわらず、こうして生かされていることに感謝しつつ、有り難うございます!と云うんです。

 ともあれ、今日の僕としましては、たまたまインターネット上のニュースにて、橋下府知事が教育について述べられた模様を知り得る記事と、塩谷文科相が、国歌斉唱と国旗掲揚の折りには起立するのが国際的にも常識である・・、とおっしゃった、という記事を読んだものですから、ついつい熱くなりまして、こうして書かせていただいていることなんです。

 橋下府知事のおっしゃったという・・
「社会を意識するためには、国歌や国旗を意識せねばならない」
 まったく僕も同意見でありまして、まず自分の生まれ育つ国、すなわち自分の立つ足元を、しっかりと尊敬しつつ見つめ知ることなくして、どうして複雑きわまりない社会生活を営めましょうぞ!
たとえばオリンピックや何らかの国際大会にて、それぞれの国々の人々が、まこと謹慎もて自国の国歌を歌いつつ国旗を見上げる姿の美しさは、どうでしょう。これができない国、その国民を、他国の人々は、どう観ることでしょう・・。

 また、躾(しつけ)というものをしなければ、人は人間として成長することが難しい・・、とも僕は考えています。
この、躾というのは、たとえば、人を殺傷してはいけない、とか、窃盗してはいけない、とか、嘘をついてはいけない、などなど・・、およそ人が人間社会のなかで互いを敬愛しながら共存共栄を望むために必要不可欠な決まり事でありまして、もちろん他人にできるだけ不快感を与えないための生活習慣なども含まれましょう。これを三才までに、まこと叩いてでも理屈抜きに教え込まないと、頭脳、情緒、心というものの発達、という観点からも重大にして取り返しのつかない欠陥もしくは障害を残すそうですよ・・。

 さらに、こうした躾というのは、それを行わねばならぬ年齢からも明らかなように、まったく両親の責任によるものでありまして、
これを学校に依存しつづけたあたりが、まさに昨今の日本の悲惨さの根源の一つに違いない、とも、僕は思っているものです。

 お陰様にて僕は、両親から厳しく躾けられて育った幸福な一人です。もちろん日常には、嘘もつきますし、今までに多くの人々の心を傷つけたり、女性を泣かせたり、むろん泣かされたりもしましたが・・、それをやっちゃあお仕舞いだよ、というようなあやまちだけは、何とか犯さずにおります。
また、小学生になってからは・・
「先生、この子が何ぞ悪いことしたら、叩いて教育して下さい」
 と両親ともが口をそろえて申し入れましたので、ことに三年生くらいからは、よく叱られ、よく叩かれたものです。
もちろん、それもまた、心から有り難く感謝しきりの昨今なんです。僕が児童とか生徒であった頃には、ちゃんと倫理とか道徳という大切なものを教えてくれる授業がありましたし、学業にしろ運動会にしろ、しっかりと順位、優劣が示されたものです。
それも、本当に有り難いものだった、と懐古しおります。

「しっかり勉強しなさいっ!そうせんと、お父ちゃんみたいになってしまうよっ!そんで、ええのっ?!」
 僕は、いわゆる学業には興味の無かった者ですが・・、こういうようなことを血相かえて云うのは、どうかと思います。
なってしまう・・、と云われたお父ちゃんの立場と心情もさることながら・・、そんなお父ちゃんと結婚したのはアナタやろ、とも思います。そうして、そんなアナタとお父ちゃんの間に出来た子ぉやろ・・、とも思うんです。ようするに・・
「自分らが学生時代のカタキを、子供にとらすなよ」
 ざっと、そんなことを想いつつ、あらためて本日記事の橋本府知事と塩谷文科相には、諸手を挙げて大賛成する僕なんです黒ハート

 歴史における年表などには、たしかに時代別区分というものが設けられておりますよね。しかし、現実としての人類史には、そんな時代別の区分などありません。
 この大宇宙誕生以来、ただの一瞬、刹那にも、時の流れは止んでいないはずですし、今日現在に生きる僕たちの生命というものは、たとえどんなにもつれたとしても揺れるハート決して途切れることなく繋がっているんですからね黒ハート


ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 16:16 | Comment(0) | 歴史小説 時代別って何?!

音楽のある生活、歌謡曲の流行る時代のしあわせ・・3

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

音楽ダウンロードなんて、夢のまた夢どころか・・、想像すらできなかった頃の話です・・。

「人が一所懸命にやっていることを嘲笑しちゃあいけないよ」
 そんなことを、お友だちに教えてあげようとして、ホウキの柄で思い切り頭を叩いてあげたピカピカの小学一年生は、さっそく校長先生のお招きにあずかり、なんと母親までもが校長室に接待されたのでありました・・失恋
「まあ、まあ、お母さん、男の子っちゅうのは、このくらいの元気がないと、いけませんけんねえ」
 本当に、こんなふうに大らかで頼もしい教育現場であった、そんな時代に育った僕は、ここは真面目な話・・、心の底から幸せだったなあ・・、と、つくづく感謝しきりの毎日なんです黒ハート

 ともあれ、さすがに小学生ともなると、もう僕の=将来はお医者さん=という大志を理解しつつも、快く患者さん役を引き受けてくれる女の子もいなくなりまして・・、とりあえずは実地研修を断念せざるをえなくなったわけです。しかし、人間の成長というものは、じつに絶妙というほかにないものでして・・、ちょうど、その頃には僕も、女の子と遊ぶよりは、男の子どうしではしゃぐほうが楽しくなったものです。
 また、両親はじめ先生方や周囲の大人の皆さん達が眉をひそめて
「こんなこと、してはいけません!」
 という、そんなことが・・、やってみると意外にも大変に面白く楽しいものであることに気づいたのも、やはり、この頃でした。

 学校の帰り道は、定められた通学路をはずれて、いわゆる寄り道したほうが、はるかに有意義で充実しておりますし、禁止されている買い食いをした折りには、安い駄菓子のなんと美味しかったことでしょう。
 近所のお百姓さん方が、雀など、農作物に害する野鳥を寄せつけまいとして、それこそ一所懸命にこしらえた案山子などには、僕らがどんなに叩いても蹴っても文句も泣き言も云わない辛抱強さを教えられましたし、そこに吊ってあった水中メガネを拝借して、聞き覚えたクレージーキャッツの名曲をるんるんスゥイ、スゥイ、スイダラダッタ、スラスラスイスイスゥイるんるんと大声で唄いながら道を泳いで帰る途中には、すれ違う人々が、みな微笑んでくださいました・・、が、家に帰ると、僕を一目みた母は泣き出しました。

『のぶちゃんは、元気がよく、リーダーシップにもあふれていて偉いね。もう少し真面目な集中力があったら、もっといいな』
当時の連絡帳や通信簿には、つい暗記できるくらいに書かれつづけたものです失恋

 そんなふうに過ごした低学年時代も、馬上少年過ぐ・・、とでも申しましょうか。中学年になると、また一段と厳しい男先生が担任となりまして・・、かといって、道草(みちくさ)や買い食いや、あるいはスカートめくりなどが、先生のビンタと引き替えに諦められるようなものではなく、しかも心身ともの発育は、ますます盛んなのであります。図画担当の女先生の指導のもとに行われる写生の時間には、しゃがんだ女先生の正面にまわり込んで、地面にホッペをすりつけなければ見えない光景こそが、僕ら至福の時でした。
「各自いっそう奮励努力せよっ!」
 こんな僕の号令に、仲良しグループのみんなも張り切ったものです。まるで無防備な女先生の白い太ももは、こうして書きながら思い出しても、まるで昨日のことのように鮮明な像を脳裏に浮かび上がらせますが、そのあと、したたかに頂戴したビンタの痛みなどは、ついに忘れてしまっています・・・、○○先生、有り難うございました!!黒ハート

 僕の通う小学校に、いわゆる剣道会なるものが発足したのは、ちょうどこの頃、僕が小学三年生の時です。師範の先生は小学校の近所に住む、剣道界では愛媛県下に屈指の偉いさんで・・、当時の僕にとっては幸か不幸か、本家の伯父さんや父も懇意の方でした。
「健全な肉体に健全な精神が宿る!その逆もまた然り!」
 これを聞いた伯父さんや父は、すぐさま僕を頼むことを思いついたらしく・・、しかし・・、なにしろ剣道には防具が必要だし、重いものだから、まずは小学四年生からでなければ難しい、とのこと。しかも、当時には広く流行っているものではないためか、市販されている防具は標準サイズしかなく、しかも高価だぞ・・。
「かまんっ。のぶは身体も小まいけんのう、既製品が大きすぎるんやったら特注してでも買うたるっ。頼むけんっ、入れてくれっ」
 幼少の頃には病弱であったため、ついつい甘やかしたことを反省したという親族の切なる願いにて、僕は剣道を始めることができたわけです。ここも真面目な話・・、今では、つくづく有り難い!と感謝しきりです。

 さあ、これで少しはおとなしくなるであろう・・、と周囲の大人の方々は安心なさったことでしょう。
(ようやく、私の手にもおえそうね・・。)
と、想ったかどうか・・、は知りませんが、音楽担当の女先生が、僕に急接近しては、さも勢いこんでくれたのも、じつは同じ頃です。
「のぶちゃんには間違いなく、音楽にもセンスがありますっ」
 夏休み前の懇談会などで、つよく母を説得したもので・・、こうして僕は小学校の合奏部に入れられました揺れるハート
なんと、まず命ぜられたのはハーモニカ・・、それも授業で使っている安物ではなく、吹口が二段に分かれている高級品でした。

(これで僕も、いよいよ文武両道をゆくかよ・・。)
などと、ゆめにも想うわけがない僕でありました・・。

続く・・黒ハート

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 13:22 | Comment(0) | 音楽の風景

日本古来の子育てに学ぼうぜ!!スーパーハイライトデラックス!!

