2008年11月17日

歴史小説 幕末から現在に至る坂の上の雲の上から見おろす景色・・・

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高杉晋作坂本龍馬も、西郷さんだって怒っているぞ!!

坂の上の雲の上から、この国のかたちを見おろし続けているに違いないのは、僕の敬愛する高杉晋作(たかすぎしんさく)さんと坂本龍馬(さかもとりょうま)さん、それに勝海舟(かつかいしゅう)さんや西郷隆盛(さいごうたかもり)さんたち、いわゆる幕末という激動の時代に生命を捧げた皆さんだぜ!!
その御歴々に小突かれては、垂れる鼻血を拭くこともできない伊藤博文(いとうひろぶみ)さん、井上馨(いのうえかおる)さん、山県有朋(やまがたありとも)さんたち、つまりは明治政府にて初代の組閣した偉いさん方々なのさ!!

「俺ら、こねいな国を夢みて倒幕に懸命したわけじゃあないけのう、おう、利助【りすけ=伊藤博文さんの幼名で、高杉さんは大先輩であるため、呼び捨てられても、ぐすっとも云えない】よ、分かっとんのか、こらあ」
「すっ・・、すんませんっ、すんませんっ・・、けんど、こねいな国に成り果てたんは、なんも、わしらのせいじゃあ、ありませんきに・・・、どうぞ、こらえてつかあさいっ」
「阿呆っ!、お主らが初めじゃいかっ!」
 そう大喝した高杉さんは、またも拳固を振り上げてるんだぜぇ。
「まあ、まあ、高杉さん、確かに伊藤さんらのせいばかりじゃあないきに、まずは堪忍しちゃってつかあさい」
「坂本ぉ、こりゃあ、長州者の話じゃ。けんど、まあのう・・、利助よ、聞多【もんた=井上さんの通称】もじゃ、ここは坂本さんの顔に免じちゃるけえ」
「ああっ、ありがとうございますっ」
「おおきにっ、ありがとうございますっ」
 二人は泣きながら坂本さんに頭を下げたけどさあ、そこへ割って入っては、黒ダイヤのような眼を据えた西郷さんさ。
「いやあ、わしも明治政府のことは、とやかく云える者ではごわはんが、じゃっどん、だいたいは井上はんが、日本政府には初の汚職まみれの手本でごわそ」
「よせ、よせ、西郷さん、汚職なんてなあ、この日ノ本じゃあ、御家芸(おいえげい)みたいなもんさ。お江戸の幕僚だってそうだったさ、もちろん下世話じゃあ、岡っ引きだって、袖の下ってやつで
悪党どもと持ちつ持たれつ・・、責めるだけ野暮ってもんさ。おいらだって下界に棲んでたころは、清濁併せ呑んで、いい気なもんだったぜえ。でなきゃあ、とても無血開城なんてできゃあしねえよ。えっ、そうだろ・・、なあ、西郷さん」
「まあ、勝先生に云われたら、おいにゃあ、一言もありもはんが」
 やっぱ雲の上でも、さすがは勝さん、江戸っ子の小粋だぜ。
「けどよう、龍さん、この国のさ、近ごろの荒れよう、落ちぶれようは、どうだい。さすがに目に余る為体(ていたらく)じゃあねえか・・、濁ってる、腐ってるなんてもんじゃねえ。おいらの知ってる日本人てなあ、ここまで情けねえ生物じゃあ無かったはずだぜ」
「なんの、勝さん、俺が長州男児の心意気を見せちゃりますけえ」
 そう云って不敵に破顔った高杉さんは、手にしていた盃を勢いよく床に叩きつけたけど、なんせ雲だから、割れたりはしないのさ。
「見せるっちゅうて、高杉さん、なにを、しでかすつもりぜよ」
「まずは国会議事堂を焼き討ちにして、あそこに巣くう腐れどもを、たたっ斬っちゃるけえ」
「ちゃちゃちゃあっ、いかんっ、高杉さんっ、そりゃあ、いかんちやっ、なんもなんでも時代が違うがやきっ、わしらが生きちょった幕末とは違うきねやっ」
「時代じゃとうっ、そがあな曖昧なことを云うちょる成れの果てが、現在の日本じゃないんかあっ」
「まあ、まあ、お二方、そう熱くならずに落ち着いて、よくよく下界に棲み暮らした日々を思い出してごらんなさい。智に働けば角が立ったし、情に棹させば流されたもんでしょうに」
「なんじゃい、坊ちゃん、いや、本当は猫だと告白した夏目かよ。お主ら文豪っちゅうもんに国政のなんたるかが分かるかよっ。猫は黙って、ものを書いとりゃあええんじゃっ」
 物事を、ずけっ、と云うのが、良いも悪いも高杉さんの癖だぜ。
「手ひどいなあ・・、そりゃあ、吾輩(わがはい)だって本当は猫じゃあないんですからね、少しは政治にだって興味ありますよ。雲の上から見おろす近ごろの日本には、古き良き明治や大正のロマンなど消え失せて・・、ああ、また胃が痛くなってきたぁ」

