2008年12月31日

正月三ヶ日は連載お休みします!!えっ?!そんなあ・・。また来年も一つ宜しくねスペシャルさ!!

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愛媛国縁起

放蕩三昧
       二
 都祢那賀(つねなが)登楼、しかも逗留(いつづけ)、の噂は、たいそう足が速かった。彼が登楼した日の夜半には都の辻々で・・
「都祢那賀様が初めて登楼ったんやて」
 とささやかれ、三日めの夕暮れには・・
「逗留とるらしいで」
「戦も早熟やが、あっちも早熟とるのう」
 などと云われている。

 何と宮中の巫女達の間でもこの噂がもちきりで、当然のごとく、兵士達の内には嘉汰耶(かたや)屋敷に知らせる者もあった。
いつの世も、賢しらげな節介に過ぎる諂者はいるらしい。
ただし、嘉汰耶は・・
「陣立や差引なども板についてきたしのう。もはや、あれも男じゃ」
などと嬉しげに笑い
「わしからの引出物とて、極上酒など届けてやれ」
 と云った。

 それでも、つい血相を変えて
「覇津華雅(はつかが)を呼べ」
 と云ったのは、汰雅志嘉(たがしか)であった。
撫子(なでしこ)などは、仰天のあまり寝ついてしまった、という。確かに、両親にとっては喜べる話ではあるまい。
呼び出された覇津華雅も、これには弱り切っていた。
何せ女性には縁遠くしている男であり、酒を呑むにも登楼った事などない。
どころか、馬で楼閣の門前を横切る事すら忌み嫌う者なのである。他所なら乗り込んで説教もできようが、場所が悪過ぎた。
「吾など、すでに傅人役を解かれておりまするわい」
 と、いっそ開き直ったものである。
傅人(めのと)役は初陣まで、というのが慣習であった。
とは云え実際の覇津華雅は、今でも傅人のつもりで、何かにつけて
「若様、若様」
 とうるさく、都祢那賀の世話をやいている。
それが、この時ばかりは手をつけかねており、苦し紛れにも、解任されている、と云うのであった。

 汰雅志嘉とて、その立場上、楼閣などに足を踏み入れるわけにはゆかない。
「うぬが傅育した者ぞ。何とかせい」
 どうでも早々に連れ戻せ、これは命令じゃと心得よ・・。
命令と云われれば、骨の髄まで軍人である覇津華雅には逆らう術などなかったであろう。
彼は、ただちに殊里(しゅり)を呼びつけ
「若様を引っ張り出せやい」
 これも、命令じゃ、と云った。殊里は三度出向き、三度つき合わされている。一度めは・・
「やあ、酒につき合え」
 と引き込まれ、二度めには・・
「女競べぞ」
 と誘われて帰れず、三度めには・・
「阿呆。親や爺様などが怖くて戦ができるか」
 と怒鳴られて、逆に二晩ばかりも、つかまってしまった。
四度め、覇津華雅に
「ゆけ」
 と云われた時には
「親父殿、もう勘弁して下され。吾の手にはおえませぬ」
 と、ついに泣きを入れている。これが登楼の二十日め頃であったろうか。

 それから間もなく、都祢那賀は自ら出てきた。何という事もない、出陣のためである。都祢那賀が初陣してより十四歳頃までの四年あまりが、あるいは最も苦しい戦をせねばならなかった時期であろう。兵馬が思うように整わず、新工夫の兵器の完成も待ち遠しく、それを見越したかのように近隣諸敵国は執拗な進退を繰り返しているのだった。かつての強敵・神武が布いた、いわゆる邪馬台国包囲網のなごりでもあり、一度は散った残敵兵が仇討ちを大義名分として暗躍し周辺諸国を煽動している、という情報もある。
「こうも出兵が頻繁では、武具の生産調達も間に合いかねまするわい」
 都祢那賀は・・
「爺様」
 などと呼ばわっているが、まだ覇津華雅は四十の坂を越えていない、いわば脂の乗り切った働き盛りであり、しかも、その智勇比類なし、とまで云われる彼でさえ長嘆息するほどの苦戦続きであった、とある。
もっとも、一度たりと敗してはいない。