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起

殊里(しゅり)

 覇津華雅(はつかが)の屋敷である広大な領地内には、天然の小川がゆったりと流れている。浅瀬の清流であり・・
「初夏には鮎などが泳ぎ、竹筒を仕掛ければ見事な鰻もとれるのぞ」
 早朝、宵襠(よいまち)を連れだって散策しつつ云う覇津華雅は戦場灼けした顔をほころばせ、まるで猿松小僧(さるまつこぞう)のようである。
あるいは、はたから見たなら、やや老いた男と若嫁の新婚情景であったろう。
「真夏の宵には河鹿蛙(かじか)が喧(かまびす)しく鳴いてなあ、せせらぎに相まっては涼しいものじゃ」
「楽しみにございます。その頃には、あの騒がしい音も消えておりましょうなあ」
 すでに、住家の建築が始まっているのである。
覇津華雅が懇意にしている建師が手子衆【てごしゅう=土工や石工、大工など】を威勢よく指図して地均しと柱を立てる穴掘、さらに建築資材である巨木の搬入を同時にさばいて進めているから、今未明よりは、まるで村祭りのような賑やかさであった。
「うむ。あの建師は手練じゃからな。ただ、暫くは始終なき祭りじゃわい」
「いっそ笛鼓を呼んで、在所の人々とともに、夜通し踊りでもいたしましょうか」
「ええのう。都祢那賀(つねなが)様の生誕祭礼とすれば、後々にも、よき祝い事ともなろう」
「思うたが吉日、いざ今宵に間に合いますように、さっそく手配いたしましょう」
「おうさ、ええわい。こりゃあ、こりゃあ、何とも楽しみな事じゃ」

 さても、覇津華雅屋敷には、近在の子供達が大勢で遊びにやってくる。それも、宵襠が入ってからは、人数がずいぶんと増えた、というのである。初めの頃は、宵襠を一目なりと見ようとて、大人達までがおしかけた、ともいう。
「この度は、覇津華雅様には、えらいおめでとうさんにござりまするそうな」
 などと、変な挨拶をしては、きょろきょろ、と屋敷内をのぞき込むのである。平素、庶民には気さくな覇津華雅は、妙な照れ笑いを浮かべつつ応対したらしい。
「しようもあるまい。祝いの酒など振る舞ってやろうか」
 と、宵襠をうながした。
待ってました、とは云わないが、おおかたの大人達の目当ては、これなのである。
「こりゃこりゃ、ありゃりゃあ、こりゃほんまにもう、えらい、すんまへんなあ」
「こないな別嬪はんに注いでもらうやなんて、もう死んでもかめしまへんわ」
「いや、ほんまのことでっせぇ。ああ、美味い。こりゃあ極上の酒やがな」
「ほんまにもう、たまるかいな。いつ黄泉国とやらのお迎えがきてもよろしおまっさあ」
 そんな軽口をたたきつつ、あつかましくも毎日通ってくる者までいたらしい。

 子供達とて宵襠の笑顔と、彼女が出してくれる果実や茶子【ちゃのこ=菓子】などが嬉しいのである。さすがに農民の子が多い。
商家の子や猟師や漁師の子に兵士の子、それらに混じって何と奴婢【ぬひ=いわゆる奴隷】の子供達まで集っていた、というあたり、おおらかなものであった。
覇津華雅も宵襠も、親の職がらで分け隔てなどはしない。

 ただ、そんな子供達の中に、目立って行儀のよい男子がいる。
身なりはよくない、が、生まれながらの上品が容姿に滲むような、子供ながらに涼しげな眼が、いかにも利発そうに光っていた。
「坊は、なんぼなん」
 覇津華雅の苫屋で暮らし始めて三日も過ぎた頃、宵襠は問うてみた。
「四つになりまする」
 と答える男子の、わずかに舌足らずで透明な声がいい。
「お名は」
「殊里」
 溌剌とした眼を輝かせつつ、きっぱりとした口調が何とも心地よいではないか。
「しゅり、とは、よい御名ですね。父様の生業(なりわい)は何やのん」
「えらい兵士」
 殊里は得意げに答えたが、これは、おそらく父母が子に云い聞かせているのであろう。
「父様の御名は」
「殊里礼と申しまする」
 もう殊里は小さな胸を張り、そのよくとおる声を張りあげた。
「ふぅん。さぞ立派な勇者様でしょうね」
 こくん、とうなずく殊里を見ながら宵襠は、いかにも勇壮な騎馬武者を想像していたらしい。いまだ幼い童にも、さも頼もしげな眼差しを向けて歌うような口ぶりであった。
「では坊も、いずれ、お馬に乗って働くのですね」
「はい」
 殊里は、にっこりと笑った。

 その夜、夕餉の食卓に向かいながら、炙った鯣(するめ)と味噌を肴に盃を重ねる覇津華雅に酌をしつつ、今日の昼間の話をして聞かせた宵襠である。
「ほう、ほう」
 覇津華雅は、酔いも手伝ってか、さも嬉しげに手をたたいた。
「父様がえらい兵士なら、なるほど、躾の良いのもうなづけるわいな」
「父様の御名を、確か・・・そう、殊里礼(しゅりらい)様とか云うておりましたよ」
「何と、殊里礼・・かよ」
 にわかに覇津華雅の笑顔が消えた、彼は盃を置いて、囲炉裏の炎に目をやった。
「覇津華雅様が御存じとは、やはり御高名の武弁【ぶべん=武勇に優れた者】様なのですね」
「鈷登芭(覇津華雅の幕僚将帥)に仕えておった遣番【伝令将校】に、同じ名があった」
「仕えておった・・・とや」
「まこと、その子の父が、その者【殊里礼】ならば・・すでに、この世には、おらぬわい」
 確か半年あまり前の戦で散った、と呟き、覇津華雅は再び盃を取って一気に干した。
「戦場で、幾度か伝令を受けた事がある。きぶい山坂も駆け通す、馬の達者じゃった」
「左様でしたか。存ぜぬとはいえ、むごい問いをしました。さぞ悲しかったろうに・・」
「気にするな。兵士の家に生まれたなら、それこそ覚悟の前じゃ」
「されど・・・母様だけでは暮らしむきとて、決して楽ではありますまいに」

 殊里の、行儀容姿の上品には釣り合わない身なりが、それを如実に物語っていよう。兵士とは、戦場に己の生命をさらすという過酷な職である。それだけに、平素の暮らしは裕福なものであった。
農民などは夜明けから日暮れまで泥と汗にまみれて働き、それでも、ほとんどの農民は白米など食えず、よくて麦の混ざった粟飯(あわいい)とか稗飯(ひえいい)、より貧しい者なら粟や稗に野草や芋蔓(いものつる)を入れ、しかもそれらを粥(かゆ)にしてふやかし、量をふくらませた。
 稲作の普及は安定した食料確保と安らかな定住を可能にしたが、民人の貧富をより際立たせ、支配者と被支配者の格差を著しく明確なものにしたのである。

 それでも農民達は文句を云わない。なにしろ今は、百年近く続く乱世であり、たとえ日々貧しくとも、自ら生命を賭す危険はないからである。国【いっそ、大地と云うたほうがいいか】と農民達の安心は、兵士達が死守している。その日々を死と隣住している分だけ、その家族達の生活は裕福である事を許されているのである。

 では、兵士の禄【給与】はいかほどなものか。
最も階級の低い歩兵でも一日三合、その家族には一人当たり二合の米が支給されている。さらに三十日ごとに一両の砂金が与えられた、という。【当時の一両は、現在の約14gに相当する。】

 一両の砂金を市に持ってゆけば、一月分の惣菜【そうざい=鰹(かつお)や鮑(あわび)の干物とか鮎(あゆ)や鮭(しゃけ)などの塩漬等、種類は豊富であった】を買ってなお、紅(べに)やら耳飾などの装飾品まで買えた、というから大したものである。
 ちなみに従軍時の兵士には、一人当たり一日五合の白米が賄われ、手柄によって莫大な恩賞が与えられる。甲冑など、武具は支給品なのである。最下級の兵士がこれであるから、覇津華雅のような最上級者の富裕、推して知るべしであろう。
まして卑弥呼(ひみこ)や嘉汰耶(かたや)などの富貴、これはとても計り知れない。

 が、それも生きて働ければの事であり、死んでしまえば、残された家族が一月ほど食えるばかりの米が見舞いとしてあてがわれるだけである。砂金などの蓄財があったり、子供がただちに従軍できるほどの歳ならばいいが、そうでなければ一家離散か、いっそ芸妓(げいぎ)にでも堕ちねば生きてはゆけまい。

 このような時代に、さて、殊里の家は、どうか・・。
父親が下級なりとも将校であったから高禄であり、多少なりと蓄えができたものであろうか。それでも楽ではない事は、殊里の身なりからも察せられるし、今さらに宵襠が思い出せば、殊里は、出された果実などを、その場で食べた事がなかった・・。
「有り難く、いただきまする」
 と、お辞儀して受け取り、他の子達が食べている場を離れて麻布(あさぬの)で包み、帰りまで木の枝などに吊るしておくのである。おそらくは、家で待つ母親などに食べさせるのであろう。

