2008年11月09日

直筆の葉書で便りを出そうと決心したものの…失恋

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ヘタなんですexclamation
とにかく字が…とてつもなく下手なんですexclamation×2どのくらいヘタかと云うと失恋それはもう、どうにも説明できないくらいに下手なんですexclamation×2
字が下手な例えとしては、よく、ミミズが這いまわったような…とか、蝿が止まっているような…などと云う人々がおられますよね眼鏡僕の字の形容としては…とても間に合いません失恋

僕の直筆葉書を受け取った方々は、きっと「バカにしやがってぇ…」と不愉快な気持ちになり、あるいは、いきなり破り捨てたくなったり…いっそ燃やしてしまいたくなるやも知れません。いや、それこそ正常な反応だと思ってはおります、僕なんです。

思い出せば、あれは…まだ無垢な少年の頃…揺れるハート
いわゆる習字の時間です。小学生のうちは「大変に元気があってよろしい晴れ」と誉めてもらえました。それが中学時代には…習字担当の先生がいきなり怒り出しては「真面目に書きなさいexclamation×2」と…真顔で叫びました。交換日記なるものを申し込んできたのは学年のちがう女の子…まさに知らぬがホトケ…っていうか…厳冬のエベレスト登頂に真っ裸で挑むようなものでして…それでも揺れるハート恋は盲目キスマークとも申しますとおり…何度かはやり取り成立したような記憶がありますね眼鏡

やがて高校生になりますと…やはりジョンレノンに深く心酔しつつ傾倒しきりのロマンチックな文系学生としては…小説なるものを、レポート用紙の裏表びっしり十枚くらいに直筆で書き下ろしては、現代国語の女性教師に「これで芥川賞とりたいんですけど〜揺れるハート」とて、真剣な面持ちで差し出しました…受け取った先生は眼鏡そのレポート用紙には一瞥もくれずに眼鏡じいっと僕の眼を真顔で見つめたまま、ゆっくりとレポート用紙を二つに裂き…四つに破り…八つまで頑張ってはキスマーク「バカなこと云わんと、しっかり勉強しなさい」と静かな口調で…自分の机の横にあるゴミ箱に捨てました。あらためて思い出せば、あんまりだ…と感じている次第です…失恋

ともかくexclamation字が下手なんですexclamation×2たとえば、自分で書いたメモは…覚えているうちに読み返しても…少し読解しにくいくらいです揺れるハート

ワープロという装置を創造して下さいました皆々様に心から感謝しきりの僕なんです。もしも…僕の直筆葉書などを受け取った方々は黒ハート決して不幸のハガキなどと勘違いなさいませんように…どんなにヘタであろうとも、本当に心尽くして書いておりますし…揺れるハート

並んでいるのは絵とか象形文字なんかじゃあないぜ日本語の…漢字とか片仮名とか平仮名なんだぜ…失恋

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 16:04 | Comment(1) | 歴史小説家菅靖匡の日常

2008年11月07日

倫理法人会に呼んでいただきました…晴れ

本日早朝、西条倫理法人会の朝会に寄せていただきました黒ハートその主旨には、まったく同感した次第です晴れ

御先祖様方に感謝しつつ、また現在には家族はじめ周囲の方々に感謝しながら、かつ未来の人々をも思いやる…じつは、これこそが歴史から学ぶべき重要事項だと、僕は考えています。

したがって、いざマイクの前に立つと、あらためて云うことが無く、戸惑ってしまったものでした失恋ですから、あわてて昨日このページに書いたことを取り繕いました。すみません…失恋

ともあれ、僕にとりましては、やはり心というものの大切さを再認識させていただいた有難い時間ともなったわけでして…こうして書きながらも感謝しきりです揺れるハート
ここに云う、心、とは何か!?僕は、生命そのものの形だと信じています黒ハート

生命とは、目には見えず、手にとることもできないけれど確かに必ず在るものでして…それを形にして自他共に伝えるのが、すなわち心というものだと、僕は信じているんです揺れるハート