 此度の出陣でも
「矢の調達が間に合いませぬ」
 と、馬揃えの最中にもかかわらず、遠海(えんかい)や紗貴(しゃき)が詫事【わびこと=謝罪】をまじえて言上したものである。
閲兵する都祢那賀は馬上
「阿呆」
 と怒号した。急ぎ下馬して恐縮する二人を見下ろした時、都祢那賀は
「きゃっ」
 と甲高く笑い声を上げ
「うぬら、狩猟大祭の山車を出せ」
 と云った。
「えっ」
 思わず遠海と紗貴は顔を見合わせ、馬上の都祢那賀を見上げている。
「ありったけの山車をな」
「・・はあ」
「戦場にて組み上げる。ただちに運べ」
「山車を・・ですか」
「何をなさるおつもりじゃ」
「山車が出たなら祭に決まっておるわ。足りぬ矢を恵んでもらう、これは矢祭ぞ。急げ」
 都祢那賀が祭好きな事は、誰もが知っている。
しかし、この期におよんで、しかも戦場にて祭とは、どうであろう。それでも二人は急いだ。もたつけば都祢那賀が不機嫌になり、もっと恐ろしくなる事を、すでに皆が承知しているのだった。
「殊里」
「はっ」
「兵庫に在る天幕を全部持ってゆけ。山車を飾る布とする」
「はっ」
 即座に応える殊里とて、その意味を把握したわけではなく、ただ下知のままに動くだけであろう。

 やがて予定戦場に布陣した都祢那賀は、すぐに十台ばかりの大山車を組ませて幾重もの天幕で覆い、その内に兵士達を入れて敵前辺りを練り合わせ歩かせた。
自陣に控える軍団には
「鉦鼓を打ち鳴らして賑やかにせよ。腰抜けの敵どもを罵ってやれ」
 と命じ、自らは馬に乗って大山車の間を駆け回り始めたのである。いきり立つ敵は、まず雨あられのごとくに投石し、ついで陽光が曇るほどに夥しい矢を射掛けてきた。
たちまちのうちに大山車のすべてが針山のようになってしまったが、都祢那賀は上機嫌である。
「見よ、矢祭は盛況ぞ。敵が矢を恵んでくれたわ」
 と、自陣に向かって嬉しげに叫んだ時には、覇津華雅も
「お味方なれど怖ろしや。まこと大軍荒神様におわします」
 と唸ったものである。翌朝には同じ調子で、さらに陣を前に圧し出して敵を挑発し、昼を待たずして矢の尽きた敵を一気に蹴散らしてしまった、という。凱旋途上で誉めそやす諸将には
「狩猟にてはな、放った矢どもを拾い集めて使うものぞ」
 と、ひどく無愛想に応じ、都に到着するや
「爺様、後はお任せ」
 と甲高く云い捨てたかと思えば、あっと云う間に鞭を揚げて大路を駆け抜け、屋敷には帰らず登楼ってしまったのである・・。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 14:06 | Comment(0) | 連載長編小説 当ブログ用

2008年12月30日

古代日本史にみる大人の仲間入りさ!!えっ?!じゃあ、いよいよなのね?!うん、そのとおりだよ!!

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愛媛国縁起

放蕩三昧(ほうとうざんまい)
         一
 ともあれ邪馬台国、勝つには勝った。が、嘉汰耶(かたや)が畿内に侵攻して後、卑弥呼(ひみこ)を女王として造り上げてきたものの、すべてを失った、と云って過ぎない終戦でもあったろう。
彼の軍事才能の結晶とも云うべき軍団が、この戦で消滅してしまったのである。

《どうせ勝つならば、勝ち切る事ぞ。敗する時には、敗し切る事が肝要だ。なまじ燃え残りてくすぶる焼跡に、新しきものは建てられまい。風に吹かれ飛ぶ灰塵と山河を染めるほどの流血の上にこそ、真に新たなる芽吹きが見いだせるというものだ。》

 とは、これより数年の後、正式に後継として認められた都祢那賀(つねなが)が幕僚将帥達に訓戒する言葉である。
都祢那賀の初陣、彼としては勝ち切り、それまでの邪馬台国軍としては敗し切った、のかも知れない・・。

 これより後の数年間を嘉汰耶と汰雅志嘉(たがしか)、それに覇津華雅(はつかが)などは新しき邪馬台国軍を仕上げる事に忙殺された。同時に、神武(かみたけ)軍の落人掃討戦や内乱鎮圧なども放ってはおけない。大陸との交易によって入手した新兵器の自国生産や実戦配備など、武装充実も急務とされている。