 もし、そうならば何とかなりますまいか・・と、宵襠は覇津華雅に頼んでみた。殊里は五歳、従軍するには最短でも、今より三年を待たねばならない。
 いや、わずか八歳ばかりの児童に、どうして戦なんぞのできるものかよ・・・と、読者諸氏には、お想いやも知れぬ・・。
 が、しかし、昔の人は偉かった、のである。本当のこと、である。たとえば昭和三十年代前半の頃までは、八歳というたなら立派な、いっぱしの働き手だったのである。男子ならば田畑仕事の手伝いをしたし、女子ならば乳児などを背負いて子守りすることを当たり前にした。それで手間賃をもらい、それが小遣いなどでなしに、一家の収入の一部を占めていたのである。もう十五歳で村の青年団なら一人前として祝ってくれたし、ひとりの男としてあつかってくれたのである。けっして平和ではない日常に生きて、かつ平均寿命の短い昔ほどに成長は早かった、と察していい。
 
 失礼を承知で、かつ誤解をもおそれず云うならば、現代でも豊かではない、あるいは治安や政情の悪い国ほど、そこに産まれ育つ子供らは早熟であるように見うけられる。知識ばかりが先行して平和に呆けた現代日本ならでは、奇妙なほどに大人びた児童らもいるが、四十を過ぎても子供のような者も少なくはない。
 ようは双方ともに、いわゆる教養というものが、これは無いのである。が、そんな我国とても昔の人は偉かった、地に自らの脚を踏んばって立ち、しっかりとした知恵があったのである。

「あの子達が長じれば、きっと若様の手足ともなりましょうものを」
 この当時には、家業を世襲するのが定めであった。
農家の子は農民、商家ならば商人にしかなれない。
文字もなく学校などの教育機関もない時代、その知識や技術は口伝であった。幼い頃から親を手伝い模倣するのが、習熟に最も速達であり、また自然の流れでもあろう。兵家に生まれた男子なら、たとえ当人が嫌でも、ついに兵役にとられたものである。
「その殊里とか申す小僧、明日よりは、わしも目にかけておこう。ものになりそうならば今からでも、都祢那賀様の側近として雇ってやってもよい事じゃ」
「ぜひ、そうなされませ。あの子は必ずや、よき兵士となりまする」
「いやいや、側近というても実兵としての階級は別じゃわい。あくまで子供の間の話よ」
「何の。あの子は、あなた様同様に、きっと立派に将帥(しょうすい)職をつとめましょうぞ」
「巫女(みこ)としての卦(け)かよ」
「いえ。乳母としての・・、これは、虫の知らせ、というものにござりまする」
「乳母の虫が知らせたか、これはしたりじゃ。よくよく気合いを入れて見せてもらおう」

 都祢那賀を育てる高床の住屋は、約束を違わず昼夜を問わずして工事が進み、草木の生えるままにまかせていた周りも、屋敷の庭らしく整えられていった。完成した屋敷の門前に、産着に包まれただけの都祢那賀が捨てられたのは誕生より、ちょうど三十日を数えた夕暮れ時であった、という。
里親(さとおや)の家の前に捨てるのが、嘉汰耶の決めた慣わしである。里親は預かるのではなしに、捨子を拾って育てる。
そうすれば、より丈夫な子に育つのだ、と嘉汰耶は云った。
これは後々まで武門の吉事とされ、江戸時代にまで受け継がれてゆくもので、門前で泣く都祢那賀を抱き上げたのは、屋敷の主である覇津華雅である。これも決まり事・・。
そのまま門をくぐり、住屋の軒先で乳母に手渡す・・。
 日が暮れて後、乳母が乳首を含ませれば儀式は終わり、こうして里親と里子の契りがめでたく整うのであろう。
宵襠はつつがなく乳房を与え、都祢那賀の幼い唇が、その乳首を無心に吸うている・・・。

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 11:08 | Comment(0) | 連載長編小説 当ブログ用

歴史小説と時代小説の違いなんかを考えるよりも…眼鏡

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート


かつて…大変に有名な社会評論家の大宅壮一(おおやそういち)さんが…その当時の日本の在りよう、ひいては未来を予想して…一億総白痴化失恋と嘆かれたそうですが…まったく眼鏡そのとおりになりましたねexclamation×2と僕は思っています。

かつて…入学することが極めて難しい有名国立大学の教授【むろん有名な方ですが、御名前の記憶が曖昧なもので御免下さい】が…

「近ごろの学生は、知識はあるけど、教養が無い」

と嘆かれたそうですが…
まったく失恋そのとおりですね眼鏡と僕は思っています。
そんなふうに思っているからといって…もちろん僕が賢いわけではありませんし失恋たちまち何をか、社会に貢献できるほどの力を保持している者でもないんです失恋

でも…ここ数年間のうちに起こったさまざまな事件とか事故…また、それぞれについての対処や反応などなどをニュースで観るにつけ…失恋どれほどの理不尽やら残虐とか不手際あるいは厚顔無恥な様子を知り得ても…もう大して驚かない…っていうか、驚けないほどに鈍感に成り果てている自分に気づいた昨今なんです失恋
とはいえ…皆さん、たちまち最近の…たとえば、ほんの1ヶ月以内の事件とか事故、あるいは行政の在りようなどを知るにつけ…どうですか!?

ふと…今の日本中が…かの日露戦争における乃木第三軍状態失恋とも想うてしまった…そんなふうに、眠れない夜の眼鏡お伽噺でした…キスマーク

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 03:40 | Comment(0) | 眠れない夜のお伽噺

2008年11月17日

歴史小説 幕末から現在に至る坂の上の雲の上から見おろす景色・・・

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

高杉晋作坂本龍馬も、西郷さんだって怒っているぞ!!

坂の上の雲の上から、この国のかたちを見おろし続けているに違いないのは、僕の敬愛する高杉晋作(たかすぎしんさく)さんと坂本龍馬(さかもとりょうま)さん、それに勝海舟(かつかいしゅう)さんや西郷隆盛(さいごうたかもり)さんたち、いわゆる幕末という激動の時代に生命を捧げた皆さんだぜ!!
その御歴々に小突かれては、垂れる鼻血を拭くこともできない伊藤博文(いとうひろぶみ)さん、井上馨(いのうえかおる)さん、山県有朋(やまがたありとも)さんたち、つまりは明治政府にて初代の組閣した偉いさん方々なのさ!!

「俺ら、こねいな国を夢みて倒幕に懸命したわけじゃあないけのう、おう、利助【りすけ=伊藤博文さんの幼名で、高杉さんは大先輩であるため、呼び捨てられても、ぐすっとも云えない】よ、分かっとんのか、こらあ」
「すっ・・、すんませんっ、すんませんっ・・、けんど、こねいな国に成り果てたんは、なんも、わしらのせいじゃあ、ありませんきに・・・、どうぞ、こらえてつかあさいっ」
「阿呆っ!、お主らが初めじゃいかっ!」
 そう大喝した高杉さんは、またも拳固を振り上げてるんだぜぇ。
「まあ、まあ、高杉さん、確かに伊藤さんらのせいばかりじゃあないきに、まずは堪忍しちゃってつかあさい」
「坂本ぉ、こりゃあ、長州者の話じゃ。けんど、まあのう・・、利助よ、聞多【もんた=井上さんの通称】もじゃ、ここは坂本さんの顔に免じちゃるけえ」
「ああっ、ありがとうございますっ」
「おおきにっ、ありがとうございますっ」
 二人は泣きながら坂本さんに頭を下げたけどさあ、そこへ割って入っては、黒ダイヤのような眼を据えた西郷さんさ。
「いやあ、わしも明治政府のことは、とやかく云える者ではごわはんが、じゃっどん、だいたいは井上はんが、日本政府には初の汚職まみれの手本でごわそ」
「よせ、よせ、西郷さん、汚職なんてなあ、この日ノ本じゃあ、御家芸(おいえげい)みたいなもんさ。お江戸の幕僚だってそうだったさ、もちろん下世話じゃあ、岡っ引きだって、袖の下ってやつで
悪党どもと持ちつ持たれつ・・、責めるだけ野暮ってもんさ。おいらだって下界に棲んでたころは、清濁併せ呑んで、いい気なもんだったぜえ。でなきゃあ、とても無血開城なんてできゃあしねえよ。えっ、そうだろ・・、なあ、西郷さん」
「まあ、勝先生に云われたら、おいにゃあ、一言もありもはんが」
 やっぱ雲の上でも、さすがは勝さん、江戸っ子の小粋だぜ。
「けどよう、龍さん、この国のさ、近ごろの荒れよう、落ちぶれようは、どうだい。さすがに目に余る為体(ていたらく)じゃあねえか・・、濁ってる、腐ってるなんてもんじゃねえ。おいらの知ってる日本人てなあ、ここまで情けねえ生物じゃあ無かったはずだぜ」
「なんの、勝さん、俺が長州男児の心意気を見せちゃりますけえ」
 そう云って不敵に破顔った高杉さんは、手にしていた盃を勢いよく床に叩きつけたけど、なんせ雲だから、割れたりはしないのさ。
「見せるっちゅうて、高杉さん、なにを、しでかすつもりぜよ」
「まずは国会議事堂を焼き討ちにして、あそこに巣くう腐れどもを、たたっ斬っちゃるけえ」
「ちゃちゃちゃあっ、いかんっ、高杉さんっ、そりゃあ、いかんちやっ、なんもなんでも時代が違うがやきっ、わしらが生きちょった幕末とは違うきねやっ」
「時代じゃとうっ、そがあな曖昧なことを云うちょる成れの果てが、現在の日本じゃないんかあっ」
「まあ、まあ、お二方、そう熱くならずに落ち着いて、よくよく下界に棲み暮らした日々を思い出してごらんなさい。智に働けば角が立ったし、情に棹させば流されたもんでしょうに」
「なんじゃい、坊ちゃん、いや、本当は猫だと告白した夏目かよ。お主ら文豪っちゅうもんに国政のなんたるかが分かるかよっ。猫は黙って、ものを書いとりゃあええんじゃっ」
 物事を、ずけっ、と云うのが、良いも悪いも高杉さんの癖だぜ。
「手ひどいなあ・・、そりゃあ、吾輩(わがはい)だって本当は猫じゃあないんですからね、少しは政治にだって興味ありますよ。雲の上から見おろす近ごろの日本には、古き良き明治や大正のロマンなど消え失せて・・、ああ、また胃が痛くなってきたぁ」