続くexclamation&question・・・かもよ・・失恋

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 16:39 | Comment(0) | 歴史小説 幕末以降・・

子育てに悩む若いパパやママは、しっかり読んで見習えよ!!ハイライトスペシャル!!

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愛媛国縁起

傅人(めのと)と乳母(うば)と

      三
 はたして、卑弥呼(ひみこ)の暮らす水上宮中では、外社の庭園にけむるほどにほころびて満開を待つばかりの桜花よりもにぎやかに、そこここに集う巫女達の間でかしましく、まことしやかなる不吉話が、春のそよ風にも誘われつつ舞い乱れていたのである。
「卑弥呼様は、いかにおわしますのか」
「いよいよの気重(きおも)にて、目もあけられぬ御様子じゃ、と洩れ聞きましたことよ」
「あけられぬどころかえ。此度(こたび)お生まれの若子(わこ)様を、一目見た途端に、目がつぶれたとか」
「何でも若子様には、嘉汰耶(かたや)様が、この地より駆逐しては遠く出雲にまで追い堕とした神々の祟(たた)りが、怨念塊(おんねんかい)となって憑(つ)いておわすそうな」
「ああ、おとろしや」
「そう云われて、つくづく思い出してみますれば、撫子(なでしこ)様のご懐妊あそばされし時、鼻が大蛇、耳などは無花果(いちじく)の葉よりも広く、長い牙が反り返って生えた化物が夢に現れ、その者と夢中に狎褻て、ついに種が植わったと申されておりましたなぁ」
「その事よ。あまりに恐ろしゅうて卑弥呼様が七日ほども寝ずの祓いをいたしましたよ」
 これは事実であったらしい。もっとも、撫子はけろりとして汰雅志嘉(たがしか)に夢を打ち明けたのを、むしろ聞いた汰雅志嘉の方が怯えて、卑弥呼に頼み込んだものではあったが・・。
「卑弥呼様が、うわ言には、ついに天地の終わりじゃ、などとうなされておらるるよし」
「ああっ、怖や、怖や、おとろしやあ」
「ほんに大大凶じゃのう、ついには、この世も末じゃわなあ」

 ともあれ宮のあちこち、巫女達が集いて噂にまことしやかな装飾をちりばめている中へ、覇津華雅(はつかが)は乳母探しにやってきた。
が、卑弥呼に目通りは叶わず、その実娘である奈良夜(ならや)に頼らざるをえなかった。
 この時、奈良夜は自らも身ごもっており、不吉の噂も相まってか、鈍い返事で応じた、という。
その胎児こそが、のちに都祢那賀(つねなが)の許嫁(いいなづけ)となる那薙(なち)姫であったのは、まさに縁の織りなす絶妙と云おうか、はたまた皮肉とも書こうか・・。

 云わでものことだが、乳母になるには、当然、乳が出なくてはならない。これでまず、大勢の巫女の中から限られてくる。
その中で、さらに相当に身分の高い者でなければ、とてもではないが、嘉汰耶の家の乳母になどはなれまい・・。
「この際、容姿などは問わぬとして、頭は賢く心根の良き者でのうてはなりませぬぞよ」
 と、奈良夜は自らの側近達に指示した。
しかし、覇津華雅は
「何の。乳の出る女を集めて下されば、後はかまいませぬわい。吾が目で選び決め申す」
 と、例の割鐘のごとき大音声で豪快に笑い飛ばし、呆気にとられた側近達を
「早う、はようせい」
 と急かして広間に集めさせ、今度はいかにも深刻げに・・
「此度の御祝儀、当家も困惑極まっておる」
 と云った。
乳母候補として集う巫女達の間には、それが溜息ともなって伝染した。
「皆、苦労じゃったな。この大大凶、そち達に被せるには、やはり、あまりに忍びないわ。巷にて探すほかあるまい。もう散ってよいぞ」
 と云うと、皆、口々に残念がっては悲痛な面もちで、ただ足どりばかりは、いそいそと立ち去ってゆくのである。

