2008年11月18日

橋下府知事!塩谷文科相!教育改革にむけて頑張って下さい!

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国際社会で通用する人になるために・・

 明治時代の偉いさんが、きっぱりと云い切ってます。
「教育は、国家百年の計である」

 僕は、以前にも当ブログに書かせていただきましたが・・・
「そもそもホモサピエンス=ヒト=人という生物は、産まれ育つ環境によって、ざっくり云いますと、まさに動物に近い者にも、あるいは人間という者にも成長しうる」
 と信じている者です。ここに云う人間とは、自他ともを大切に尊重し合い、共栄共存を望み、かつ、どういう形や手段であれ社会にも貢献できるような人格を目指す、そんな人を指しています。

 じつは、こうしたことを学ぶための、もっとも有り難い教科書あるいは参考書とでも想えるのが、歴史というものだ、と僕は考えている次第なんです。歴史とは、ややこしい年表とか人名とか出来事を覚えるものではなく、まさに地球上に生きとし生けるすべての黒ハート生命黒ハートの尊い貴重さを事実でもって教えてくれる!そんな有り難いものである・・、と僕は信じているわけなんです。

 さて、ともかく人間にとっては、人類有史以来などとも申しますように、この地球上にて、ある日、どうにかして誕生した生命が、ただの一度も途切れることなく紡ぎ続かれた奇跡によって、今日の僕らが生きて存在できておりますことに間違いないのでして・・、だからこそ、有ることが難しい、にもかかわらず、こうして生かされていることに感謝しつつ、有り難うございます!と云うんです。

 ともあれ、今日の僕としましては、たまたまインターネット上のニュースにて、橋下府知事が教育について述べられた模様を知り得る記事と、塩谷文科相が、国歌斉唱と国旗掲揚の折りには起立するのが国際的にも常識である・・、とおっしゃった、という記事を読んだものですから、ついつい熱くなりまして、こうして書かせていただいていることなんです。

 橋下府知事のおっしゃったという・・
「社会を意識するためには、国歌や国旗を意識せねばならない」
 まったく僕も同意見でありまして、まず自分の生まれ育つ国、すなわち自分の立つ足元を、しっかりと尊敬しつつ見つめ知ることなくして、どうして複雑きわまりない社会生活を営めましょうぞ!
たとえばオリンピックや何らかの国際大会にて、それぞれの国々の人々が、まこと謹慎もて自国の国歌を歌いつつ国旗を見上げる姿の美しさは、どうでしょう。これができない国、その国民を、他国の人々は、どう観ることでしょう・・。

 また、躾(しつけ)というものをしなければ、人は人間として成長することが難しい・・、とも僕は考えています。
この、躾というのは、たとえば、人を殺傷してはいけない、とか、窃盗してはいけない、とか、嘘をついてはいけない、などなど・・、およそ人が人間社会のなかで互いを敬愛しながら共存共栄を望むために必要不可欠な決まり事でありまして、もちろん他人にできるだけ不快感を与えないための生活習慣なども含まれましょう。これを三才までに、まこと叩いてでも理屈抜きに教え込まないと、頭脳、情緒、心というものの発達、という観点からも重大にして取り返しのつかない欠陥もしくは障害を残すそうですよ・・。

 さらに、こうした躾というのは、それを行わねばならぬ年齢からも明らかなように、まったく両親の責任によるものでありまして、
これを学校に依存しつづけたあたりが、まさに昨今の日本の悲惨さの根源の一つに違いない、とも、僕は思っているものです。

 お陰様にて僕は、両親から厳しく躾けられて育った幸福な一人です。もちろん日常には、嘘もつきますし、今までに多くの人々の心を傷つけたり、女性を泣かせたり、むろん泣かされたりもしましたが・・、それをやっちゃあお仕舞いだよ、というようなあやまちだけは、何とか犯さずにおります。
また、小学生になってからは・・
「先生、この子が何ぞ悪いことしたら、叩いて教育して下さい」
 と両親ともが口をそろえて申し入れましたので、ことに三年生くらいからは、よく叱られ、よく叩かれたものです。
もちろん、それもまた、心から有り難く感謝しきりの昨今なんです。僕が児童とか生徒であった頃には、ちゃんと倫理とか道徳という大切なものを教えてくれる授業がありましたし、学業にしろ運動会にしろ、しっかりと順位、優劣が示されたものです。
それも、本当に有り難いものだった、と懐古しおります。