続くexclamation&question・・・かもよ・・失恋

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 16:39 | Comment(0) | 歴史小説 幕末以降・・

子育てに悩む若いパパやママは、しっかり読んで見習えよ!!ハイライトスペシャル!!

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起

傅人(めのと)と乳母(うば)と

      三
 はたして、卑弥呼(ひみこ)の暮らす水上宮中では、外社の庭園にけむるほどにほころびて満開を待つばかりの桜花よりもにぎやかに、そこここに集う巫女達の間でかしましく、まことしやかなる不吉話が、春のそよ風にも誘われつつ舞い乱れていたのである。
「卑弥呼様は、いかにおわしますのか」
「いよいよの気重(きおも)にて、目もあけられぬ御様子じゃ、と洩れ聞きましたことよ」
「あけられぬどころかえ。此度(こたび)お生まれの若子(わこ)様を、一目見た途端に、目がつぶれたとか」
「何でも若子様には、嘉汰耶(かたや)様が、この地より駆逐しては遠く出雲にまで追い堕とした神々の祟(たた)りが、怨念塊(おんねんかい)となって憑(つ)いておわすそうな」
「ああ、おとろしや」
「そう云われて、つくづく思い出してみますれば、撫子(なでしこ)様のご懐妊あそばされし時、鼻が大蛇、耳などは無花果(いちじく)の葉よりも広く、長い牙が反り返って生えた化物が夢に現れ、その者と夢中に狎褻て、ついに種が植わったと申されておりましたなぁ」
「その事よ。あまりに恐ろしゅうて卑弥呼様が七日ほども寝ずの祓いをいたしましたよ」
 これは事実であったらしい。もっとも、撫子はけろりとして汰雅志嘉(たがしか)に夢を打ち明けたのを、むしろ聞いた汰雅志嘉の方が怯えて、卑弥呼に頼み込んだものではあったが・・。
「卑弥呼様が、うわ言には、ついに天地の終わりじゃ、などとうなされておらるるよし」
「ああっ、怖や、怖や、おとろしやあ」
「ほんに大大凶じゃのう、ついには、この世も末じゃわなあ」

 ともあれ宮のあちこち、巫女達が集いて噂にまことしやかな装飾をちりばめている中へ、覇津華雅(はつかが)は乳母探しにやってきた。
が、卑弥呼に目通りは叶わず、その実娘である奈良夜(ならや)に頼らざるをえなかった。
 この時、奈良夜は自らも身ごもっており、不吉の噂も相まってか、鈍い返事で応じた、という。
その胎児こそが、のちに都祢那賀(つねなが)の許嫁(いいなづけ)となる那薙(なち)姫であったのは、まさに縁の織りなす絶妙と云おうか、はたまた皮肉とも書こうか・・。

 云わでものことだが、乳母になるには、当然、乳が出なくてはならない。これでまず、大勢の巫女の中から限られてくる。
その中で、さらに相当に身分の高い者でなければ、とてもではないが、嘉汰耶の家の乳母になどはなれまい・・。
「この際、容姿などは問わぬとして、頭は賢く心根の良き者でのうてはなりませぬぞよ」
 と、奈良夜は自らの側近達に指示した。
しかし、覇津華雅は
「何の。乳の出る女を集めて下されば、後はかまいませぬわい。吾が目で選び決め申す」
 と、例の割鐘のごとき大音声で豪快に笑い飛ばし、呆気にとられた側近達を
「早う、はようせい」
 と急かして広間に集めさせ、今度はいかにも深刻げに・・
「此度の御祝儀、当家も困惑極まっておる」
 と云った。
乳母候補として集う巫女達の間には、それが溜息ともなって伝染した。
「皆、苦労じゃったな。この大大凶、そち達に被せるには、やはり、あまりに忍びないわ。巷にて探すほかあるまい。もう散ってよいぞ」
 と云うと、皆、口々に残念がっては悲痛な面もちで、ただ足どりばかりは、いそいそと立ち去ってゆくのである。

(阿呆共めら・・)
 覇津華雅は胸中で吐き捨て、こうとなれば、たとえ婢【はしため=奴隷の女性。当時の奴隷などは敗戦国の民衆が堕とされた。奴隷の男女を、奴婢と呼んだ。】の中からでも最良の者を見つけ出してくれるわい・・と思いつつ、その場を去ろうとした時である。
「あの・・恐れながら・・」
 と、ぽつりと残っていた巫女の声が、彼の歩みを止めた。
《はてさて、この女の名を宵襠とやら・・》
などと『媛国攻陣始末記』に物憂げに記しているが、これは名が不明確なのではなく、身分が低い事をあらわしているのであろう。
 なぜ、と問われるならば、いざ仕えたは、女王卑弥呼でさえ逆らえない大将軍・嘉汰耶の家であり、後に不世出とも語り継がれる都祢那賀の乳母なのである。名の残らぬはずなどあるものか。
以後、宵襠(よいまち)と明記す。

 この時、宵襠は二歳になったばかりの女子を持ち、己は十八歳だ、と覇津華雅に告げた。しかも稚児が女子であるから宮中で養育されておるために、亜子には一切の手がかからない、とも云ったらしい。
「ほうか、ほうかよ」
 と、覇津華雅は奇妙な相槌を打ち、しかし、さらに脅した。
覇津華雅いわく・・
「巫女に祟るは七世後まで、とも云うぞや」
 悪霊などの不吉を禊ぎはらうのが巫女のつとめの一つであろう。
その巫女をも祟るほどの力を持った大大凶ならば、七代後の子孫にまで害をおよぼすぞよ、という巫女唄である。
すると、宵襠は美しく整った顔をほころばせ
「その唄は・・」
 と、胸の辺りに手をそろえ、小さな鼻孔を微かに動かして軽く息を吸い込み・・
「祓いおおせば十世の富貴」
 と、か細い声で歌った。覇津華雅を見上げる目が、いかにも涼しげであり、白魚のような指先に桜貝のごとき爪が、いかにも清楚に並んでいる。
「わたくしは、この一生のうちに富貴などは望みませぬ。ただ・・」
「かまわぬ、何なりと申せ」
「祝が勤めの巫女どもに、大不吉じゃ、などと呼ばわるる御若君様が・・」
「不憫(ふびん)かや」
「恐れながら・・、それに」
 自分が身ごもっていたある日、たまたま通り過ぎる撫子様が、めでたき事じゃ。大切になされ・・、と微笑んでくれたのでござりまする」
 と、この娘は云ったのである。
「その・・・ただ一言で、未曾有の大不吉とやらを、その全身全霊に背負うかや」
「はい」
 身分の低い己なれば、なおの事、その一言と微笑のために死ねまする、とて、また笑った。
「よっしゃ、決めたわっ、都祢那賀様の御乳母役、このとおり、お頼み申す」

「あいや、待ちゃれ、大将帥様には暫し、暫しお待ちをっ」
 と、このやりとりを傍観していた奈良夜の側近達が慌てた。
 決まったなら決まったで、何やかやと口やかましいのが宮中に集う巫女の性であろうか。やっかみと嫉妬も混じってであろう、宵襠の身分の低さを明言してなじりもした、らしい。
「阿呆どもめが、やかましいわ。まこと良き乳に、これ身分の差などあるものかよ」
 覇津華雅は戦場の真っ直中で叫ぶほどの大声を張り上げ、いっそ仰天して腰を抜かした宮中巫女達などには、もう目もくれず、宵襠をさらうようにして水上宮を出て、架け橋を渡り戻るや、繋いであった馬に乗せ、己も相乗りに飛び乗って、あとは鞭をいれた。
「重畳、重畳、今日より、そちが育む都祢那賀様こそはのう、いずれ嘉汰耶様をもへこますほどの大将軍様ぞっ、まこと稀代の大将じゃっ、嬉しやっ、嬉しやのうっ」
「はいっ」
 生まれて初めて乗る馬上、もう宵襠は必死で覇津華雅にしがみつき、必死で叫び返す。
まさに都は春爛漫、鳥がさえずり花咲き乱れる季節であった、とある。