(阿呆共めら・・)
 覇津華雅は胸中で吐き捨て、こうとなれば、たとえ婢【はしため=奴隷の女性。当時の奴隷などは敗戦国の民衆が堕とされた。奴隷の男女を、奴婢と呼んだ。】の中からでも最良の者を見つけ出してくれるわい・・と思いつつ、その場を去ろうとした時である。
「あの・・恐れながら・・」
 と、ぽつりと残っていた巫女の声が、彼の歩みを止めた。
《はてさて、この女の名を宵襠とやら・・》
などと『媛国攻陣始末記』に物憂げに記しているが、これは名が不明確なのではなく、身分が低い事をあらわしているのであろう。
 なぜ、と問われるならば、いざ仕えたは、女王卑弥呼でさえ逆らえない大将軍・嘉汰耶の家であり、後に不世出とも語り継がれる都祢那賀の乳母なのである。名の残らぬはずなどあるものか。
以後、宵襠(よいまち)と明記す。

 この時、宵襠は二歳になったばかりの女子を持ち、己は十八歳だ、と覇津華雅に告げた。しかも稚児が女子であるから宮中で養育されておるために、亜子には一切の手がかからない、とも云ったらしい。
「ほうか、ほうかよ」
 と、覇津華雅は奇妙な相槌を打ち、しかし、さらに脅した。
覇津華雅いわく・・
「巫女に祟るは七世後まで、とも云うぞや」
 悪霊などの不吉を禊ぎはらうのが巫女のつとめの一つであろう。
その巫女をも祟るほどの力を持った大大凶ならば、七代後の子孫にまで害をおよぼすぞよ、という巫女唄である。
すると、宵襠は美しく整った顔をほころばせ
「その唄は・・」
 と、胸の辺りに手をそろえ、小さな鼻孔を微かに動かして軽く息を吸い込み・・
「祓いおおせば十世の富貴」
 と、か細い声で歌った。覇津華雅を見上げる目が、いかにも涼しげであり、白魚のような指先に桜貝のごとき爪が、いかにも清楚に並んでいる。
「わたくしは、この一生のうちに富貴などは望みませぬ。ただ・・」
「かまわぬ、何なりと申せ」
「祝が勤めの巫女どもに、大不吉じゃ、などと呼ばわるる御若君様が・・」
「不憫(ふびん)かや」
「恐れながら・・、それに」
 自分が身ごもっていたある日、たまたま通り過ぎる撫子様が、めでたき事じゃ。大切になされ・・、と微笑んでくれたのでござりまする」
 と、この娘は云ったのである。
「その・・・ただ一言で、未曾有の大不吉とやらを、その全身全霊に背負うかや」
「はい」
 身分の低い己なれば、なおの事、その一言と微笑のために死ねまする、とて、また笑った。
「よっしゃ、決めたわっ、都祢那賀様の御乳母役、このとおり、お頼み申す」

「あいや、待ちゃれ、大将帥様には暫し、暫しお待ちをっ」
 と、このやりとりを傍観していた奈良夜の側近達が慌てた。
 決まったなら決まったで、何やかやと口やかましいのが宮中に集う巫女の性であろうか。やっかみと嫉妬も混じってであろう、宵襠の身分の低さを明言してなじりもした、らしい。
「阿呆どもめが、やかましいわ。まこと良き乳に、これ身分の差などあるものかよ」
 覇津華雅は戦場の真っ直中で叫ぶほどの大声を張り上げ、いっそ仰天して腰を抜かした宮中巫女達などには、もう目もくれず、宵襠をさらうようにして水上宮を出て、架け橋を渡り戻るや、繋いであった馬に乗せ、己も相乗りに飛び乗って、あとは鞭をいれた。
「重畳、重畳、今日より、そちが育む都祢那賀様こそはのう、いずれ嘉汰耶様をもへこますほどの大将軍様ぞっ、まこと稀代の大将じゃっ、嬉しやっ、嬉しやのうっ」
「はいっ」
 生まれて初めて乗る馬上、もう宵襠は必死で覇津華雅にしがみつき、必死で叫び返す。
まさに都は春爛漫、鳥がさえずり花咲き乱れる季節であった、とある。