「しっかり勉強しなさいっ!そうせんと、お父ちゃんみたいになってしまうよっ!そんで、ええのっ?!」
 僕は、いわゆる学業には興味の無かった者ですが・・、こういうようなことを血相かえて云うのは、どうかと思います。
なってしまう・・、と云われたお父ちゃんの立場と心情もさることながら・・、そんなお父ちゃんと結婚したのはアナタやろ、とも思います。そうして、そんなアナタとお父ちゃんの間に出来た子ぉやろ・・、とも思うんです。ようするに・・
「自分らが学生時代のカタキを、子供にとらすなよ」
 ざっと、そんなことを想いつつ、あらためて本日記事の橋本府知事と塩谷文科相には、諸手を挙げて大賛成する僕なんです黒ハート

 歴史における年表などには、たしかに時代別区分というものが設けられておりますよね。しかし、現実としての人類史には、そんな時代別の区分などありません。
 この大宇宙誕生以来、ただの一瞬、刹那にも、時の流れは止んでいないはずですし、今日現在に生きる僕たちの生命というものは、たとえどんなにもつれたとしても揺れるハート決して途切れることなく繋がっているんですからね黒ハート


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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 16:16 | Comment(0) | 歴史小説 時代別って何?!

音楽のある生活、歌謡曲の流行る時代のしあわせ・・3

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音楽ダウンロードなんて、夢のまた夢どころか・・、想像すらできなかった頃の話です・・。

「人が一所懸命にやっていることを嘲笑しちゃあいけないよ」
 そんなことを、お友だちに教えてあげようとして、ホウキの柄で思い切り頭を叩いてあげたピカピカの小学一年生は、さっそく校長先生のお招きにあずかり、なんと母親までもが校長室に接待されたのでありました・・失恋
「まあ、まあ、お母さん、男の子っちゅうのは、このくらいの元気がないと、いけませんけんねえ」
 本当に、こんなふうに大らかで頼もしい教育現場であった、そんな時代に育った僕は、ここは真面目な話・・、心の底から幸せだったなあ・・、と、つくづく感謝しきりの毎日なんです黒ハート

 ともあれ、さすがに小学生ともなると、もう僕の=将来はお医者さん=という大志を理解しつつも、快く患者さん役を引き受けてくれる女の子もいなくなりまして・・、とりあえずは実地研修を断念せざるをえなくなったわけです。しかし、人間の成長というものは、じつに絶妙というほかにないものでして・・、ちょうど、その頃には僕も、女の子と遊ぶよりは、男の子どうしではしゃぐほうが楽しくなったものです。
 また、両親はじめ先生方や周囲の大人の皆さん達が眉をひそめて
「こんなこと、してはいけません!」
 という、そんなことが・・、やってみると意外にも大変に面白く楽しいものであることに気づいたのも、やはり、この頃でした。

 学校の帰り道は、定められた通学路をはずれて、いわゆる寄り道したほうが、はるかに有意義で充実しておりますし、禁止されている買い食いをした折りには、安い駄菓子のなんと美味しかったことでしょう。
 近所のお百姓さん方が、雀など、農作物に害する野鳥を寄せつけまいとして、それこそ一所懸命にこしらえた案山子などには、僕らがどんなに叩いても蹴っても文句も泣き言も云わない辛抱強さを教えられましたし、そこに吊ってあった水中メガネを拝借して、聞き覚えたクレージーキャッツの名曲をるんるんスゥイ、スゥイ、スイダラダッタ、スラスラスイスイスゥイるんるんと大声で唄いながら道を泳いで帰る途中には、すれ違う人々が、みな微笑んでくださいました・・、が、家に帰ると、僕を一目みた母は泣き出しました。

『のぶちゃんは、元気がよく、リーダーシップにもあふれていて偉いね。もう少し真面目な集中力があったら、もっといいな』
当時の連絡帳や通信簿には、つい暗記できるくらいに書かれつづけたものです失恋