                 四
 馬は二人を乗せたまま、大門をくぐり、嘉汰耶の屋敷へと駆け込んだ。日の暮れには、まだ間がある頃であり、今朝方産まれた都祢那賀は、いまだに母屋を出てはいないらしい。
武門の心得とて、嘉汰耶と汰雅志嘉は裏庭の矢場で弓を引いていたが、覇津華雅参上の知らせを聞いて中断し、井戸で二三度水を浴びて汗を流した。着替えて着座するまでに、覇津華雅は、つないだ馬に水をやり、飼葉桶(かいばおけ)を運んでやっている。
桶の中身は煮てから冷ました大豆に粟粉と青草を混ぜた物で、これが軍馬の常食であった。大豆などは屋敷の備え物をゆずってもらったが、調合して与える事は覇津華雅自らがやる。彼は平時はもちろんであるが、戦場においても、自分の馬の面倒はすべて自分でみていた、という律儀者である。
馬という生物は、確かに繊細で、かつ賢い感性を保っているのだ。
「戦場にては、馬こそが己を生かし働かせてくれるのぞ。ゆめ粗末にするな」
 というような主旨を含めて、この男は常々にも部下達に訓戒しているのだった。

「変われるもんなら、いっそ軍馬になりたやのう」
 とは多くの庶民の嘆きであり、農作業などする時には皆で歌いながら労働した。兵舎の馬屋番に当番した者が馬の飼料をくすねては家族の食を助けている、と公然と云われたほどに軍馬は、あるいは人間以上に大切に扱われている。むしろ大量の軍馬を養うためにこそ、庶民は重税にあえいでいたのであろう。その御馬様が飼葉桶に頭を垂れて、ゆっくりと咀嚼し始めたのを見て満足げに目を細める覇津華雅の側で、宵襠は広大な屋敷のあちこちを、さも珍しげに見やっていた。
 さすがは荘厳といえども、また宮中とは違ったおもむきがあり、しかも、これが一家族の住屋であるのか・・・という素直なる驚きも、この宵襠には隠せないのである。
呪術よりも恐るべきは軍人とも云う、ことに武将は国の至宝ともいうべき実力であろう。
「女王様でも、めったには逆らえぬ、とは聞きおよんではおりましたけれど・・怖や」
(怖や、とは、なるほど己が心情に正直な、やはり、この女に決めてよかったわい。)
一見、執心に馬を世話している間も、覇津華雅は軍人らしい観察を忘れてはいない。

 やがて若い番兵が駆け寄ってきて、嘉汰耶達が身なりを整え着座した事を告げた。覇津華雅は同日再び、嘉汰耶屋敷の、先刻にも踏み鳴らしたる同じ階段に足をかけた。
後に続く宵襠の足元などをさり気なく気遣ってやるあたり、単なる女嫌いでもなさそうな。この男が独身を通す理由、よほど難しそうではある・・。
「うぬが仕事の迅速なるは承知じゃが、これには驚く」
 と、嘉汰耶が目を見開いて、宵襠を見たのも、その理由が難解な証の一つになろうか。覇津華雅は慣れているらしく嘉汰耶の芝居けにはとり合わず、きっぱりと平伏しつつ
「御若君、都祢那賀様の乳母女にござる。名を宵襠と申す巫女にて、聡明なる事、その見目に違わず」
 と、言上したものである。
そこで、初めて宵襠は慌てて平伏した。
「宵襠にござりまする。よろしゅうに、おひきまわしのほどを」
 所作の機会や言葉遣いに、身分の低さが滲み出ていた。
が、すべてを覇津華雅に委せる、と云い渡してある、というより以上に、老練な審眼が宵襠の本性を見抜いたのであろう。
嘉汰耶は満足げに顎をひいた。

 一方、本来ならば、この挨拶儀を仕切らねばならぬはずの汰雅志嘉は、終始無言で通している。
そんな息子の若気をも、嘉汰耶は泰然と黙殺した。
「覇津華雅よ、慣例に従いて都祢那賀をゆだねるは一月後じゃ。間に合うかえ」
 嘉汰耶が問うたのは、都祢那賀が寝起きするであろう新居の事である。
「たった今より暇いたし、吾が知りおきの建師(たてし)に手配いたしまする。何、報酬をはずみ、昼夜を問わずして行えば、期日に半日たりと遅らせるものではありませぬわい」
 産まれて一月の間を実母の手元で育むは、実母の匂いを覚えさせるためである、という。

 例えば牛馬などが産み落とした我が子の身体を丹念に舐めてやるのが、あるいは産湯変わりであろうか。これが母子の縁の契りでもあろう。卑弥呼の近従巫女が産湯を使わせた、と前述したが、実は定かではない。当時、母屋の内の母子事は神聖にして冒すべからざる秘事であったため、吾【あ=乃麻埜】の生ける今【天平時代】の風習を当てはめ、推測をまじえて描写した事、このくだりの筆運びにて、殊更にことわっておく・・。

 さて、建師を手配した後の、その夜、覇津華雅は、おおいに弱り果てているのだった。たちまちは、れっきとした女性である宵襠の寝る所に、であったろう。
「そなたは屋内で寝そべれ。わしは外で寝る」
「よいではありませぬか」
 乳母役を受けた時に覚悟の前です、とて宵襠は微笑した。
が、覇津華雅は・・・
「草に寝て星など見上げ、戦場を懐かしむのも一興じゃわい」
 そう云って、きかない。なぜ、それほどに女性をきらうのか・・。
「住屋の建つまでの夜毎を、そうして、遠い戦場を懐かしまれるおつもりですか」
 嫌味でないことには、宵襠は、その美しい顔に、うずうずと笑みを浮かべて云うのだ。
「それこそが、武骨なる武将の風情とも云うものじゃわい」
「夜ごとに星は望めませぬ。衣の濡れる雨の夜には何としょう」
 宵襠は、ほろほろと笑いながら、いかにも頑固げな覇津華雅の仏頂面を見やった。

(美しい女じゃ。これは、なかなか・・気を抜けぬ事になったものじゃわいなあ・・。)
 うっすらと夜露をふくんだ草の大地に寝そべって、鳴るほどに満天の星空を眺めながら、覇津華雅の胸中には、ふと云い知らず寂寥(せきりょう)の念がこみ上げていた、とある。

 翌朝、そんな寂寥は、彼の眼耳鼻舌身意ことごとくを刺激する具象として現出した。〈朝餉〉という名の寂寥であった。覇津華雅の暮らしぶりは、いたって質素である。
この男は戦場の倣を日常としているのである。苫屋内の地面を切った囲炉裏のそばに大人の腕で二抱えもありそうな欅を輪切りにして食卓にみたてている物が、唯一の家財道具と云っていい。
潤沢に下されているはずの扶持を、いったい、どう使うているのだろう。
水場をさがしても食物を盛る土器などは無く、酒壷と大ぶりな素焼盃が一つきりである。食事は、蓮葉(はすのは)や無花果葉(いちじくのは)に盛って済ませており、献立といえば干飯(ほしいい)を湯か水で戻した米に梅干か塩辛なのである。
たまに野生する季節の生菜と、自ら釣ってきた川魚に塩か味噌を塗って串焼にした物が葉上に載った、おそらくは、これなどが酒の肴なのであろう。もっとも、茹でて冷ました大豆は馬が食うから、たとえ干飯をはぶいた日にも食っている。

 周知のとおり大豆は極めて栄養価が高い。
余談だか、この頃にはすでに納豆も在った。戦場における偶然の産物であったらしい。『媛国攻陣始末記』によれば、嘉汰耶が急進軍する際、茹でた大豆を冷まさないまま藁(わら)で包んで重ね、馬の背に乗せた事がある。野営のたびに馬に喰わせたが、最後の荷が腐って糸を引いていた。すでに兵糧も残り少なく、馬に喰わせたところ嫌がるどころか実に旨そうに喰らい、しかも目に見えて元気を回復した、という。
そこで何と、嘉汰耶は飼葉桶に手をつっこみ、自らが食ってみたのである。
その後、彼は〈粘豆〉と名付け、意図的にこれを量産させ、兵糧に採用した。極限の臨機応変を必要とする戦将として、このあたりも嘉汰耶の非凡であろう。
梅干や塩辛、味噌なども充分な栄養を含んでいるから、軍用食として成り立っている。
覇津華雅が食する、これらの献立は、いわゆる野戦時の軍用食であった。

 余談ついでに、この男は軍事に長けているだけに、手練(てだれ)の猟師達が舌をまくほど狩猟が上手い。馬を遠駆けするついでに狩るのである。ただし、獲物を自分の口に入れる事は滅多にない。獣肉を食するのは奴婢(ぬひ)などの下層民と庶民であり、支配階級に属する貴人達は菜食を主としていた。これなどは宗教的理由というより、おそらくは、女王である卑弥呼の影響による、いわゆる特権意識の表れ、と理解した方がより適当であろうか・・。

 平素の彼の朝餉は干飯もしくは納豆と梅干のみ、夕餉は酒と塩辛に時おり焼魚などで済ませていた。そんな彼の食卓に、今朝の献立はどうであろう。干飯を湯でもどし、丁寧に水気をきった強飯【こわいい=硬めの飯。現在のように柔らかく炊いた飯を姫飯(ひめいい)という。】に、納豆の他、梅干が二つ、わらび菜とみょうがの和え物に竹の子の刺身、盃を椀がわりにした田螺汁(たにしじる)からは湯気が立っているのだった。品数の多さもさることながら、いったい、この女はいつの間に、これほどの食材をそろえ、しかもそれを料理したのか・・。