 都祢那賀の内でも初陣以降、何者かが開眼覚醒したかのようであり、もともとが凝る質に生まれついている。
 若さゆえにものを知らぬ、という事もあろうとて旧態にとらわれぬ彼の発想は斬新であったが、ただし、である。
都祢那賀の実務といえば出陣を重ねて転戦するばかりで、その前後の軍備調整などは一切を覇津華雅以下の諸将達に任せ切っており、平時は放蕩の限りを尽くして過ごした、という。
それがため覇津華雅などは、夜も充分に寝られぬほどに働かねばならなかった、というのである。

 さても都祢那賀の、その放蕩ぶり、もはや子供のそれではなくなった。
「どうにも弾まぬ」
 と云う。初陣までは、狂とまで噂されたほどに好んだ狩猟について、である。彼の癖で理由の詳細などは述べないが、いぶかしむ殊里(しゅり)や覇津華雅に対しては、ただ・・
「飽いた」
 とだけ答えている。
「すでに若様には、狩猟などより出陣の方が面白うに、おわしますのじゃ」
「まこと敵を追い散らすは獣を相手より骨ですが、それだけに甲斐もある」
 覇津華雅と殊里は、そんなふうに納得していたようであった。

 ところが都祢那賀、これが何度めの出陣の後であったろう。
「殊里、俺も連れてゆけ」
 と云い出した。近ごろ、うぬが生き生きとしているのは、例の 場所に出入りしているからであろう、と云うのである。例の場所とは、兵士の慰安所として設けられている楼閣のことで、馳走を食らい酒を呑めるばかりか女性を抱ける。
酌や伽をつとめるのは婢(はしため)であり、ほとんどが畿内地ばえの、戦に負けて奴に堕ちた兵士の内儀や娘などが多い。恭順して優遇される都人や農民達の中でも、何かしらの罪にとわれたり租税を納め切れず、ついに婢に堕ちる女達もいるのである。
 どちらにせよ、女性にとっては辛い境遇であったろう。
しかし、《十日間、気ままに出入を許す》などというのも恩賞の内であるほどに、戦場で生命をすり減らす兵士達には雲上の心地する場所であったに違いない。

 殊里は、もう十四を過ぎて大人なのである。酒と女の味を覚えておかしくはない年頃であった。
が、都祢那賀はどうであろう。
早熟というにも早過ぎはしまいか、とも思うのだが・・
「俺もゆく」
 そう云ってきかない。そこはそれ、殊里も若いのである。
まだ、覇津華雅ほどの分別はあるまい。
「それは、よいものでござるぞ」
 と、むしろ都祢那賀を、たきつけたりした。
「どっちがだ」
「酒も女性も、両方にござる」
「ふん、どうせ、自身で知らねば分からぬわ」
 これが万事、都祢那賀の気質でもある。己自身の五感と第六感で確かめたものでなければ信じないし、納得もしない。戦場でも同じ癖で、つねに最前線に布陣し、自身の肌身で敵を感じつつ差し引きした、という。凝り性の所以も、ここいらあたりではあるまいか。

「されば若様、吾が先達仕りまする」
 殊里が得意げに請け負ってしまった後が大事(おおごと)であった、とある。都祢那賀の凝り性が、もろに出た。
逗留(いつづけ)してしまったのである。
初めてした女性の名は分からない。その陰部を見て・・
「そちも女神かよ」
 と、驚いたらしい。さらによく見て・・
「違うな。黒子がないわ」
 と甲高く叫び、今度は婢の方が驚いている。
その婢を三日三晩も離さず、四日めの朝に女を変えた。
それから夜毎に変えたが、好みにうるさい。
半月ほどで楼閣中の美女を抱き・・いや、抱かれた、と云った方が近かろうか・・。
「なるほど、いいものだ」
 と、上機嫌で手を打った頃には二十日あまりが経っている。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 10:22 | Comment(0) | 連載長編小説 当ブログ用