                 四
 馬は二人を乗せたまま、大門をくぐり、嘉汰耶の屋敷へと駆け込んだ。日の暮れには、まだ間がある頃であり、今朝方産まれた都祢那賀は、いまだに母屋を出てはいないらしい。
武門の心得とて、嘉汰耶と汰雅志嘉は裏庭の矢場で弓を引いていたが、覇津華雅参上の知らせを聞いて中断し、井戸で二三度水を浴びて汗を流した。着替えて着座するまでに、覇津華雅は、つないだ馬に水をやり、飼葉桶(かいばおけ)を運んでやっている。
桶の中身は煮てから冷ました大豆に粟粉と青草を混ぜた物で、これが軍馬の常食であった。大豆などは屋敷の備え物をゆずってもらったが、調合して与える事は覇津華雅自らがやる。彼は平時はもちろんであるが、戦場においても、自分の馬の面倒はすべて自分でみていた、という律儀者である。
馬という生物は、確かに繊細で、かつ賢い感性を保っているのだ。
「戦場にては、馬こそが己を生かし働かせてくれるのぞ。ゆめ粗末にするな」
 というような主旨を含めて、この男は常々にも部下達に訓戒しているのだった。

「変われるもんなら、いっそ軍馬になりたやのう」
 とは多くの庶民の嘆きであり、農作業などする時には皆で歌いながら労働した。兵舎の馬屋番に当番した者が馬の飼料をくすねては家族の食を助けている、と公然と云われたほどに軍馬は、あるいは人間以上に大切に扱われている。むしろ大量の軍馬を養うためにこそ、庶民は重税にあえいでいたのであろう。その御馬様が飼葉桶に頭を垂れて、ゆっくりと咀嚼し始めたのを見て満足げに目を細める覇津華雅の側で、宵襠は広大な屋敷のあちこちを、さも珍しげに見やっていた。
 さすがは荘厳といえども、また宮中とは違ったおもむきがあり、しかも、これが一家族の住屋であるのか・・・という素直なる驚きも、この宵襠には隠せないのである。
呪術よりも恐るべきは軍人とも云う、ことに武将は国の至宝ともいうべき実力であろう。
「女王様でも、めったには逆らえぬ、とは聞きおよんではおりましたけれど・・怖や」
(怖や、とは、なるほど己が心情に正直な、やはり、この女に決めてよかったわい。)
一見、執心に馬を世話している間も、覇津華雅は軍人らしい観察を忘れてはいない。

 やがて若い番兵が駆け寄ってきて、嘉汰耶達が身なりを整え着座した事を告げた。覇津華雅は同日再び、嘉汰耶屋敷の、先刻にも踏み鳴らしたる同じ階段に足をかけた。
後に続く宵襠の足元などをさり気なく気遣ってやるあたり、単なる女嫌いでもなさそうな。この男が独身を通す理由、よほど難しそうではある・・。
「うぬが仕事の迅速なるは承知じゃが、これには驚く」
 と、嘉汰耶が目を見開いて、宵襠を見たのも、その理由が難解な証の一つになろうか。覇津華雅は慣れているらしく嘉汰耶の芝居けにはとり合わず、きっぱりと平伏しつつ
「御若君、都祢那賀様の乳母女にござる。名を宵襠と申す巫女にて、聡明なる事、その見目に違わず」
 と、言上したものである。
そこで、初めて宵襠は慌てて平伏した。
「宵襠にござりまする。よろしゅうに、おひきまわしのほどを」
 所作の機会や言葉遣いに、身分の低さが滲み出ていた。
が、すべてを覇津華雅に委せる、と云い渡してある、というより以上に、老練な審眼が宵襠の本性を見抜いたのであろう。
嘉汰耶は満足げに顎をひいた。