たとえば、心尽くし、という言葉があります。思いやり、持て成し、なども同感の言葉です。また、馳走…ごちそうさま、とも言いますよね。これは、他者に楽しく喜んでもらうために、田畑や野原を駆け回って、食事を整える晴れそんな心づかいを表す言葉です。

心とは絵画に描いた松風の音…などとも云われますように、つまりは動くものなんですよね。自身のなかに在る生命そのものを、それこそ精一杯に働かせることで揺れるハートその動きが、他者に響き伝わる…こうする気持ちとか行為が…すなわち他者を持て成す心尽くしであり、気遣いであり…つまりは、そうする人のなかに在る生命そのものの形なのだ、と僕は思っているんです晴れ
何につけ、心のこもっていないものは…ついに他者を感動させることができません!!と、断言する僕なんです。さて…みなさん…心のこもった日々をお過ごしでしょうか!?

かく云う僕は失恋まだまだ至らぬ愚か者ゆえ…しっかりと心して生きて逝きたいexclamation×2そう祈念しきりです…揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 22:11 | Comment(0) | 縁ある人々

2008年11月06日

横浜市立学校、トイレ清掃復活に教職員から賛否両論・・?!

応仁元(1467)年の京で勃発しては、またたく間に日本六十余州へと拡大した、いわゆる応仁の乱ののちには、乱世とも云われますように、戦火の絶えない、また山賊や海賊やら夜盗などの横行する物騒で殺伐とした世相と成り果てますよね・・。こうした乱世は、ざっと100年ほども続いた・・、と日本史には云います。

この乱世に巨なる終止符を打ったのは、かの織田信長であった、とも云うのが、およそ戦国史における定説とも想う僕なんです。
永禄十一(1568)年九月、いよいよ室町幕府第十五代将軍となるべき足利義昭を奉じて上洛を果たした時が、すなわち巨なる終止符であった、というわけですね。みなさんが御存知のとおり、これ以降にも大きな合戦は幾つとなく続きます。主には信長の云う天下布武にむけた戦いでもあり、むろん、それを阻止せんと踏ん張る諸大名や武将たちの戦いでもあったことでした・・。

まあ、このページでは、それはさておき、僕が敬愛してやまない織田信長という人の見事さは・・、上洛を果たした時に、抵抗勢力であった三好家残党らを駆逐したのは当たり前でしょうけども、まず将兵に手分けしてさせたことは京と近隣の清掃なんですね。
この頃の京は、さながら地獄絵図が現出したかのような荒れ放題の在りさまだったそうで、都の大路や小路や、その辻々、また鴨の川原にも、その流れをさまたげるほどに夥しい死骸が捨て置きにされては野ざらし状態だった・・、と伝わります。これを片付けさせ、上京すなわち内裏やら室町御所の在るあたりは、弓槍刀を竹ほうきに持ち替えさせて掃き清めた、という次第ですね。

もちろん将兵たちは殺気立っていますし、やはり女性を欲するのも本能に近い心理でしょう。こうした将兵に対しては、乱暴停止【ほんとうは、もっと難しげな漢字で書きますし、読みも、らんぼうちょうじ、と気どります】という軍令を出すのが、この頃の大将たる心得でした。現在にまで残る諸大名や名のある武将らの書状にも、珍しくはないものでして、ただし、大勢の将兵ですから、なかなか徹底させることは難しかったようで、戦地における略奪や強姦なども、また珍しくはないものですよね。

信長も出しました、が、この人のすさまじさは、一銭斬り、という厳命です。たとえ一銭を盗んでも斬刑に処す!というものでして・・、ですから云うまでもなく庶民に乱暴や狼藉を働いたり、あまっさえ強姦なんぞしようものなら、それこそ問答無用の即座に斬り捨てなんですね。しかも信長という人は、やると云ったらやる!男でしたから、たとえば、のちに二条御所を造営する作業現場にて、周囲で見物する女性をからかった者は悲惨でしたでしょう。
現場監督していて、これを見た信長は駆け出して抜刀し、ただの一言すらも云わずに、その者の首を刎ねています・・。