 そんなふうに過ごした低学年時代も、馬上少年過ぐ・・、とでも申しましょうか。中学年になると、また一段と厳しい男先生が担任となりまして・・、かといって、道草(みちくさ)や買い食いや、あるいはスカートめくりなどが、先生のビンタと引き替えに諦められるようなものではなく、しかも心身ともの発育は、ますます盛んなのであります。図画担当の女先生の指導のもとに行われる写生の時間には、しゃがんだ女先生の正面にまわり込んで、地面にホッペをすりつけなければ見えない光景こそが、僕ら至福の時でした。
「各自いっそう奮励努力せよっ!」
 こんな僕の号令に、仲良しグループのみんなも張り切ったものです。まるで無防備な女先生の白い太ももは、こうして書きながら思い出しても、まるで昨日のことのように鮮明な像を脳裏に浮かび上がらせますが、そのあと、したたかに頂戴したビンタの痛みなどは、ついに忘れてしまっています・・・、○○先生、有り難うございました!!黒ハート

 僕の通う小学校に、いわゆる剣道会なるものが発足したのは、ちょうどこの頃、僕が小学三年生の時です。師範の先生は小学校の近所に住む、剣道界では愛媛県下に屈指の偉いさんで・・、当時の僕にとっては幸か不幸か、本家の伯父さんや父も懇意の方でした。
「健全な肉体に健全な精神が宿る!その逆もまた然り!」
 これを聞いた伯父さんや父は、すぐさま僕を頼むことを思いついたらしく・・、しかし・・、なにしろ剣道には防具が必要だし、重いものだから、まずは小学四年生からでなければ難しい、とのこと。しかも、当時には広く流行っているものではないためか、市販されている防具は標準サイズしかなく、しかも高価だぞ・・。
「かまんっ。のぶは身体も小まいけんのう、既製品が大きすぎるんやったら特注してでも買うたるっ。頼むけんっ、入れてくれっ」
 幼少の頃には病弱であったため、ついつい甘やかしたことを反省したという親族の切なる願いにて、僕は剣道を始めることができたわけです。ここも真面目な話・・、今では、つくづく有り難い!と感謝しきりです。

 さあ、これで少しはおとなしくなるであろう・・、と周囲の大人の方々は安心なさったことでしょう。
(ようやく、私の手にもおえそうね・・。)
と、想ったかどうか・・、は知りませんが、音楽担当の女先生が、僕に急接近しては、さも勢いこんでくれたのも、じつは同じ頃です。
「のぶちゃんには間違いなく、音楽にもセンスがありますっ」
 夏休み前の懇談会などで、つよく母を説得したもので・・、こうして僕は小学校の合奏部に入れられました揺れるハート
なんと、まず命ぜられたのはハーモニカ・・、それも授業で使っている安物ではなく、吹口が二段に分かれている高級品でした。

(これで僕も、いよいよ文武両道をゆくかよ・・。)
などと、ゆめにも想うわけがない僕でありました・・。

続く・・黒ハート

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 13:22 | Comment(0) | 音楽の風景

日本古来の子育てに学ぼうぜ!!スーパーハイライトデラックス!!

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愛媛国縁起

殊里(しゅり)

 覇津華雅(はつかが)の屋敷である広大な領地内には、天然の小川がゆったりと流れている。浅瀬の清流であり・・
「初夏には鮎などが泳ぎ、竹筒を仕掛ければ見事な鰻もとれるのぞ」
 早朝、宵襠(よいまち)を連れだって散策しつつ云う覇津華雅は戦場灼けした顔をほころばせ、まるで猿松小僧(さるまつこぞう)のようである。
あるいは、はたから見たなら、やや老いた男と若嫁の新婚情景であったろう。
「真夏の宵には河鹿蛙(かじか)が喧(かまびす)しく鳴いてなあ、せせらぎに相まっては涼しいものじゃ」
「楽しみにございます。その頃には、あの騒がしい音も消えておりましょうなあ」
 すでに、住家の建築が始まっているのである。
覇津華雅が懇意にしている建師が手子衆【てごしゅう=土工や石工、大工など】を威勢よく指図して地均しと柱を立てる穴掘、さらに建築資材である巨木の搬入を同時にさばいて進めているから、今未明よりは、まるで村祭りのような賑やかさであった。
「うむ。あの建師は手練じゃからな。ただ、暫くは始終なき祭りじゃわい」
「いっそ笛鼓を呼んで、在所の人々とともに、夜通し踊りでもいたしましょうか」
「ええのう。都祢那賀(つねなが)様の生誕祭礼とすれば、後々にも、よき祝い事ともなろう」
「思うたが吉日、いざ今宵に間に合いますように、さっそく手配いたしましょう」
「おうさ、ええわい。こりゃあ、こりゃあ、何とも楽しみな事じゃ」