 一方、本来ならば、この挨拶儀を仕切らねばならぬはずの汰雅志嘉は、終始無言で通している。
そんな息子の若気をも、嘉汰耶は泰然と黙殺した。
「覇津華雅よ、慣例に従いて都祢那賀をゆだねるは一月後じゃ。間に合うかえ」
 嘉汰耶が問うたのは、都祢那賀が寝起きするであろう新居の事である。
「たった今より暇いたし、吾が知りおきの建師(たてし)に手配いたしまする。何、報酬をはずみ、昼夜を問わずして行えば、期日に半日たりと遅らせるものではありませぬわい」
 産まれて一月の間を実母の手元で育むは、実母の匂いを覚えさせるためである、という。

 例えば牛馬などが産み落とした我が子の身体を丹念に舐めてやるのが、あるいは産湯変わりであろうか。これが母子の縁の契りでもあろう。卑弥呼の近従巫女が産湯を使わせた、と前述したが、実は定かではない。当時、母屋の内の母子事は神聖にして冒すべからざる秘事であったため、吾【あ=乃麻埜】の生ける今【天平時代】の風習を当てはめ、推測をまじえて描写した事、このくだりの筆運びにて、殊更にことわっておく・・。

 さて、建師を手配した後の、その夜、覇津華雅は、おおいに弱り果てているのだった。たちまちは、れっきとした女性である宵襠の寝る所に、であったろう。
「そなたは屋内で寝そべれ。わしは外で寝る」
「よいではありませぬか」
 乳母役を受けた時に覚悟の前です、とて宵襠は微笑した。
が、覇津華雅は・・・
「草に寝て星など見上げ、戦場を懐かしむのも一興じゃわい」
 そう云って、きかない。なぜ、それほどに女性をきらうのか・・。
「住屋の建つまでの夜毎を、そうして、遠い戦場を懐かしまれるおつもりですか」
 嫌味でないことには、宵襠は、その美しい顔に、うずうずと笑みを浮かべて云うのだ。
「それこそが、武骨なる武将の風情とも云うものじゃわい」
「夜ごとに星は望めませぬ。衣の濡れる雨の夜には何としょう」
 宵襠は、ほろほろと笑いながら、いかにも頑固げな覇津華雅の仏頂面を見やった。

(美しい女じゃ。これは、なかなか・・気を抜けぬ事になったものじゃわいなあ・・。)
 うっすらと夜露をふくんだ草の大地に寝そべって、鳴るほどに満天の星空を眺めながら、覇津華雅の胸中には、ふと云い知らず寂寥(せきりょう)の念がこみ上げていた、とある。

 翌朝、そんな寂寥は、彼の眼耳鼻舌身意ことごとくを刺激する具象として現出した。〈朝餉〉という名の寂寥であった。覇津華雅の暮らしぶりは、いたって質素である。
この男は戦場の倣を日常としているのである。苫屋内の地面を切った囲炉裏のそばに大人の腕で二抱えもありそうな欅を輪切りにして食卓にみたてている物が、唯一の家財道具と云っていい。
潤沢に下されているはずの扶持を、いったい、どう使うているのだろう。
水場をさがしても食物を盛る土器などは無く、酒壷と大ぶりな素焼盃が一つきりである。食事は、蓮葉(はすのは)や無花果葉(いちじくのは)に盛って済ませており、献立といえば干飯(ほしいい)を湯か水で戻した米に梅干か塩辛なのである。
たまに野生する季節の生菜と、自ら釣ってきた川魚に塩か味噌を塗って串焼にした物が葉上に載った、おそらくは、これなどが酒の肴なのであろう。もっとも、茹でて冷ました大豆は馬が食うから、たとえ干飯をはぶいた日にも食っている。

 周知のとおり大豆は極めて栄養価が高い。
余談だか、この頃にはすでに納豆も在った。戦場における偶然の産物であったらしい。『媛国攻陣始末記』によれば、嘉汰耶が急進軍する際、茹でた大豆を冷まさないまま藁(わら)で包んで重ね、馬の背に乗せた事がある。野営のたびに馬に喰わせたが、最後の荷が腐って糸を引いていた。すでに兵糧も残り少なく、馬に喰わせたところ嫌がるどころか実に旨そうに喰らい、しかも目に見えて元気を回復した、という。
そこで何と、嘉汰耶は飼葉桶に手をつっこみ、自らが食ってみたのである。
その後、彼は〈粘豆〉と名付け、意図的にこれを量産させ、兵糧に採用した。極限の臨機応変を必要とする戦将として、このあたりも嘉汰耶の非凡であろう。
梅干や塩辛、味噌なども充分な栄養を含んでいるから、軍用食として成り立っている。
覇津華雅が食する、これらの献立は、いわゆる野戦時の軍用食であった。