(これは、いかぬ。俗世の幸福の薫りには、男の鉄腸もとろけてしまいそうじゃわい。)

 宵襠は聡い。覇津華雅の表情を読んで、ほろほろと微笑しつつ「今朝よりは御覚悟めされませ」
 と云った。
「何を、じゃ」
「もはや、飼馬に馳走はいりませぬ」
 そう云って、じっと覇津華雅の眼を見つめた。微笑は消さない。
「・・ふむ」
 傅人役を受けた以上、もう出陣はない。あるとするならば、それは都祢那賀の初陣、はるか後の事であろう・・。
したがって、今飼っている馬は、すでに軍馬ではあるまい。
つまり、生命を賭けた戦場での過激な運動を強いられる事のない馬に、昨日までのような栄養は要らぬ、と宵襠は云うのである。
馬に食わせる大豆を減らし、ういた大豆と、田螺や竹の子などを近在の者達と交換してきたらしい。
 大豆は貴重品であるから、それでも余った。その分は、覇津華雅が食うべく、眼前の食卓に並んでいる。
「今朝よりは覇津華雅様にこそ、滋養ある馳走が要りまするもの」
「うむ」
 もはや覇津華雅の生命は、彼一人の存分には始末できまい。
都祢那賀を立派に育て上げるためにこそ、彼は心身堅固を保たねばならないのであった。
「さあ、たんと召し上がれ」
 宵襠は、明るく無邪気に、有り難き朝餉への初箸をすすめている。
「おうさ、わしも肚(覚悟)は出来ておるわ。据え膳は食う。が、じゃ。その前に」
 覇津華雅は朝餉を前に姿勢をただして座り直し、宵襠の眼を見据えた。
「わしは、自らを誉めているのぞ。そなたを乳母様と決めた事を、じゃ」
「もったいなき事にござりまする」
 宵襠も調子を合わせたのであろう、膝をあらためて平伏した。
「それ。それが、いかんわい」
「えっ」彼女は両手をついたまま、わずかに顔を上げ、覇津華雅の眼を観ている。
「今朝よりは、そなたとわしは同等・・いや、そなたが上、と云うてもよいほどぞ」
「・・・・・」
 いや、生身の人としては、今生に許されることではないほどの重大事であったろう。
邪馬台における身分差別こそは、よく三十余国の連合を支えるための一大事なのである。
「おっ、恐れ多いことを・・、きっと罰が当たりまする」
「おおさ、当てらるる罰なら当ててみよ、当たるものかよ。そなたと、わしはのう、若様の御前にては同等の者ぞ。しからばじゃ、飯も同じゅうし、行儀なども気遣い無用ぞよ」
 さらに・・
「同じ物を一緒に食べ、内外にかかわらず身分の上下もない者じゃ」
 と明言した。
「内外にかかわらず・・でござりまするか」
 桜貝のような宵襠の頬から微笑が消えた。
「おう。嘉汰耶様の御前はもとより、宮中においても、わしと同等にふるまえ」
 そうでのうては都祢那賀様の乳母様役はつとまるまい、とまで、言葉にしてやっている。
聡明なゆえに、身分の低さ、という劣等感は、逆に拭いきれまい。
そう察した上での、覇津華雅の気遣いである。
「若様の乳母様である、そなたが周囲に気遣いして低く出れば、その分だけ都祢那賀様が軽うなるのぞ、これ人の世の風情とも云うものじゃ。今宵より、きっぱりと聞き分けよ」
「はい、傅人様の思いやり、乳母として、しゃんと心得ました」
 宵襠は再び深々と平伏し、つぎに顔をあげた時には平素の微笑を浮かべていた、という・・。


ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 09:13 | Comment(0) | 連載長編小説 当ブログ用

音楽のある生活、歌謡曲の流行る時代の幸せ…2音楽

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

今でも、僕は…音楽っていうものは、技術じぁあないぜ!感性ってやつだぜ!!
と信じています晴れ
まあ、自分が下手だから、言い訳してるんでしょ失恋
と云う人々もいるでしょうけどね…晴れ
いや、演奏するためには、当然ながら技術があるほうがいいのでしょうが…要するに聴いてくださる人々の理性を突き抜けてキスマーク心を震わせることができるのは、やっぱり技術じぁあないぜ!!と思っているんです黒ハート

小学生の頃には…

さても…産まれて三年ほどは大変に病弱で…それでも助けていただきました感謝の意を幼心に刻んでは…いつか僕もお医者になろうとて…まずインターンから…と思いついては、近隣の女の子を説得しつつ、お医者さんごっこに励む揺れるハートいたいけな幼児も、やがて小学校入学です晴れ

こうして、あらためて思い出せば…自分でも不思議な気持ちになるくらい…その日の出来事を、まったく克明に覚えている僕なんです眼鏡初めて教室に入っては担任の女性教師【もっとも、当時には、女の先生、と云ってましたが】の指導のもと…同級生となったお友だちに、それぞれ自己紹介するために一人ずつ…いわゆる教壇に立つんです。

すると、先生は教室の前方…運動場に面した窓際に置かれた古いオルガンでもって…起立、礼、着席、という定番のコードを弾きまして…もちろん、みんなは着席のままで頭だけ下げますが眼鏡教壇に立った子は…緊張しながら、気をつけ【体育系の先生の発音は、きょーつけぇ!でした】して、カキッ!コキッ!ギクシャク!?って感じで揺れるハートそれぞれ自己紹介してゆくんです。
「なんでもいいから、いまの自分の一番好きなことや得意なことをして、お友だちに教えてあげましょう。思いつかない人は、好きな食べ物のことでも何でもいいからね、大きな声でお話してね」

みんな、出席簿順に呼ばれましては…たとえば、しゃんしゃん【しっかり晴れという意の方言】した女の子なら、自分でオルガン弾いたり、ハキハキと得意なことを喋ったりしますが、だいたい男児は、妙に照れた感じでモジモジしたりグズグズするヤツが多くて…やがて僕の番になりました晴れ

黒板を背にして、右方に先生のオルガンという立ち位置で…みんなが僕を見つめています揺れるハート僕は、大きな声で好きな唄を歌いました晴れ歌っているうちに、後ろのほうの男児が二人…お互いの顔を見合わせながらクスクスって笑っておりました失恋

やがて、入学して初めての放課後…みんなで手分けしてお掃除の時間…僕は、教室の後ろにある掃除道具の収納ロッカーからホウキを取り出しては…その柄で、僕を笑ったお友だち二人を晴れ思い切り叩いてあげました晴れ

さっそく校長先生が、僕に会いたい…と、大変にお忙しいなかにもかかわらず、わざわざ面会を申し込んで下さり…少し帰りが遅くなることまで気遣って下さったらしく…校長室には母まで招待していただきました揺れるハート

続く…

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 06:41 | Comment(0) | 音楽の風景

2008年11月16日

愛媛国縁起 ついに第五弾!!

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


傅人(めのと)と乳母(うば)と

     一
 その、覇津華雅(はつかが)の屋敷には、嘉汰耶(かたや)の伝令兵が馳せ参じ、朗々と口上したものである。
「今朝方、嘉汰耶様が御屋敷にて汰雅志嘉(たがしか)様が御妻女なる撫子(なでしこ)様の御初産(おんういざん)これあり、めでたくも、御若君様の御誕生にござりまするよし」
「ほうか。それは祝着至極(しゅうちゃくしごく)に存ずる、とでも、いや、鄭重(ていちょう)に、お伝えしてくれやい」
「どうぞ、御自身にて言上(ごんじょう)なされませ」
「わしは今し方、起き出したところじゃ。まだ朝餉も喫しておらぬ。返礼を頼む、うぬが遣いじゃ」
「嘉汰耶様より、ただちに出仕せよ、とのよしにござりまするのぞ」
「嘉汰耶様が、じゃと・・。わしにかよ。そら、確かなことかや」
「お疑いなさりまするな。それかしの伝言に一句たりとも間違いなどは、ござりませぬ」
「なぜじゃ」
 こんなふうに唐突に云うのが、この軍事の天才に恵まれた老人【当時ならこその老齢】の手である。
「・・はあ」
 問われたほうとしては、ついつい戸惑わざるを得まい。
これが、すでに術中・・。
「汰雅志嘉様に御若君の誕生と、わしに急ぎ出仕せよ、との関わりを問うておるのよ」
「・・・いや、その・・そこまでは存じ上げませぬ」
 伝令の兵士は、庭先で跪いたまま首を傾げ、何やら口ごもった。と、覇津華雅は感じたらしい。

(こやつ、何ぞ知りながら言葉をのんでおる。しかしながら、なぜじゃ。わしに傅人などできようはずもないことは、嘉汰耶様なら承知の前じゃろうものを・・。)