ですから信長の将兵は、つねに粛々として行儀がよく、また信長の
領地となった国に住み暮らす庶民らは、夜でも雨戸を開け放して熟睡できた、とか、婦女子の夜歩きも安心だった、などと伝わっていますね。いまだ乱世に在って、しかも驚くべき治安維持ではないですか。こうした事に限らず、信長という人には、まこと人間として大切な事どもを勉強させていただいております、僕なんです。

さて、今日の表題にしたニュースは、たちまち清掃に関するものでして、いやはや・・、またも、まことに、まったく、嘆かわしくも情けない!!と、僕は思いおります。

「わしらが若い頃にゃあ、当番ちゅうもんがあってのう、みなで便所掃除するんが当たり前じゃったわい。なんぞ悪さでもした日にゃあ、罰として一人でやらされたもんじゃ」

それでいいのだ!!と、おそらく天才バカボンのお父さんも云うはずだ、と僕は信じています。まず、共働きするためとて、我が子を躾ける、ということを忘れて学校に依頼したPTAの方々がおりました。また、教育現場では、道徳とか倫理の教育を排除したことも、です。むろん、ほかにも様々なことがあるでしょう。それらが相乗して育成された子供達が、すでに親となり、たとえばモンスターペアレントだのと云われ、その子供らはモンスターチルドレンと成り果てて、昨今には異常きわまりない事件の数々を量産するに至っている、というふうに僕は考えているわけです。

いいですか・・、無菌室の蒸留水では、ながく生命は育めないんですよ。そうして、この地球に営まれる世の中は、無菌室でもなければ、蒸留水のなかでもないんですよ。数年前に日本の子供達の学力を国際的に比較したというニュースでは、最下位から数えたほうが早かったように記憶しております。批評は、知識はあるが応用力がない・・、といった主旨だったとも記憶しおります。
これって・・、自分では賢いと思っている何とやら、そのものでしょう。どうぞ、自他共に尊重し合い、協力し合いながら素晴らしい人生を生き抜く力を、これからの子供達に残してあげて下さい!!

と、愚かながらも心の底より祈念しつつ、つたない筆を働かせようとしている・・、そんな僕なんです。




posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 10:00 | Comment(2) | 歴史小説家菅靖匡の日常

2008年11月05日

防衛省だけじゃあないくせに…失恋

たとえば豊臣秀吉が断行したのは「朝鮮征伐」などと云われますが、そもそも征伐というのは、服従しないものを討つ眼鏡ということでして、これこそ世に紛れもない侵略戦争でありましょう…と眼鏡僕は考えています。親善を希望する使節団を蔑(ないがし)ろにしては、一方的に攻め込んだものでして…しかも、半島側の心情などを考慮するなら、正しくは討伐とでも表記しなければならないものではないでしょうか!?

また、日本史には、文禄と慶長の役、とも云われますものでして、加藤清正の虎退治…とか云って喜んでいる場合ではなく失恋ご存知のとおり、半島の人々の…まずは耳を削ぎまして塩漬けにした大樽をおびただしく日本に輸送したのですが…耳は二つあるから嵩張(かさば)る眼鏡という理由で…鼻の塩漬けに変更したほどに残虐きわまりない…まこと愚行などでは追いつかない、蛮行そのものであった、とも思っております。

さて、江戸時代には…将軍家すなわち徳川幕府のご意向にそぐわないものを、ことごとく成敗しては徹底排除しましたが失恋まず、よく知られている一つには眼鏡生類憐れみの令眼鏡がありますね。ことに、お犬様を虐待したり、あまっさえ殺傷した者なら、打首獄門(うちくびごくもん)という凄まじさだった…と伝わるものです失恋

やがて幕末から明治維新前後の…これは世界的風景ですけど、イギリスやフランスやドイツなどヨーロッパ列強国はじめアメリカなど…みな、いわゆる植民地政策なる掛け声のもと、実際にアジア諸国と、その国民そのものを食い物にしておりましたでしょう。