2008年12月29日

歴史小説日本古代史における真実は、これ藪の中かな・・?!いいえ、つねに真実には裏表があるのよ。

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愛媛国縁起

初陣異見聞録
《都祢那賀(つねなが) 初陣異見異聞挿話》
 〈まずは名を問われて曰く・・・〉
「吾の名を宇田(うた)と申しまして、都祢那賀様が初陣の折節には馬廻役を仰せつかった者にござりまする。先の戦にて滅した、と思われておりました神武(かみたけ)なる敵将を葛城山には登らせじ、とて邪馬台国の兵馬総揚げの出陣でござりましたなあ。吾ら雑兵が、まず驚げましたる事と申せば、国の大変というに嘉汰耶(かたや)様も汰雅志嘉(たがしか)様も出陣なんだ事に尽きまするわな。いや、出陣るにはでたが、まったく働きませなんだのよ・・。」

 〈軍陣容のあらましを確認せられたる際に・・・〉
「御意。御大将は唖毘卑鈷(あびひこ)様、副将頭が実弟君にあらせられまする長髄彦(ながすねひこ)様にて、吾が仕え奉る都祢那賀様は次副将を仰せつかり、勇智無比と名高い覇津華雅(はつかが)大将帥様を幕僚となされての初陣にござりました。馬廻りに抜擢された吾などは足下に雲を踏むような心地にて、組内の兵士どもは無論の事、親戚縁者にも鼻高々でありましたなあ。一万と二千余の軍列をなして都を出る時には金銀錦で飾った御馬の上におわします都祢那賀様の、熊毛威しの甲冑がよう似合うておられまして、手綱をあずかる吾の両肩にも風が、ぶん、とうなっておりましたわい。今は昔とは申せ、まるで昨日の事のような気のいたしまする」

 〈九市(くいち)将帥顛末に及びての応じたる事・・・〉
「いやいや、九市様が陣を離れましたるは、左様な次第ではござりませなんだ。葛城山は昨夜来の雨に濡れ、竹ノ内から上り坂の山辺道はぬかるんで滑りまするが、何とか平石峠まで登りきり、布陣を終えた頃に夜が明けました。軍議の必要を認めず突撃粉砕あるのみ、という唖毘卑鈷様本陣よりの使番が参りました時、吾は陣幕の外で馬に飼料を食らわせておりましたが、陣幕の内では覇津華雅様の野太い声がしておりましたなあ。布陣してからずっと、べそべそと泣き止まぬ都祢那賀様をなだめすかしておられたのです。神子(かみこ)が大吉を告げると、いや大凶ぞ、と泣きわめく若様の甲高い声がし、暫くすると九市様が陣幕をはね上げて出て参られ、なるほど噂にたがわぬ狂様よ、と大溜息をつかれました。御自ら大凶を望む者には従えぬ、と申された時に長髄彦様方の一斉突撃が始まったのですわい」

〈百草山の事など・・・〉
「若様は馬の達者にて、山へ逃げ込むには造作もありませなんだ。されど戦場では気が違うたかのように泣き叫び、頂へ隠れて後も泣き続けておられました。そこへ覇津華雅様と殊里(しゅり)様が戻ってこられ、何とかお慰めしようと苦慮なされておられましたわいなあ。周囲の兵士達などは、すっかり気落ちして滅入ってしまい、吾とて、もはやこれまでじゃ、と覚悟をしたのでござります。皆から離れた所にて覇津華雅様が、いかにすれば泣き止んで下さるか、と若様に問いかけましたところが、若様は泣きじゃくりもて、大吉などと嘘を云うた神子を斬れ、と申されました。知ってのとおり、神子と申せば宮から直々に遣わされた、いわば女王様の名代。また覇津華雅様は、あれでなかなかに信心深い大将帥様にて、この時の驚きようは言葉に尽くせませぬわい。そればかりは出来ませぬ、と何度も繰り返し説得なされておいでやった。若様は生来、気性のはげしいお方でしたから地団駄(じだんだ)踏んで、俺に恥をかかせる気か、と泣き叫んでおられましたわい。すると覇津華雅様が、にわかに態度をひるがえして神子に近づくや、済まぬ、とわびた次の瞬間には、神子の頭が真二つに割れておりました。なるほど、生きて帰る事ができたなら、神子の報告にて若様の醜態が世間に知れるところともなりましょう。覇津華雅様とて分かりませぬぞ。若様の傅人としての面子がござりましょうし、初陣を後見したる大将帥としての地位も危うくなりまするしなあ。死人に口無し、とでも申しますか、若様と御自分の保身のためとて神子の口を封じるには殺すより他ありませぬわいなあ。都に帰った時に有無を云わさず九市様を斬り殺したのも、同じ理由と推してさしつかえありますまいよ。吾ら兵士にすれば、敵とやり合うて死ぬならまだしも、味方に斬られるのでは浮かばれませぬからな、神子が斬殺された後には、我ら軍兵、それこそ死力を奮い立たせて働くしかありませなんだ」

