2008年11月19日

国際的社会人て…なにexclamation&question

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

2008061409370000.jpgその…仲良くなった外国人達のうちには、生粋のアメリカ人とかイギリス人の若い女の子がおりまして…もちろん男の子もいましたが…彼らが、まず云いましたのが…通訳の日本人女性教師の翻訳も含めまして…黒ハート
正しい日本語を教えて欲しい、ということと…あなた【すなわち菅靖匡】が晴れしっかりと信仰という心をもっているのか…ということでした眼鏡

その頃の菅靖匡は失恋たとえばジョンレノンの音楽イマジン音楽を口ずさみながら、ノーリリジョン【のぉの助の意訳=宗教も無いのさ】なんて…さも得意げに云ったわけです失恋

すると…彼女たちは眼鏡あからさまに顔を曇らせ…信仰心の無い人は信用できない…と明言したのです晴れ

それも、もちろん晴れいわゆる新興宗教とかではなく、そのうえで眼鏡たとえ仏教でもキリスト教でもイスラム教でも…とにかく宗派などにはこだわらないから…何かしら、しっかりとした信仰心を…それが、つまりは人を人間たらしめる倫理であり、道徳というものだ晴れと…真剣な真顔で云ったのです眼鏡

むろん、現在の菅靖匡にすれば当たり前なことなんですか゛…その当時の菅靖匡にすれば…まるで、今までスープだと思って飲んでいたものが、じつは味噌汁だと思い知らせたほどの晴れまさに黒ハート文化大革命だった次第です眼鏡

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 21:23 | Comment(0) | 歴史小説家菅靖匡の信心

音楽のある生活、歌謡曲の流行る時代の幸せ・・・4

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

ウィーン少年合唱団みたいな・・カラオケ

 合奏部というのは、僕にとっては退屈で、いっそ苦痛な時間ともなってしまいました。なぜって・・、あらためて自問しても、とくに理由が思い出せないくらいに、ただ退屈だったんですね・・。
そこで・・、間もなく僕は『脱走部』などと改名しまして、練習が始まって、先生が譜面なんぞに気をとられているスキに、コソコソと逃げ出したり、そのうち、はなから欠席を重ねるようになりました。が、しかし、音楽の女先生は、それで諦めるほど甘くはなく・・、なんと母に・・
「のぶ君の音楽的才能を眠らせておくのは、どうしても惜しい気がしてなりません!そこで西条少年合唱団の入団試験を受けさせたいのですが・・、いかがなりや」
 と、これまた大変に迷惑・・、もとい、有り難いお話を下さいまして・・、これに、母は飛びついた次第です。

 と申しますのも、もともと母は、学生の頃にコーラス部だったそうで・・、その美声は近所中に鳴り響いていた・・、というのです。また、やはり情緒というものを育てるためにも音楽というものに取り組んでいたほうがええやろ・・ひらめきということにもなったらしく、とりあえずは試験だけでも・・、という運びとなったんですね。じつは僕としても、その合唱団についての話を聞いて、まず西条中の小学校から選抜されたヤツらが受験して、合格するのは数人、というところに雷興味をひかれましたし、なにしろ楽器などという、いかにも練習あるのみっ!みたいな面倒くさいものがいらないってあたりも、これはお手軽だなって感じで・・、イッパツ合格したわけです。

 しかし、やはり当時の僕の楽しみは剣道でしたね。
今では自分でも信じがたいことですが、その頃の僕は、いわゆるお勉強もできたし、駆けっこも一番か二番、水泳の選手にも選ばれたりってヤツでしたので・・、運動神経もよかったらしく・・、それでもってパンチ竹刀でもって誰かを思いきり叩いていいんだぞ!!黒ハートってことですから、もう面白くてしかたなかったわけで・・、また、四年生になると、なんと同級生のうちでもトップクラスに可愛い女の子が二人も入ってきましてね黒ハートその子たちの着替え、いやっ、練習する時の透き通った掛け声と・・、じっさい袴(はかま)の左右の切れ目からチラチラみえる・・揺れるハートが気合いを増幅してくれましては・・、どんなに厳しい練習でも平気でしたね黒ハート