 などと、取り留めもなく思案をめぐらせつつ、さすがは軍人である。
身体はてきぱきと動いて、そつなく身支度を整えてゆく。
庭に出て、馬屋に向かいながら、この大将帥はふと立ち止まり、後ろにつき従う伝令兵を振り返るや心配げに
「奥方様は・・」
 と問うた。
「はっ」
「阿呆めっ、たわけるなっ、撫子様は御無事かえ・・、と問うておるのよ」
 上官には絶対服従という兵士の業を逆手にとった、これが覇津華雅の、誘い水というものであろう。
「はっ、ごっ、御無事にござりまする。しかながら、いや、御無事にて、・・その」
「何じゃい」
「いや、その」
「申せ。産まれた御若君が、鬼か、蛇だったかよ」
 と、覇津華雅は、遣いの伝令をからかうように笑った。
「ただの噂にござりまするが・・、卑弥呼(ひみこ)様が、気分を害されては、気絶なされたよし」
「ほう」
 ふと立ち止まった覇津華雅は、これには素直に驚いたものである。
「産まれ出た御若君を見て、かの卑弥呼様が気絶したとや」
「御意」
「それを、なにゆえとて、わしに隠すのぞ」
「不吉じゃと・・、申しまする。宮中にては、この上もなき大不吉じゃとの噂にて」
 伝令兵は、口走った自らが卑弥呼の呪罰を受けるかのように怯えていた。こうした一を見て十を見透かすのも、あるいは軍才の内であろう。
覇津華雅は、飛び抜けて聡い。

(やはりのう。嘉汰耶様は、わしを御若君様の傅人に、と考えておらるるわい。はてさて、まずは戦場を捨てられるかや・・。しかし、産まれおちたばかりの赤子にして卑弥呼様を眩ますほどの気魂がまことなれば、これこそ我国に希有なる吉兆ではあるまいか・・。)

「断じて大事ない、うぬに呪罰は当たらぬわい」
 覇津華雅の中で、何やらふっきれたようでもあった。
覇津華雅は鞍も乗せずに裸馬に飛び乗り、その首にしがみつくようにして馬の腹を蹴り、勢いつけて都大路を駆けた・・、伝令兵が慌てて後を追う。
途中、朝市に向かう荷車と二度ばかりすれ違い、一度はぶつかりかけて飛び越した。鞍どころか、手綱もつけぬ裸馬を自在に乗りこなすあたり、やはり一軍を率いる大将帥である。並の腕ではあるまい、早馬術が自慢の伝令兵が追いつくどころか引き離されてゆく。

 嘉汰耶の屋敷目指して駆けながら覇津華雅は、この後の己の使命を肚(はら)に刻み据えた、という。

(このわしが、次におもむく戦場こそは、この御若君様が初陣ぞ。)

「何が不吉なものかっ、吉兆(きっちょう)も吉兆、こりゃあ、とほうもなき大吉兆じゃわい」
 覇津華雅は地声が大きい。しかも充分に戦場錆びて、叫べば割れるほどの大音声であった。これは馬上、覇津華雅が自らに云い聞かせるように叫んでいたものであろう。
道端によけて御辞儀などする都人達が
「あれは覇津華雅様や」
「大吉兆とは何事やろか」
 かるい砂埃を上げて遠ざかる馬蹄の響きに和して、どこかの梢に止まった鴬が鳴いた。都は、うららかな春に芳しく包まれているのである。
道端の赤や桃色の野花が風に揺れ、見上げれば、朝の陽光を浴びて二羽の雲雀が透き通る青空に舞い昇ってゆくではないか。
嬉事(うれしこと)なんぞ何事もなくとも、生きとし生けるものならば、つい心の弾む季節なのである。
「戦頑固の覇津華雅様でも、都の春のうららには浮かれたんかいや」
「何でもええ。おそろしくめでたき事には違いない」
 と、皆、わけも分からず喜んでいる。

 都といえば、都祢那賀誕生の頃には、畿内三十余国は嘉汰耶の軍事力によって制圧され、卑弥呼の霊力によって統治され始めており、この大国(邪馬台)の総戸数四万余。
山々から大量の木材が伐り出され、日中は槌打つ乾いた音があちこちで響き、さらに多くの民衆が集いつつある時期で、ただし、まだ治安は良くない。嘉汰耶に敗戦し、やむなく従属した首長達の内には、すきあらば叛乱を企てんとする者もおり、民衆の内にも母国への情愛ゆえにあがらう者が多い。
 それほどの思案を持たぬとも、いわゆる、ただの悪党(例えば盗賊の類)も跳梁していた。都である明日香野から遠く離れるほどに、それらの者どもが荒ぶっている。
特に、山奥から木材を伐り出し運んでくる者達は山賎(やまがつ)とも蔑称され、極めて危なかった。
嘉汰耶などを、勝手に自分達の山を荒らした余所者ほどにしか思わず
「卑弥呼が何じゃい。わしらには、山の大神様がついておるわいなあ」
 などと吼えるように云う奴らである。
 それが都で一仕事終え、大路わきに車座になって酒盛りなど始めれば
「今から宮へ駆け込んで、巫女ども、かっさらってやろうかい」
「どうせなら卑弥呼とかいう女王と、いっぱつ狎褻てみたいもんじゃ」
 とまでの暴言をはばからない者どもであったが、そんな彼らでさえ、覇津華雅の名を聞けば、その厚顔からは血の気がひき、こそりと背を丸めては声をひそめた、という。
それほどに、覇津華雅の戦上手と戦頑固は、夏の雷鳴のごとくに鳴り響いていたらしい・・。
 まさに知らぬ者なし、その頼りがいのある覇津華雅が、狂喜して馬を馳せているのである。それを見聞きしたる都人達が、つい浮かれるのも、これには無理もあるまい。
「吉兆、吉兆、大吉兆や」
「それっ、吉兆、吉兆、吉兆や」
「吉兆、吉兆、大吉兆」

     二
 やがて覇津華雅は嘉汰耶の屋敷に到着し、その西ノ大門の前で馬を降りた。よほど急いでいたものか、出迎えた警護兵達には、大将帥(だいしょうすい)が馬から転がり落ちるように見えた、という。庭を横切り、住屋に続く丸太組みの階段を上り、嘉汰耶の待つ部屋に通された。
住屋は桧の板間で、真東に向かう壁に神床が設けられ、その祭壇上には神所である社(やしろ)が奉られている。
 社の横には、嘉汰耶が十七世も前の先祖から受け継いだものぞ、と自慢している壷が置かれていた。
泥をこねては、見事な火炎を型取って焼き上げたものであった。

 その神床を背にして嘉汰耶が胡座をかき、南の壁を背にして汰雅志嘉が座っている。東の壁の風ノ道【明かり取りを兼ねた窓】が開け放たれ、陽光が差し込み、それを受ける嘉汰耶の眼が鋭く光って、入口で大きく息を整える覇津華雅を迎えているのだった。
「よう来た。まずは座れや」
 嘉汰耶がうながし、覇津華雅は嘉汰耶の真正面に着座した。
と同時に入口から侍女達が祝膳を運んで、それぞれの前に並べた。
分厚い杉板盆に乗っているのは白磁の素焼皿が二つに、漆朱塗の大ぶりな盃である。次の侍女達が酒壷と酒肴を運び込み、巫女舞のような所作で素焼皿に肴を並べ、盃に酒を満たしてから、すっかり躾(しつけ)されているのであろう、無言のままにて静かに退座した。
「呑もうぞ」
 と云う嘉汰耶の合図で、皆、盃を両手で持ち上げ、唇を浸けて一口飲む。めいめいが自らの酒量に合わせて飲んでゆき、飲み干して飽けば盃を伏せるのが作法である。伏せなければ、新たな酒が運ばれてくるという趣向で、素焼皿にのった肴はするめと栗、それに味噌であった。

 覇津華雅が一口飲んで盃を置き、一息いれて
「嘉汰耶様」
 と、わずかに膝をにじったのと、嘉汰耶が盃から口を放し
「覇津華雅よ、うぬにしかつとまらぬのよ」
 と云い出したのは、はて、どちらが後先であったか・・。
嘉汰耶は、間を置かず
「名付けは、都祢那賀(つねなが)じゃ」
 と云いつつ、静かに盃を置いた。
「ははっ。此度は御若君様をお授かりとのよし、祝着至極に存じ上げ奉りまする。また、御名を都祢那賀様とは、何とも威風堂々たる御響きなり。重々に、お慶び申す」
「ならば此度のこと、素直に受けてくれるな」
「その返答の前に、どうでも一つだけ、きっと確かめたき事のおわしまするわな」
 嘉汰耶と覇津華雅、互いの目線をはずさない。