むろん当時の日本にも、そうする思惑があからさまに向けられましたし…これによって、尊皇攘夷だの倒幕だのと世論が沸騰したことでした…失恋

そうして数多の血と汗を流したのちに迎えた日本の夜明け…とは、たとえば鹿鳴館時代などとも云われますが、これは世界諸外国から「猿真似」とも嘲笑されたものでしたでしょ…失恋

また天皇陛下を生神様と奉る、すなわち国家神道のもと、廃仏毀釈なる蛮行が全国各地で執行され…同時に、思想犯なるものが厳罰に処され、言論統制なども当たり前な世の中となり…やがて外交上の紆余曲折を経た果てに失恋かの大戦勃発失恋そうして敗戦を迎えます。
敗戦直後には…闇市(やみいち)なるものでしか餓えをしのげない人々が、衣服と食料を交換する…タケノコ生活を堪え忍び、いわゆる占領軍の将兵に身体を売る女性たちも珍しくなく、その裏側では、すなわち金権政治なるものが堅固に確立されつつ、日本全国津々浦々にまで、しっかりと根づいたことでした…失恋

はてさて…国会の議員さん、各省庁の高級官僚とか云われます偉いさん、また大手企業の偉いさん方…いつまで「お江戸でござる!!上意ぞよ!!」って感じで晴れしかも鹿鳴館時代に拍車をかけながら…何かしら不都合な不具合が発覚するたびたびに「国民の皆様の信頼を大きく損ないましたことをexclamation×2心より陳謝いたします」と云う決まり文句をアホダラ経よろしくお唱えしながら、カッコウばかりのお辞儀して頭を下げるおつもりですか!?失恋

まだ御先祖様をないがしろにして、かつ現在の庶民を愚弄しながら、将来の子孫たちに対する責任をも放棄して、ご自分たちだけの美味しい惰眠をむさぼりつつ…国民の信頼などがあり続けているという夢を見続けたいのでしょうか…失恋
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 12:28 | Comment(0) | 歴史小説家としては…

2008年11月04日

奈良談山神社にて蹴鞠を観たこと…揺れるハート

2008110311400000.jpg藤原鎌足公ゆかりの談山神(たんざん)神社にて、いにしえの貴族衆が興じた、と伝わる蹴鞠(けまり)の奉納を観覧させていただきました揺れるハート奈良県桜井市に在ります大和は多武峰(とうのみね)談山神社にて、まことに美しい紅葉のなか…日本伝統文化にも最たる一つでありましょう、蹴鞠の風雅を目の当たりに堪能したことでした揺れるハート

かの大化の改新を断行するためとては、藤原鎌足【当時には中臣鎌足(なかとみのかまたり)】と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が眼鏡この山中に登られて計画を談じ合った…ということを知ったりしながら、なんと来賓席にあげていただき揺れるハート産まれて初めて、じっさいの蹴鞠を、ゆっくりと楽しませていただいた次第です。また、その様式や決まり事【ルール】なども解説していただきながらの観覧でしたので、とてもよく分かりました眼鏡

ただし…僕には…その風雅ばかりは感じられたものの…当時の貴族衆には何がそんなに楽しかったのだろう…っていう気もしました失恋
また、来賓席にいらっしゃいました方々…皆さん、老若男女を問わずして、ええとこの人々らしく…そのお顔が…いわゆるキスマーク宮さん顔晴れにも見えまして…少し居づらい雰囲気でもありましたが…ふと境内に視線を移しましたなら…頭のなかに「しもじもの者たち…麿は元気で息災におじゃるでなあ…今日は楽しめよ」などという台詞が浮かんでは消え、また消えては浮かんだことでした晴れ

はてさて…そんな悲喜こもごもに浮わついた気持ちはカメラにもしっかり現れているようで…縦横を間違えてますねえ…揺れるハートどうぞ顔を傾けて観ていたたきたい、と願いおります…揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 08:16 | Comment(0) | 旅の宿から・・