 また、いよいよ練習に参加し始めた合唱団では・・・、ピアノを弾く女先生が・・、自分の小学校の先生とは大違いに若くて美しかったものですから・・、歌いつつ、しみじみ入団の喜びを噛みしめたものですハートたち(複数ハート)
 今となっては、ライヴに来てくれたお客さん達に・・
「その頃の僕はボーイソプラノでね、マジで天使の歌声って評判だったんですよー」
 といっても、誰ひとり信用してはくれませんし、バンド仲間たちも・・、またアホなことをほざきよらいや・・、って感じですけど、誓って本当の話です。じっさい、僕は、これにはハマりましたね。団長っていうか、会長っていうか、ともかく西条少年合唱団というものを創立した偉いさんは、藤原タケシ【すみません、御名前の漢字は忘れてます】先生という、この方は全国の小中高学生音楽界にも有名な方でしたが・・、惜しくも近年に他界なされました。

 ともあれ、僕にとっての合唱団での楽しみは、やはりコンサートでしたし、そこでソロをとることは、ついに叶いませんでしたが・・、いつか、あのマイクを独り占めしてやる・・、というような気持ちを持てたことでしたし・・、なにより演奏旅行で初めて沖縄にいけたことは、本当にラッキーでしたあ!!

続けても・・いいかい・・?!

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 13:25 | Comment(0) | 音楽の風景

日本古来の子育てに学べ!!子供を虐待するのは人でなし!!地獄の鬼にも劣る畜生ぞ!!

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起

都祢那賀(つねなが)
                一
 さても、一国に、あるいは人間にとって、その興亡における吉凶(きっきょう)とは、如何(いか)なるものぞ。
たちまちは、卑弥呼(ひみこ)と覇津華雅(はつかが)、お互いの予感は、それぞれにはずれた・・と云っていい。
とは・・、都祢那賀は、よく泣いたのである。
昼夜をとわず、しかも覇津華雅でさえ思わず耳を押さえるほどの金切り声を張り上げ、寝返りもうてぬ小さな身体をよじり、手足をつっぱるようにして泣く。目通りした嘉汰耶(かたや)も汰雅志嘉(たがしか)も、何やら期待を裏切られたような心持ちで顔を見合わせ・・
「卑弥呼をも目まいさせた気魂とは・・、これかや」
 と、苦々しげに呟いたものである。
ただし・・
「やはり都祢那賀様は、大した若子様におわしますなあ」
 と、宵襠(よいまち)だけは心から嬉しげに云い、泣き叫ぶ都祢那賀の胸や腹のあたりを、ほたほた、と優しくたたいて微笑んでいる。寝不足が重なり、しかし、笑みをたやさず
「都祢那賀様こそは、きっと嘉汰耶様をもしのぐ大将軍様におなりです」
 などと、こちらも疲れきって深い溜息などつく覇津華雅にむかって真顔で云うのである。
「そうじゃなあ」
 覇津華雅は、情けなげに相槌(あいづち)をうつ。
「戦場の矢雨と炎中の方が、まだぐっすりと寝られるわい」
 とか、つい漏らした事もある。

 そんな時、宵襠は美しい目で覇津華雅を見やり、言葉に笑みをふくんで云うのである。
「やれ、覇津華雅様に問いまする。世に赤子(あかご)の仕事とは、これを何と心得まするかえ」
 平素の彼ならば、乳を吸うて糞と小便たれる事かえ、くらいの言葉を吐いて笑い飛ばし、むしろ宵襠の顔をくもらせるであろうか。今は、そんな気力さえない。
「乳を吸うて寝る事じゃろ」
 物憂げに呟いた。
宵襠は、ことさら破顔(わら)って・・
「それも当たり」
 と嬉しげに、手などたたいている。
が、覇津華雅は
「やれ、嬉しやなあ」
 自慢の大声も萎えて、ほんの少しも嬉しそうでない。
「赤子の仕事とは、ほれ、こうして、声の限りに泣いて暴れる事にござりまする。若様は、よほどの働き者にござりまするよ」
 と、あくまで宵襠は屈託もない。
「何が働き者かよ。働くとは、側におる者を楽させることをして云う言葉ぞ」
 覇津華雅は、もう己が泣きたい気持ちであったらしい。
さても若様よ、まずは話のできるよう、はよう大きゅうなって下されや・・と覇津華雅、さすがに、これは声に出さず、その胸中で密かに祈ったものである・・という。