 〈世間では、都祢那賀様は軍神でありましょう、と信ずる事のよしを・・〉
「御意。少なくとも長じて後の若様には、稲光【稲妻とも書く。雷光の事である。稲穂が実るのは、天空に鳴り響いて光り落ちる、まさにこの雷光のおかげである、と古代の人々は信じていたらしい。語源は稲の夫、であろう。】のごとき威風がおわしましたる事など、万民ゆめ疑いの無いところでござります。されど初陣におかれましては、何とも云い難し。神武を退けたるは覇津華雅様の軍慮にて、かつ神武軍の自滅、つまりは酒に酔いたる上での痴話喧嘩を敵襲と錯覚した事により、自ら壊乱した事などが重なりての幸運にござるよ。思うてもみなされ、当時の若様は十歳ばかり、子供に何の軍慮がござりましょうや」

 この他には遠海や紗貴との事、唖毘卑鈷と長髄彦の最期に関する都祢那賀の雑言などについて語っているのだが、どれもが都祢那賀に好意的でない。
こうした宇田の物語を聞いた台余(とよ)が賢明であった証には、これを削除する事なく異見異聞の挿話として書き残したのである。挿話のしめくくりは《宇田、これは斗羅雄の実子なり》という簡潔なものであった。

【歴史には裏表がある。我々が学習し、知識として保ち得ているのは、勝者もしくは強者の来歴に違いなく、敗者や弱者のそれに陽のあたる事は稀(いっそ皆無かも知れぬ。)と云っていい。歴史に〈もしも〉はない、という表現の意味するところを、単純な結果論であるから、とは受け止めず、あたかも〈運命〉とか〈必然〉と解釈しがちだが、歴史を創るのは天然力(大宇宙の摂理)だけではあるまい。その時代を生きる人間達の、ちょっとした気まぐれや好悪が、ひいては裏表の重要な境界を定めてしまう事も少なくないのである。ただし、宇田なる男の話が真偽いずれか、という問いには、乃麻埜(のおの)とて、ついに確たる正解を導けずにいる・・。】

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2008年12月28日

初陣に対する異見聞シリーズだよ!!えっ?!じゃあ、前回までのは・・史実じゃないの?!さぁてね・・。

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愛媛国縁起

初陣異見聞録

【『愛媛国縁起』の一行には《媛国攻陣始末記なる古書は不思議なり。》、とある。その不思議さを、乃麻埜(のおの)は感じたままに書き残している。『媛国攻陣始末記』の中から抜粋したという、都祢那賀初陣異見異聞挿話、という一頁で、以下に現代語訳を記してゆく。】

 『媛国攻陣始末記』という古書は不思議である。
卑弥呼(ひみこ)亡き後の邪馬台国女王を継いだ巫女である、台余(とよ)という女性が著した、という。彼女の名は、口訳してくれた出雲巫女も知っており、何より大陸の正史『晋書』にも記されているから、実在した事は疑いもないのだが、そもそもは女性なのであり、戦場や陣中の事どもを実際に見聞する機会などは無かったのではあるまいか・・。

吾【あ=乃麻埜】が不思議と思うは、そこである。
詳しすぎる、のである。もっとも『媛国攻陣始末記』は、物語というより履歴書という方が近い書式で綴られており、その骨子に吾が肉付けなどして血を通わせようとしているものだが、それにしても微細な記述には驚くばかりである。まあ、語部のごとき者が居た、とせよ。
 しかし、おそらくは都祢那賀の側近、もしくはそれに準ずる者であろうし、これほど詳細に語りえる者なら、しっかりと名を残してしかるべし、とも思うのであるが、それが無い。

 ただ、前述の都祢那賀初陣のくだりには異聞があって、その異説を語った者の名のみははっきりと記されている。
宇田(うた)という名で、彼の語った異説を以下に書きとどめておく。

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2008年12月27日

初陣も決着の時だよ!!きゃあ!!勝ったのね?!さぁてね、読めば分かるさ!!