 さても、覇津華雅屋敷には、近在の子供達が大勢で遊びにやってくる。それも、宵襠が入ってからは、人数がずいぶんと増えた、というのである。初めの頃は、宵襠を一目なりと見ようとて、大人達までがおしかけた、ともいう。
「この度は、覇津華雅様には、えらいおめでとうさんにござりまするそうな」
 などと、変な挨拶をしては、きょろきょろ、と屋敷内をのぞき込むのである。平素、庶民には気さくな覇津華雅は、妙な照れ笑いを浮かべつつ応対したらしい。
「しようもあるまい。祝いの酒など振る舞ってやろうか」
 と、宵襠をうながした。
待ってました、とは云わないが、おおかたの大人達の目当ては、これなのである。
「こりゃこりゃ、ありゃりゃあ、こりゃほんまにもう、えらい、すんまへんなあ」
「こないな別嬪はんに注いでもらうやなんて、もう死んでもかめしまへんわ」
「いや、ほんまのことでっせぇ。ああ、美味い。こりゃあ極上の酒やがな」
「ほんまにもう、たまるかいな。いつ黄泉国とやらのお迎えがきてもよろしおまっさあ」
 そんな軽口をたたきつつ、あつかましくも毎日通ってくる者までいたらしい。

 子供達とて宵襠の笑顔と、彼女が出してくれる果実や茶子【ちゃのこ=菓子】などが嬉しいのである。さすがに農民の子が多い。
商家の子や猟師や漁師の子に兵士の子、それらに混じって何と奴婢【ぬひ=いわゆる奴隷】の子供達まで集っていた、というあたり、おおらかなものであった。
覇津華雅も宵襠も、親の職がらで分け隔てなどはしない。

 ただ、そんな子供達の中に、目立って行儀のよい男子がいる。
身なりはよくない、が、生まれながらの上品が容姿に滲むような、子供ながらに涼しげな眼が、いかにも利発そうに光っていた。
「坊は、なんぼなん」
 覇津華雅の苫屋で暮らし始めて三日も過ぎた頃、宵襠は問うてみた。
「四つになりまする」
 と答える男子の、わずかに舌足らずで透明な声がいい。
「お名は」
「殊里」
 溌剌とした眼を輝かせつつ、きっぱりとした口調が何とも心地よいではないか。
「しゅり、とは、よい御名ですね。父様の生業(なりわい)は何やのん」
「えらい兵士」
 殊里は得意げに答えたが、これは、おそらく父母が子に云い聞かせているのであろう。
「父様の御名は」
「殊里礼と申しまする」
 もう殊里は小さな胸を張り、そのよくとおる声を張りあげた。
「ふぅん。さぞ立派な勇者様でしょうね」
 こくん、とうなずく殊里を見ながら宵襠は、いかにも勇壮な騎馬武者を想像していたらしい。いまだ幼い童にも、さも頼もしげな眼差しを向けて歌うような口ぶりであった。
「では坊も、いずれ、お馬に乗って働くのですね」
「はい」
 殊里は、にっこりと笑った。

 その夜、夕餉の食卓に向かいながら、炙った鯣(するめ)と味噌を肴に盃を重ねる覇津華雅に酌をしつつ、今日の昼間の話をして聞かせた宵襠である。
「ほう、ほう」
 覇津華雅は、酔いも手伝ってか、さも嬉しげに手をたたいた。
「父様がえらい兵士なら、なるほど、躾の良いのもうなづけるわいな」
「父様の御名を、確か・・・そう、殊里礼(しゅりらい)様とか云うておりましたよ」
「何と、殊里礼・・かよ」
 にわかに覇津華雅の笑顔が消えた、彼は盃を置いて、囲炉裏の炎に目をやった。
「覇津華雅様が御存じとは、やはり御高名の武弁【ぶべん=武勇に優れた者】様なのですね」
「鈷登芭(覇津華雅の幕僚将帥)に仕えておった遣番【伝令将校】に、同じ名があった」
「仕えておった・・・とや」
「まこと、その子の父が、その者【殊里礼】ならば・・すでに、この世には、おらぬわい」
 確か半年あまり前の戦で散った、と呟き、覇津華雅は再び盃を取って一気に干した。
「戦場で、幾度か伝令を受けた事がある。きぶい山坂も駆け通す、馬の達者じゃった」
「左様でしたか。存ぜぬとはいえ、むごい問いをしました。さぞ悲しかったろうに・・」
「気にするな。兵士の家に生まれたなら、それこそ覚悟の前じゃ」
「されど・・・母様だけでは暮らしむきとて、決して楽ではありますまいに」