2008年11月03日

埴輪、銅鐸、石舞台・・・古代史に想うこと

ざっと二世紀から三世紀と申しますと、西暦101年から300年のうちですね。この頃の日本国内は、大変な戦乱のまっただなかだった、と大陸の史書にあるそうです。ちょうど同じ頃に生きた陳寿という方が記されました『魏書』というなかの一節で、東夷伝のうちの倭人の条項のことで、これを『魏志倭人伝』とも教えていただきました。これに・・、邪馬台国やら卑弥呼のことなどが記述されておりまして・・、世界史から観ると、ちょうどローマ帝国だとか、あるいは後漢の時代に重なるでしょうか・・。

むろん僕は原書など見たことさえありませんが・・、ともあれ、この記述が、現代日本にさまざまな空想をかき立てておりますこと、それが面白くて、しかも重要だ、と僕は考えています。

大陸から邪馬台国に至る道順は、現在地図におきかえることが困難らしく・・・、したがって邪馬台国は九州に在った、とか、いや畿内のどこかやろ、とか、もっと違うどこかだ、などと云われて定まりません。また、日本歴史研究では『古事記』あるいは『日本書紀』などと重ね合わせる考察によって、さらに複雑な議論を巻き起こしているようにも聞きおよびます。

御存知のとおり『古事記』とは、日本において現存最古の歴史書といわれおりまして、和銅五(七百十二)年に編まれたものですね。
稗田阿礼(ひえだのあれ)さんという人が暗記していた昔話を、太安万侶(おおのやすまろ)という人が、聞きながら書きとめたものだそうで、上巻(かみつまき)、中巻(なかつまき)、下巻(しもつまき)という三巻から成る、神代から第三十三代推古(すいこ)天皇の御代までの世の中を記しており、僕も、これは現代語訳ではありますが読みました。また『日本書紀』とは、やはり現存最古の、こちらは正史というものでして、養老四(七百二十)年に編まれました。神代から第四十一代持統(じとう)天皇までの、天皇や氏族の来歴やら系図などを記しておりますね・・。

さても、僕としては、ざっと以上のような、つまりは学術的な事どもは、偉くて賢い先生方にお任せすればよいものでありまして・・、とはいえ少なくとも史実あるいは定説や通説などに基づいての小説というものを書くばかりです。

ですから『魏志倭人伝』とか『古事記』や、たまには『日本書紀』などを参考文献のうちにして、それこそ好き勝手な想像を膨らませては物語りするわけですね。ですから、これらの資料を観て、僕が面白いなあ・・、と想うことは、たとえば『古事記』は、当時に御老人が口述したものを聞き採るわけですから・・、その様子の、ほのぼのとした温みなどを感じて楽しんだりします。あるいは、それまでの日本には文字というものが無かったのか?などとも想いますし・・・、ということは、日本語のもとは発音という響きのうちに育まれたものかや?などと想像するのです。まったく、お気楽っていうか、いい加減なものでしょう・・?!

ところがどっこい・・、いわゆる考古学なんぞと云われる、いかにも難しげな学術研究のうちにも、およそ太古から古代にかけては、アホな僕とそう変わらないような想像でもって、ただし、さも難解げな云いまわしで論文という厳めしいものを書いているだけのような気もしております。たとえば埴輪やら銅鐸やら、あるいは石舞台などのことを、さまざまの学術書で読みますと、なるほど、いかにも納得しちゃうぜ・・、って感じもしますけど、ようは想像でしかないんですよね。しかも、ことに古代史における一々は、おおよそ信仰とか祭礼などという・・、ある意味では現在のそれらにも曖昧なあたりに結びつけて、うにゃむにゃ、ふむふむ、うやむや、っていうことでイッチョあがり!!の大発見とか画期的新説!!みたいになっているような気も・・・している僕なんです。
%(@。@)&・・・
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 04:26 | Comment(1) | 歴史小説家としては…