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愛媛国縁起

初陣
        十
 都祢那賀(つねなが)は、都大路を北へ向かって駆けている。
明日香野の北端辻で馬を止め、後続する五百余の軍勢を振り返り
「爺(じい)様、爺様」
 と、覇津華雅(はつかが)を二度呼んだ。
覇津華雅が馬を寄せると
「遠海(えんかい)と紗貴(しゃき)を追い使うて、軍勢を率いて下され。近江海【現在の琵琶湖】の畔にて、敵の様子など物見しつつ待機されよ」
「若様はいずこへ」
「殊里(しゅり)ともども、兵を整えて参ります」
「兵などが、どこにおると申さるるかよ」
「子供戦や狩猟などは」
 言ノ葉を区切って手綱を引きつけ
「ただの徒事ではありませぬ」
 そう云い捨てるや、殊里と鞭あぶみを合わせて北の山裾を目指した、とある。

【徒事とは〈無益事〉の意。鞭(むち)あぶみを合わせる、とは馬を速く駆けさせる技の一種。】

 都祢那賀と殊里が駆け込んだのは、いわゆる奴婢部落の一つであった。かつて斗羅雄(とらお)に斬殺された奴婢(ぬひ)子供の住んでいた村であり、その子供の両親が今も暮らす村である。
 都祢那賀と殊里は、もう幾度となく通いつめており、村人達も二人を見知っていて、最初の頃は邪馬台国の貴家種という事で忌み嫌っていたらしいが、例の仇討ち以降は
「生神様じゃ」
 と敬拝し、あたかも主のごとくに慕っている、という。

「奴(ぬ)などが、はたして武の役にたちましょうか」
 村の入口にある、若い百日紅の細幹に馬をつなぎながらいぶかる殊里を見上げて、都祢那賀は
「きゃっ」
 と破顔った。
「殊里は生まれつきの心配性ゆえか、不安顔も堂に入っておるわ」
 などとからかった後に、真顔で
「奴の多くは、もと兵士ぞ」
 と云った。
「しかし若様、今は、奴に違いありませぬ。その身分を乱せば親父殿どころか、嘉汰耶(かたや)様とて烈火のごとくに怒りましょうものを」
 厳然たる身分の違い、という秩序をもって尊しとなす・・というではありませぬか・・。
「阿呆。今は国の火急にて、乱してこそ国が保てる時だ」
 と、目深に被った兜の眉庇の奥で見開いた両眼が煌めいている。

 村に入れば、糞尿と腐水の臭気が混ざり合ってよどんでおり、やがて二人は連れだって、仇を討った子供が暮らしていた賎が伏屋へ入った。そこには奴婢の両親と、かつては猛将であった潰盲(つぶれめしい)の祖父が寝起きしているのである。
 奴婢の家に灯明などはない。朽ちて抜け落ちた茅のすき間から差し込む月星明かりが、何とか人影を浮かび上がらせているばかりであった。
「やあ、俺だ」
 感情を抑えた事のないであろう都祢那賀の、甲高い声は聞き違えまい。
「これは都祢那賀様、陽が落ちて久しいに珍しや」
 奴婢にとっては都祢那賀の初陣や国の有事【戦争や事変】など、知らぬ事らしい。もう夜も、よほど更けたであろう刻限にたずねて来るなどは珍しい、と欠伸(あくび)混じりで眠たげに云いながら、地べたに干草を敷いた上に身を横たえていた家人達がごそごそと這い起きてきたのである。

「殊里、灯せ」
「はっ」
 殊里は腰袋から蜜蝋と火起板と火種棒を取り出し、慣れた手つきで種火を起こして乾綿に移し、それをぶんぶんと振り回して炎に変えるや、蜜蝋を灯して地面に立てれば闇の中に、ぽうっ、と皆の顔が浮かび上がった。奴婢の夫婦は、まず都祢那賀達の甲冑姿に驚いた。
「この夜更けに何事やある」
「どうしたんや」
「二人とも甲冑姿やがな。武器も携えとる」
「・・都祢那賀様、何用や」
「今宵より兵として働け」
「何じゃと」
「奴どもを俺の兵としてまとめよ、というのよ」
「子供戦かや、それとも」また、誰ぞの仇討ちか・・。
「本物だ、時が許さぬ、早う動け」
「さっぱり分からぬわいなあ」
 潰盲の老人も、肉の痩せて深く窪んだ眼窩の影具合で、驚いたような表情をして見せた。