 殊里の、行儀容姿の上品には釣り合わない身なりが、それを如実に物語っていよう。兵士とは、戦場に己の生命をさらすという過酷な職である。それだけに、平素の暮らしは裕福なものであった。
農民などは夜明けから日暮れまで泥と汗にまみれて働き、それでも、ほとんどの農民は白米など食えず、よくて麦の混ざった粟飯(あわいい)とか稗飯(ひえいい)、より貧しい者なら粟や稗に野草や芋蔓(いものつる)を入れ、しかもそれらを粥(かゆ)にしてふやかし、量をふくらませた。
 稲作の普及は安定した食料確保と安らかな定住を可能にしたが、民人の貧富をより際立たせ、支配者と被支配者の格差を著しく明確なものにしたのである。

 それでも農民達は文句を云わない。なにしろ今は、百年近く続く乱世であり、たとえ日々貧しくとも、自ら生命を賭す危険はないからである。国【いっそ、大地と云うたほうがいいか】と農民達の安心は、兵士達が死守している。その日々を死と隣住している分だけ、その家族達の生活は裕福である事を許されているのである。

 では、兵士の禄【給与】はいかほどなものか。
最も階級の低い歩兵でも一日三合、その家族には一人当たり二合の米が支給されている。さらに三十日ごとに一両の砂金が与えられた、という。【当時の一両は、現在の約14gに相当する。】

 一両の砂金を市に持ってゆけば、一月分の惣菜【そうざい=鰹(かつお)や鮑(あわび)の干物とか鮎(あゆ)や鮭(しゃけ)などの塩漬等、種類は豊富であった】を買ってなお、紅(べに)やら耳飾などの装飾品まで買えた、というから大したものである。
 ちなみに従軍時の兵士には、一人当たり一日五合の白米が賄われ、手柄によって莫大な恩賞が与えられる。甲冑など、武具は支給品なのである。最下級の兵士がこれであるから、覇津華雅のような最上級者の富裕、推して知るべしであろう。
まして卑弥呼(ひみこ)や嘉汰耶(かたや)などの富貴、これはとても計り知れない。

 が、それも生きて働ければの事であり、死んでしまえば、残された家族が一月ほど食えるばかりの米が見舞いとしてあてがわれるだけである。砂金などの蓄財があったり、子供がただちに従軍できるほどの歳ならばいいが、そうでなければ一家離散か、いっそ芸妓(げいぎ)にでも堕ちねば生きてはゆけまい。

 このような時代に、さて、殊里の家は、どうか・・。
父親が下級なりとも将校であったから高禄であり、多少なりと蓄えができたものであろうか。それでも楽ではない事は、殊里の身なりからも察せられるし、今さらに宵襠が思い出せば、殊里は、出された果実などを、その場で食べた事がなかった・・。
「有り難く、いただきまする」
 と、お辞儀して受け取り、他の子達が食べている場を離れて麻布(あさぬの)で包み、帰りまで木の枝などに吊るしておくのである。おそらくは、家で待つ母親などに食べさせるのであろう。

 もし、そうならば何とかなりますまいか・・と、宵襠は覇津華雅に頼んでみた。殊里は五歳、従軍するには最短でも、今より三年を待たねばならない。
 いや、わずか八歳ばかりの児童に、どうして戦なんぞのできるものかよ・・・と、読者諸氏には、お想いやも知れぬ・・。
 が、しかし、昔の人は偉かった、のである。本当のこと、である。たとえば昭和三十年代前半の頃までは、八歳というたなら立派な、いっぱしの働き手だったのである。男子ならば田畑仕事の手伝いをしたし、女子ならば乳児などを背負いて子守りすることを当たり前にした。それで手間賃をもらい、それが小遣いなどでなしに、一家の収入の一部を占めていたのである。もう十五歳で村の青年団なら一人前として祝ってくれたし、ひとりの男としてあつかってくれたのである。けっして平和ではない日常に生きて、かつ平均寿命の短い昔ほどに成長は早かった、と察していい。
 