2008年11月01日

空幕長や校長に同情しつつ…朔日詣りしてきた今日揺れるハート

いったい、この国はどこまで情けないところまで堕ちてしまったのであろうか…などと、しみじみ嘆き哀しむばかりの心地もて…失恋いや、であればこそ、僕にも、ささやかであれ何かしら未来の人々に役立つ仕事をさせていただけますように…揺れるハートとて在所のお伊曽乃(いその)さんに月の初日の参詣してきました晴れ

田母神さんの論文を全部読んだわけではありませんが…マスコミなどから見聞するに眼鏡まったく田母神さんのおっしゃいますとおりだ眼鏡と考えている僕なんです揺れるハートじつは僕の故郷であります愛媛県西条市とは、かの神風特別攻撃隊の第一に指命されたる関行男大尉の出身地であります晴れ

しかも関大尉は、僕の母校であります西条高校の先輩でもありますし揺れるハート関大尉の御母堂様の一生涯には…過酷かつ悲惨きわまりない御様子に涙を流す僕なんです揺れるハート

あらためて明記しますが晴れ僕は徹底した反戦論者であり眼鏡いわゆる右翼などでもありません揺れるハートむしろ軟派にして軟弱な男です晴れ

しかし、たとえば明治から昭和初期ひいては戦後の…少なくとも自分が生まれるまでの日本史を眺めるうちには…たとえば極東軍事裁判などと伝わるもの一つを眼鏡自分なりに入手しうるさまざまな資料を観ながら眼鏡バカな頭で熟考してみても…あれが裁判などと云えるものではないexclamation×2と思っている僕なんです揺れるハート

ともあれ眼鏡僕は、何につけても揺れるハート十人十色揺れるハートだと思っております。また、歴史という過去世界のあれこれは、後世に生きる者が理屈をこね回すものではない晴れとも考えています揺れるハート

だって歴史というのは、人類が生活して死んだ、という記録なんですからね晴れということは…ですよ、現在世界に産まれて生きて死ぬ…その一人ずつの人生そのものが、すなわち歴史そのものに違いなく、であればこそ揺れるハートたとえば恋人やら夫婦のあれこれを眼鏡どんなに親しい友人たちからも、あぁだ、こうだ、と云えるものではないでしょう。当事者でなければ分からないことが確かにあるし揺れるハートじつは、人間だからこそ、そのあたりの心の機微こそが、それこそ一生を決定してしまうことも珍しくないのです眼鏡要するに、その時代の真実は晴れその当時に産まれて生きた人々にしか分からないし眼鏡そうした人々の数だけ、それぞれに真実があるものだと眼鏡僕は思っております。ですから僕は、小説という形でしか書けないし揺れるハートたとえば研究書とか論文などは書く気持ちもないのです。要するに、人間の一生すなわち歴史そのものに違いなく、それは他人があれこれ理屈をこね回すものではないexclamation×2と僕は考えているわけです。

とはいえ、いついかなる時代にも、やはり人の世の中にて人間社会に生きるかぎりは、普遍かつ不変であるべき人間らしい在りようも必需でしょうexclamation×2自他共を辱しめてはいけないexclamation×2自他共を傷つけてはいけないexclamation×2あまっさえ自他共を殺すなどは言語道断exclamation×2これらは、決して理屈や理論などではないのですexclamation×2眼鏡揺れるハート


まずは身だしなみから整えることもよし晴れあるいは産まれ育ちが…容姿にもあらわれる晴れどちらも、そのとおりでして…人を見かけで判断してはいけない晴れということも、大切なことに違いありませんexclamation×2

ただし、ですexclamation×2やはり、人間だからこそ、時と場所ということをわきまえなければならないexclamation×2という僕なんです揺れるハートこれらは人間社会にて自他共を尊重しながら共存するために必要不可欠な一つであるexclamation×2とも僕は思っております。ゆえに…面接して不合格と判断した校長さんにも同情しつつ、こうしたことを不適切だなどと糾弾する愚かさを、僕は心の底から嘆き哀しむ者なんです失恋
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 12:09 | Comment(2) | 歴史小説家菅靖匡の日常