 ただし・・、宵襠は聡(さと)い、と、覇津華雅は目眩(めまい)にも似た想いで、この乳母を見ていたふしがある。
宵襠は、いつ、いかなる時にも笑みを絶やさず、まだ自由に這う事すらできぬ都祢那賀の一挙一動を、ただひたすらに誉め称えるばかりなのである。
また、都祢那賀が風邪で鼻をつまらせ息苦しそうな時など、その小さな鼻を唇で包み、そっと優しく吸い出してやる。
口中に含んだ鼻汁を舌の上で転がすように味わい、それを飲み下し
「だいぶ甘うなってまいりましたなあ、若様。もう、じきに治りますれば、今しばし御辛抱なされよ」
 と云った。

 都祢那賀の産着【現在でいう〈おむつ・おしめ〉の事。産着は身分の上下にかかわらず用いられた。自分で、きちんと排便できるまでは必要なのである。ただ素材が違う。庶民の幼児は親の古着や、ごわごわした麻布のぼろを巻いた。が、高貴な家では肌触りのよい絹などを用いたらしい。ちなみとて、平安時代も初期の頃には、産着と襁褓は別なものとなった。】をかえる時などには、糞尿に汚れた布を広げて顔を近づけ、色や硬軟や消化の具合などを、よくよく見分けながら、その臭いまでを確かめたりもする。
「まさか、とうとう糞まで食らう気かよ」
 覇津華雅は、半ば呆れたりもしたらしい。
すると宵襠は顔をあげて、けらけらと笑い
「こうすれば、若様のお腹の中が判りまするのよ」
 と応えた。いや、これは宵襠の賢さというより、古き良き時代の母親のたしなみであろう。

「覇津華雅様は、まこと大吉兆と想いて若様の傅人役をうけられたのでござりまするか」
 都祢那賀のふがいなさを嘆く覇津華雅に向かいて、ずけりとこんな問いをする時にも、宵襠は口調に笑みを忘れない。
覇津華雅としても、肚の立たぬ。
そんな宵襠と語り合う内には、己でも気付かずにいた自らの思案の底が、ふと見えたりもするものであったらしい。
「殿方は赤子に与えられるものがござりませぬゆえ、つい覚悟が定まらぬのでしょうね」
 時と折りを見はからって、宵襠は、わざと怒ったような口調で云うこともある。
「いかなる意味ぞや」
 覚悟が定まらぬ、などと云われては、ついつい武将としての血が騒ぐであろう。
「女は、まず乳首を含ませ、その後に乳を与えましょうものを」
「おうさ」
 当たり前なことを云うなや・・・。
「やがて、赤子にも歯が生えてきまするのぞ」
「生えいでどうする、当たりの前じゃわい」
「乳をやっている時に赤子がむつかりて歯噛みし、乳首を咬み切ってしもうても愛しい心は揺れませぬ。長じて後、たとえば若様が吾めの生命を望まれたなら、この細頚(ほそくび)・・」
 そう云って宵襠は軽く、自身のうなじをさすって見せて
「喜んで差し出しまする」
 都祢那賀になら、この細首を斬られても本望である、というのだった。
「・・・・ふぅむ。これは、どうにも、わしが思案の浅かったようじゃ」
 ついには覇津華雅も得心したのであろう、盃を置いて姿勢をあらためた。
「あれまあ、どのように・・、でござりますのか」
 あくまで宵襠は無邪気にて、腕に抱いた都祢那賀の顔を覇津華雅の視線の上にのせる。問い詰められても、これは怒れまい。
覇津華雅は頭をかきながら、つい本音を口にした。
「つまりは、こうじゃ。わしは戦に強い。いや、強いが上にも強すぎるのよ」
 我々現代人の感覚なら、自画自賛とは浅ましい、とでも思おうか。しかし、この当時の日本人には、自らを謙遜するのが美徳、などという〈いじましさ〉はない。己を己として凛と胸を張り、精いっぱいに堂々と生きて死んでゆくのが、まこと邪馬台国魂(やまたいこくだましい)なのである。
「それは、まことの事ではござりませぬか。浅い思案ではござりませぬものを」
「強すぎる手下をしてじゃ、それを御することを欲する王としてはどうするのか」
「さて、何としょう」
 宵襠は、ふと声色を変えたあたりが、なかなかの演技上手である。眠る都祢那賀を人形のように見立て、都祢那賀が喋っているという趣向でもあろう。覇津華雅の聡さは、それを察しつつ、ただし頓着もなく云いつらねてゆくばかりである・・。
「この国内【邪馬台国】の乱は、じきに治まる。が、国が治まった時こそ、王の心中穏やかではすまぬ。周囲に敵がいなくなれば、その目は身内や手下どもに向けられるものじゃ。そこに強すぎる手下がおれば・・邪魔になるのよ。乱をしずめるためにこそ重宝した者が、いつ主に咬みついてくるかと夜も眠れぬほどに不安がつのり、やがて己が子孫繁栄のためにこそ、いっそ、その強すぎる手下どもを捕らえて・・・・殺すばかりよ」
 耳を傾ける宵襠の、これは思わず眉間を曇らせた恐怖であったろう。
「・・恐ろしや。それほどの思案の、どこが浅いものか」
「いやさ、浅い。わしは都祢那賀様に己の生命を捧げたつもりじゃった。嘉汰耶様が家宝の壷を割り砕いたのも、その覚悟をより固めるためじゃ。然ながら・・」
 先に云うた打算があった、と覇津華雅は眠る都祢那賀に向かって姿勢をあらため、平伏した。
「宵襠殿の限りのない献身ぶりに、わしは教えられたぞ。吾のつまらぬ保身思案を、たった今、かけらも残さず捨て申す。都祢那賀様の死する時こそが、吾の生命の尽きる時じゃ。都祢那賀様の喜怒哀楽、それすなわち、吾の心情そのものにござりまする」
「・・・あら・・あら嬉し」
 そう応えるが精いっぱい、この時、宵襠は泣いていたらしい。
「吾の武にかけて嘘や偽りなぞは云わぬ」
 と、これは覇津華雅、精いっぱいの思いやり。
「もはや、それかしに己の思案などない。心身、骨髄までを都祢那賀様にお任せ申す」