 余談ついでに、この男は軍事に長けているだけに、手練(てだれ)の猟師達が舌をまくほど狩猟が上手い。馬を遠駆けするついでに狩るのである。ただし、獲物を自分の口に入れる事は滅多にない。獣肉を食するのは奴婢(ぬひ)などの下層民と庶民であり、支配階級に属する貴人達は菜食を主としていた。これなどは宗教的理由というより、おそらくは、女王である卑弥呼の影響による、いわゆる特権意識の表れ、と理解した方がより適当であろうか・・。

 平素の彼の朝餉は干飯もしくは納豆と梅干のみ、夕餉は酒と塩辛に時おり焼魚などで済ませていた。そんな彼の食卓に、今朝の献立はどうであろう。干飯を湯でもどし、丁寧に水気をきった強飯【こわいい=硬めの飯。現在のように柔らかく炊いた飯を姫飯(ひめいい)という。】に、納豆の他、梅干が二つ、わらび菜とみょうがの和え物に竹の子の刺身、盃を椀がわりにした田螺汁(たにしじる)からは湯気が立っているのだった。品数の多さもさることながら、いったい、この女はいつの間に、これほどの食材をそろえ、しかもそれを料理したのか・・。

(これは、いかぬ。俗世の幸福の薫りには、男の鉄腸もとろけてしまいそうじゃわい。)

 宵襠は聡い。覇津華雅の表情を読んで、ほろほろと微笑しつつ「今朝よりは御覚悟めされませ」
 と云った。
「何を、じゃ」
「もはや、飼馬に馳走はいりませぬ」
 そう云って、じっと覇津華雅の眼を見つめた。微笑は消さない。
「・・ふむ」
 傅人役を受けた以上、もう出陣はない。あるとするならば、それは都祢那賀の初陣、はるか後の事であろう・・。
したがって、今飼っている馬は、すでに軍馬ではあるまい。
つまり、生命を賭けた戦場での過激な運動を強いられる事のない馬に、昨日までのような栄養は要らぬ、と宵襠は云うのである。
馬に食わせる大豆を減らし、ういた大豆と、田螺や竹の子などを近在の者達と交換してきたらしい。
 大豆は貴重品であるから、それでも余った。その分は、覇津華雅が食うべく、眼前の食卓に並んでいる。
「今朝よりは覇津華雅様にこそ、滋養ある馳走が要りまするもの」
「うむ」
 もはや覇津華雅の生命は、彼一人の存分には始末できまい。
都祢那賀を立派に育て上げるためにこそ、彼は心身堅固を保たねばならないのであった。
「さあ、たんと召し上がれ」
 宵襠は、明るく無邪気に、有り難き朝餉への初箸をすすめている。
「おうさ、わしも肚(覚悟)は出来ておるわ。据え膳は食う。が、じゃ。その前に」
 覇津華雅は朝餉を前に姿勢をただして座り直し、宵襠の眼を見据えた。
「わしは、自らを誉めているのぞ。そなたを乳母様と決めた事を、じゃ」
「もったいなき事にござりまする」
 宵襠も調子を合わせたのであろう、膝をあらためて平伏した。
「それ。それが、いかんわい」
「えっ」彼女は両手をついたまま、わずかに顔を上げ、覇津華雅の眼を観ている。
「今朝よりは、そなたとわしは同等・・いや、そなたが上、と云うてもよいほどぞ」
「・・・・・」
 いや、生身の人としては、今生に許されることではないほどの重大事であったろう。
邪馬台における身分差別こそは、よく三十余国の連合を支えるための一大事なのである。
「おっ、恐れ多いことを・・、きっと罰が当たりまする」
「おおさ、当てらるる罰なら当ててみよ、当たるものかよ。そなたと、わしはのう、若様の御前にては同等の者ぞ。しからばじゃ、飯も同じゅうし、行儀なども気遣い無用ぞよ」
 さらに・・
「同じ物を一緒に食べ、内外にかかわらず身分の上下もない者じゃ」
 と明言した。
「内外にかかわらず・・でござりまするか」
 桜貝のような宵襠の頬から微笑が消えた。
「おう。嘉汰耶様の御前はもとより、宮中においても、わしと同等にふるまえ」
 そうでのうては都祢那賀様の乳母様役はつとまるまい、とまで、言葉にしてやっている。
聡明なゆえに、身分の低さ、という劣等感は、逆に拭いきれまい。
そう察した上での、覇津華雅の気遣いである。
「若様の乳母様である、そなたが周囲に気遣いして低く出れば、その分だけ都祢那賀様が軽うなるのぞ、これ人の世の風情とも云うものじゃ。今宵より、きっぱりと聞き分けよ」
「はい、傅人様の思いやり、乳母として、しゃんと心得ました」
 宵襠は再び深々と平伏し、つぎに顔をあげた時には平素の微笑を浮かべていた、という・・。