 失礼を承知で、かつ誤解をもおそれず云うならば、現代でも豊かではない、あるいは治安や政情の悪い国ほど、そこに産まれ育つ子供らは早熟であるように見うけられる。知識ばかりが先行して平和に呆けた現代日本ならでは、奇妙なほどに大人びた児童らもいるが、四十を過ぎても子供のような者も少なくはない。
 ようは双方ともに、いわゆる教養というものが、これは無いのである。が、そんな我国とても昔の人は偉かった、地に自らの脚を踏んばって立ち、しっかりとした知恵があったのである。

「あの子達が長じれば、きっと若様の手足ともなりましょうものを」
 この当時には、家業を世襲するのが定めであった。
農家の子は農民、商家ならば商人にしかなれない。
文字もなく学校などの教育機関もない時代、その知識や技術は口伝であった。幼い頃から親を手伝い模倣するのが、習熟に最も速達であり、また自然の流れでもあろう。兵家に生まれた男子なら、たとえ当人が嫌でも、ついに兵役にとられたものである。
「その殊里とか申す小僧、明日よりは、わしも目にかけておこう。ものになりそうならば今からでも、都祢那賀様の側近として雇ってやってもよい事じゃ」
「ぜひ、そうなされませ。あの子は必ずや、よき兵士となりまする」
「いやいや、側近というても実兵としての階級は別じゃわい。あくまで子供の間の話よ」
「何の。あの子は、あなた様同様に、きっと立派に将帥(しょうすい)職をつとめましょうぞ」
「巫女(みこ)としての卦(け)かよ」
「いえ。乳母としての・・、これは、虫の知らせ、というものにござりまする」
「乳母の虫が知らせたか、これはしたりじゃ。よくよく気合いを入れて見せてもらおう」

 都祢那賀を育てる高床の住屋は、約束を違わず昼夜を問わずして工事が進み、草木の生えるままにまかせていた周りも、屋敷の庭らしく整えられていった。完成した屋敷の門前に、産着に包まれただけの都祢那賀が捨てられたのは誕生より、ちょうど三十日を数えた夕暮れ時であった、という。
里親(さとおや)の家の前に捨てるのが、嘉汰耶の決めた慣わしである。里親は預かるのではなしに、捨子を拾って育てる。
そうすれば、より丈夫な子に育つのだ、と嘉汰耶は云った。
これは後々まで武門の吉事とされ、江戸時代にまで受け継がれてゆくもので、門前で泣く都祢那賀を抱き上げたのは、屋敷の主である覇津華雅である。これも決まり事・・。
そのまま門をくぐり、住屋の軒先で乳母に手渡す・・。
 日が暮れて後、乳母が乳首を含ませれば儀式は終わり、こうして里親と里子の契りがめでたく整うのであろう。
宵襠はつつがなく乳房を与え、都祢那賀の幼い唇が、その乳首を無心に吸うている・・・。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 11:08 | Comment(0) | 連載長編小説 当ブログ用

歴史小説と時代小説の違いなんかを考えるよりも…眼鏡

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かつて…大変に有名な社会評論家の大宅壮一(おおやそういち)さんが…その当時の日本の在りよう、ひいては未来を予想して…一億総白痴化失恋と嘆かれたそうですが…まったく眼鏡そのとおりになりましたねexclamation×2と僕は思っています。

かつて…入学することが極めて難しい有名国立大学の教授【むろん有名な方ですが、御名前の記憶が曖昧なもので御免下さい】が…

「近ごろの学生は、知識はあるけど、教養が無い」

と嘆かれたそうですが…
まったく失恋そのとおりですね眼鏡と僕は思っています。
そんなふうに思っているからといって…もちろん僕が賢いわけではありませんし失恋たちまち何をか、社会に貢献できるほどの力を保持している者でもないんです失恋

でも…ここ数年間のうちに起こったさまざまな事件とか事故…また、それぞれについての対処や反応などなどをニュースで観るにつけ…失恋どれほどの理不尽やら残虐とか不手際あるいは厚顔無恥な様子を知り得ても…もう大して驚かない…っていうか、驚けないほどに鈍感に成り果てている自分に気づいた昨今なんです失恋
とはいえ…皆さん、たちまち最近の…たとえば、ほんの1ヶ月以内の事件とか事故、あるいは行政の在りようなどを知るにつけ…どうですか!?

ふと…今の日本中が…かの日露戦争における乃木第三軍状態失恋とも想うてしまった…そんなふうに、眠れない夜の眼鏡お伽噺でした…キスマーク

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 03:40 | Comment(0) | 眠れない夜のお伽噺