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 09:53 | Comment(0) | 連載長編小説 当ブログ用

戦国時代にまで戻らなくてもいいから…晴れ

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

まことの国際社会人になるために・・


菅靖匡の公式ブログにお出で下さり、ほんの少しでも目をとおしていただきおります皆さん黒ハートお早うございます晴れ心から感謝しつつ、いっそうの御多幸を祈念しおります揺れるハート
今日の西条市…小雨の降りしきる、より寒さを感じおります早朝となりました。
まず、手洗いを済ませましては、歯磨き、洗顔…眼鏡そうして身繕いを済ませたなら…まず自家に奉らせていただきおります神仏様々ならびに御先祖様方に新鮮な真水や…あるいは御飯とお茶をお供えしては黒ハート神さん方には灯明と祝詞(のりと)を…仏さん方には、やはり灯明と線香もて御経を唱えましてね…いずれも今日という有り難い一日を生かしてもらえることの感謝を伝えます晴れ
たとえば旅していたり…たとえば二日酔いってやつで失恋こうして拝めない日もありますが…やはり、いつも心には忘れるものではないのです黒ハートとかく日本人は…ことに戦後日本に住み暮らす多くの方々は…宗教とか信仰、あるいは神様とか仏様などと聞いただけで、もう敬遠というより断固拒否っていう感じではないでしょうか…眼鏡

じつは菅靖匡も、まさにそうした一人でありました。が、しかし…それは人間として不自然であり、かつ尊敬とか信頼には価(あたい)しない…そう教えてくれたのは黒ハート全国国公立学校にて英語を教授する外国人の友人達だったのです眼鏡

菅靖匡ってやつは、とにかく英語で歌いたい!!という願望のもと…道で外国人を見かけると眼鏡まず声をかけて、オーイェス、ワオッ、ハハァン、サンキュー、などと会話を試み…お茶に誘ってみたり、飲み屋に誘ってみたり、だんだん和めば、寿司食いねえ〜黒ハートてな感じで…そうするうちには、やはり人と人との縁の有り難さと申しますか晴れしっかりと通訳のできる日本人とも友達になり、その人が高校教師だったので…一気に外国人達との交流が広がりましてね…毎週一度は四国のあちこちから外国人の方々が、新居浜や西条に集まってはパーティーするようになったのです黒ハート

続く…揺れるハート

ビジネスブログランキングにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へninki-blog-ranking-img
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 08:06 | Comment(0) | 歴史小説家菅靖匡の信心