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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 09:13 | Comment(0) | 連載長編小説 当ブログ用

音楽のある生活、歌謡曲の流行る時代の幸せ…2音楽

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今でも、僕は…音楽っていうものは、技術じぁあないぜ!感性ってやつだぜ!!
と信じています晴れ
まあ、自分が下手だから、言い訳してるんでしょ失恋
と云う人々もいるでしょうけどね…晴れ
いや、演奏するためには、当然ながら技術があるほうがいいのでしょうが…要するに聴いてくださる人々の理性を突き抜けてキスマーク心を震わせることができるのは、やっぱり技術じぁあないぜ!!と思っているんです黒ハート

小学生の頃には…

さても…産まれて三年ほどは大変に病弱で…それでも助けていただきました感謝の意を幼心に刻んでは…いつか僕もお医者になろうとて…まずインターンから…と思いついては、近隣の女の子を説得しつつ、お医者さんごっこに励む揺れるハートいたいけな幼児も、やがて小学校入学です晴れ

こうして、あらためて思い出せば…自分でも不思議な気持ちになるくらい…その日の出来事を、まったく克明に覚えている僕なんです眼鏡初めて教室に入っては担任の女性教師【もっとも、当時には、女の先生、と云ってましたが】の指導のもと…同級生となったお友だちに、それぞれ自己紹介するために一人ずつ…いわゆる教壇に立つんです。

すると、先生は教室の前方…運動場に面した窓際に置かれた古いオルガンでもって…起立、礼、着席、という定番のコードを弾きまして…もちろん、みんなは着席のままで頭だけ下げますが眼鏡教壇に立った子は…緊張しながら、気をつけ【体育系の先生の発音は、きょーつけぇ!でした】して、カキッ!コキッ!ギクシャク!?って感じで揺れるハートそれぞれ自己紹介してゆくんです。
「なんでもいいから、いまの自分の一番好きなことや得意なことをして、お友だちに教えてあげましょう。思いつかない人は、好きな食べ物のことでも何でもいいからね、大きな声でお話してね」

みんな、出席簿順に呼ばれましては…たとえば、しゃんしゃん【しっかり晴れという意の方言】した女の子なら、自分でオルガン弾いたり、ハキハキと得意なことを喋ったりしますが、だいたい男児は、妙に照れた感じでモジモジしたりグズグズするヤツが多くて…やがて僕の番になりました晴れ

黒板を背にして、右方に先生のオルガンという立ち位置で…みんなが僕を見つめています揺れるハート僕は、大きな声で好きな唄を歌いました晴れ歌っているうちに、後ろのほうの男児が二人…お互いの顔を見合わせながらクスクスって笑っておりました失恋

やがて、入学して初めての放課後…みんなで手分けしてお掃除の時間…僕は、教室の後ろにある掃除道具の収納ロッカーからホウキを取り出しては…その柄で、僕を笑ったお友だち二人を晴れ思い切り叩いてあげました晴れ

さっそく校長先生が、僕に会いたい…と、大変にお忙しいなかにもかかわらず、わざわざ面会を申し込んで下さり…少し帰りが遅くなることまで気遣って下さったらしく…校長室には母まで招待していただきました揺れるハート

続く…

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 06:41 | Comment(0) | 音楽の風景