 そこへ汰雅志嘉が割って入った。
場の空気を読んだことを、これは賢しらげな自慢とて、実父らに伝えたかったらしい。
「うぬ、呼ばれたわけを承知かや。かの伝令、もはや使えぬ。懲罰ものじゃな」
 伝令兵は口が堅い、と決まっていた。でなければ、秘密を持って戦場を駆け回る事などできまい。
 覇津華雅は、首だけひねって汰雅志嘉に向かい
「それは、無用に願いまする。吾が勝手に推量しておるだけの事じゃ。それに・・」
 と、覇津華雅は、つとめて眼を据えた。
「部下を肚の底から信用しなされ。でのうては、戦場で大将などはつとまりませぬぞ」
 何かにつけ教育したがるのが、覇津華雅の癖の一つであるあたりは、傅人としての資質は備わっている・・、と云っていい。
 が、汰雅志嘉は顔色を変えた。ただ、さすがに嘉汰耶の前では取り乱せず、膝の上で拳固を震わせている。
そうしたあたりも、覇津華雅から見れば青臭いのであろう。
「汰雅志嘉様は、確かに並ならぬ軍才をお持ちじゃで。後は場数をふみなさる事じゃわい」
 世辞ではないのぞ・・、と云う意を込めてか、覇津華雅は微笑してやっている。
「いやはや、此度には母屋にて、何やら一騒動あったとか。さても、卑弥呼様の一件、まことなりや」
「うむ。都祢那賀をとりあげ、臍緒を始末した時に、つい気を失うたらしゅうある」
「ほう、ほう」
 もう覇津華雅は嬉しげに、その鋭い目を細めた。
「近従の巫女が産湯を使わせてのう、卑弥呼は気絶したままで帰宮したと云うのよ」
 覇津華雅は、じっと嘉汰耶の眼を見つめ、片手で盃を取り上げ、高々と肘を張って盃を傾けて干した。
 じわりと内臓を灼くようにこみ上げる酔いを肚で抑え、膝をにじって半身ほど後へさがり、板間にゆっくりと平伏しつつ
「傅人の儀、しかと」
 そう云って顔を上げ、嘉汰耶と視線を合わせて
「承ってござりまする」
 と半ば叫び、ふたたび平伏した。
「うむ。頼む」
 嘉汰耶は満足げにうなずき、両手で盃を取り上げて一口飲み、ぐっと前につき出して
「では、契りの酒じゃ」
 と、覇津華雅にすすめた。

 それを受けず、何を思ったか、覇津華雅は静かに立ち上がり、確かな足どりで嘉汰耶の後ろにまわり、神床に手を合わせてから傍らの火炎壷を取り上げたのである。
「なっ何をするのかあ」
 と汰雅志嘉が慌て、覇津華雅は、その眼に気迫を込めて汰雅志嘉を抑え、その大ぶりなる壷を抱えたままで嘉汰耶の前に戻った。
「いや、いつ拝見してもじゃ、つくづく見事な壷にござりまするわなぁ」
「先祖より受け継ぎし我家の家宝じゃでなあ。それこそが将軍後継のしるしぞよ」
 汰雅志嘉は声を上擦らせて中腰になり、もう気が気でない様子であった。
今一度とて声を励ましては
「どうするつもりじゃ。もっ・・戻せや。まずは置け」
「将軍後継の御しるしなどは・・」
 と覇津華雅は笑み、息を整えたと想うた刹那。
「都祢那賀様御自身にござる」
 と、そう叫んで、壷を床に叩きつけたのである。
「ああっ」
 汰雅志嘉は飛び上がるようにして両膝を立て、詰め寄ろうとしたらしい。が、あまりの驚愕に、それより高くは立ち上がれず、がくりと腰を落とした。嘉汰耶は眉一つ動かさない。

 壷は半ば砕け散り、覇津華雅は、それをさらに素足で踏み砕いたのである。足裏の皮が破れ、肉が裂けて血が溢れ、木目のとおった床を染めてゆく。
「おのれっ狂うたかあっ」
 気を入れ直した汰雅志嘉が、勇み立とうとした時であった。
「嘉汰耶様、汰雅志嘉様に申し上げまする。御家の家宝なるは、たった今より都祢那賀様にござりますれば、それかし、この血にかけて、しっかと、お預かり申しまする。契りの担保は、すなわち吾の、この五体と生命そのものにござるますわな」
「うむ。うぬが覚悟、見届けたわ。うぬが生命、確かに都祢那賀に預けようぞ。都祢那賀が生命は、うぬに託す。都祢那賀の初陣、今より待ちどうしいことじゃ」
 嘉汰耶は嬉しげに云い、さらに盃を覇津華雅にすすめた。
覇津華雅は、畏まって受けている。
これは、戦場にて幾度となく死線を共に越えてきた者達ならではの機微であったろう。
汰雅志嘉は震えを止められず、しかし・・
「ふん。妻女もなく傅人とは、苦労なことじゃの」
 と吐き捨てた。まだまだ若い・・。
嘉汰耶は黙殺し、覇津華雅は栗を皮ごと口に放り込み、指で味噌をすくって舐め
「この味噌は、よい出来ばえにござりまするな」
 などと微笑した。
「覇津華雅よ」
 そう云う嘉汰耶は、この期におよんで、何やら嬉しくてしかたないらしい。
「うぬめが、受けたからには・・、ついに観念せいや」
「はてさて、生命をも観念した吾に、この上、何を・・」
「これよりは、高床の、見事な住屋に寝起きせねばならぬわい」
 なるほど、貴種である都祢那賀を、これまで住み暮らした崩れ苫屋には寝かせられまい。
「達者の建師【大工の頭領】を知っておりますゆえ、早速に手配いたしまするわい」
 察しのよい覇津華雅にすれば、ここに馳せ参じる馬上にての算段でもあったろうか・・。
「ふむ、ふむ。しかし、さても覇津華雅よ、これは難題ぞ。乳母はどうするのか」
 じつは、これこそが嘉汰耶の云う観念であったことに間違いはあるまい。
「ああ、それなども、吾にお任せ下さりませよ」
 覇津華雅は、さも心得おりたる、とでも云いたげな調子で、あっさりと応えている。
嘉汰耶は、初めて破顔一笑し
「ほう。うぬに心当たりがあった、とは驚く」
 と云った。
「心当たりなどはありませぬわい。これより宮中へおもむき、よき女を探しまするゆえに、嘉汰耶様より卑弥呼様へ、吾の無礼構無しの印など持たせていただきとうござりまする」
「印なんぞ、これはたやすきことじゃが、はてさて、それは・・どうかのう」
 かの口さがない噂好きする宮中に、この話を受ける巫女などのいるものかよ・・。
「不吉の話は、すぐに膨らむものにござりまする。それが巫女の間なれば、なおの事にて尾ひれの幾つもついた化け物話になっておりましょう」
 覇津華雅とて宮中の巫女達の妙な好奇心などは知っている。が、さも楽しげであった。
「ぬしゃあ、それを承知で、かの水上宮へと乗り込む気かや」
「当たりの前じゃ。この大不吉とやらを、呑み干して笑える巫女こそが欲しい」
「ふむ、なるほどのう。よっしゃ、すべて、うぬの気ままにするがよい」
「もはや御安心めされよ。御若子様は、必ずや稀代の大将軍にお育て仕りまするわい」


ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート


posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 09:43 | Comment(0) | 連載長編小説 当ブログ用

音楽のある生活、歌謡曲が流行る時代の幸せ…揺れるハート

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

今日は、午後から友達が出演するジャズライヴに出かける予定です音楽
先だって晴れチケットをもらったんです、ありがとうキスマーク
あらためて思い起こせば…僕が音楽に惹かれたのは、女の子にモテたい揺れるハートという純真無垢な願望によるものでありました音楽

ということで…ここでは僕の…個人的音楽史を書きとめておきます。
だって…いつ、何が起こるやら分からないから…晴れ

幼少の風景…

じつは、僕は…どうしても母乳をうけつけない乳児だったそうで…本当に餓死寸前ってところまでになったらしく失恋もう両親はじめ親戚や…掛かり付けのお医者さんまでもが絶望し始めた頃、本家の曾祖母が

「どうせ死ぬんやったら…何でもええ!ひもじい【空腹、という意】まんまで死なすんは、あんまりに可哀想や!せめて、お腹いっぱいにして、逝かしてやってつか!」

と云ってくれたそうで晴れそれで…まさに末期(まつご)の水よろしく、ちょうど本家で飼っていた山羊のお乳を哺乳瓶に入れて飲ませてくれたそうなんですね揺れるハート

すると…もう僕は、チュッキスマークチュッキスマークチュッキスマークって、瞬く間に飲みほしたそうで…それで生命を救われた揺れるハートそんなヤツだそうです晴れ

さあ、それから三才くらいまでは、大変に病弱な幼児だったらしく、しかも、大変な甘えん坊将軍だったそうで…いつも母が背負ってなければ、泣いて泣いて、泣いてしかたなかった…とも聞きおよびます眼鏡

ちょっと熱を出せば、真夜中でも、両親が…掛かり付けのお医者さんまで…その当時には、まだ自家用車なんて無い頃でしたから、けっこうな距離を…ぐずる僕を背負って、自転車で走ったそうです黒ハート

「お前ら…ほんまに子育てが下手なやっちゃねや」

掛かり付けのお医者さんは、西条市大町で加藤医院を開業されておりました加藤先生…その医院には当時は産婦人科もありましたので…まさに僕は、産まれる前からお世話になりっぱなしのお医者さんでしてね…黒ハートまったく何度となく生命を助けていただきました黒ハート

ちなみに…加藤先生は、かの関大尉【散華ののち二階級特進にて中佐】の大親友であられます。つくづく、縁というものの深淵なる摩訶不思議を感じおります黒ハート両親はもとより、曾祖母はじめ親戚の方々、加藤先生…また周囲の皆さん黒ハート
御先祖はじめ故先人の方々黒ハート
あらためて、ありがとうございます晴れと心の底から感謝しおります次第です揺れるハート

さて、そんなふうに周囲の手を焼かせ続けた僕は…と申しますと…お陰様にて幼稚園に入園した頃からは、風邪一つひかない大丈夫となりましてね…晴れ
やはり…大きくなったら病気で苦しむ多くの人々を救ってあげたい!!黒ハートという一大決心を幼心にも刻んでは…寸暇を惜しむようにして、お医者さんごっこに勤(いそ)しんだことでした晴れ
続く…

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:55 | Comment(0) | 音楽の風景