「それは」
 と殊里が言葉を補わんとした時、都祢那賀は
「控えよ」
 と語気鋭く制している。
「兵として戦場に出よ、と申しておるのだ。しかも、敵が迫っておるゆえ急げ、と」
「なるほど、わしらは奴隷や。牛馬のように糞尿を運び田畑を耕せ、と命じられたならば、それに従わねばならん。ゆえに鍬鋤を矢槍剣に持ち変えて働け、と申さるるかや。されど、そればかりは聞こえませぬなあ」
「聞け」
「若様よ、わしらは昔、戦に敗れて国を奪われ、人でなしの苦界にまで堕とされた者達ぞ。いわば邪馬台国を恨む者どもや。その、恨む国の危機ならば、むしろ喜ばしい、と申すが本音やで。わしは両眼まで奪われてもうたがな」
 老人は悔しげに云い、髪を短く切られた自らの頭を撫で上げた。長髪こそは武門の誇り、いや生命と云っていい。

【髪形こそ違え、後世の武家社会にも、この慣習は受け継がれている事は周知であろう。実に明治維新の頃まで続いた、武門のならい、である。】

「今一度だけ辞立つ。邪馬台国のためでなく俺の兵として働け、と申しておるのだ」
「かつての恩を返せ、とや」
「阿呆めが」
 ついに、都祢那賀は怒号した。
「その下卑た性根こそが奴婢だ。うぬら、兵として負けたばかりか、ついには人でなし、とは云い得ておるわ。たとえ武将とて負ければ奴婢なら、奴婢とて勝てば武将の理ぞ」
 十歳の子供とも思えぬ気迫に圧されて、なお身を縮めたあたりも奴婢であったか。
置かれた境遇が人間(気魂)をつくってゆく、とは云え、恐ろしいばかりではある。
「それに」
 都祢那賀は深く息を吸って整え・・
「髪形などを、武門の譽と思うが浅ましいわ」
 そう云い終えて兜を脱ぎ、腰の短刀をゆっくりと抜いて、くるりと手首を返すや自らの頭にかざした。都祢那賀が髪を結えぬほどに短く切ったのは、この時である。
「斬髪などで武門が廃り、人でなくなるかどうか、見えぬ眼でも耳で聞け」
「あっ」
「ああっ」
 殊里達が思わず上げた声にも動作をゆるめず、都祢那賀は自らの手で、かつては宵襠(よいまち)などが誉め称えながら梳かして結った黒髪を、ぶっつりと切ってしまった。
「殊里、今だ」
 うぬの出番は・・。
「はっ」
 殊里も、ためらう事なく同様にしている。
そうして二人の頭上に出来上がったのは、まさに奴の髪形であった。

【斬髪とは武将としての、すなわち〈死〉を意味するであろう。例えば安土桃山時代から江戸時代にかけて決死の出陣、あるいは殉死に代えて恭順の意を表す時などに髻を切るのも、この慣習に準ずるものである。わが国において古くは神代紀にも記述されている。】

「どうしたのや」
 かつては猛将、今は潰盲の奴に堕とされている老人が息子夫婦に問うた。
「都祢那賀様が手ずから髪を切らはった。殊里様もや。わいらと同じ髪形にならはった」
「ほうか・・ほうかい。都祢那賀様はわしに、奴ではのうて武将として死ぬ事を、お許し下さるかや」
 老人は手を合わせ
「ありがたし」
 と、にわかに人変わりでもしたような張りのある声で叫んだ。
続けざまに
「戸板を持て。わしを乗せて担げ。鈷卯挫威(こうざい)と樹久砕(きくさい)に伝えよ、わしが出陣する、と云え。ただちに奴をまとめて都祢那賀様に従え、と伝えよ」

「よし。生命を捨てる覚悟で戦場に向かう者は、たった今より奴ではない。俺の手駒ぞ」
 都祢那賀は上機嫌であった。
「うぬらの、今宵の武器は鍬鋤だ。急げ」
「へへえっ」
 この夜、いったいどれほどの奴が兵としてまとまったのか、は定かではない。が、老人の言霊を受けた鈷卯挫威と樹久砕が迅速に動いて、たちまち近在の奴婢部落の数ヶ村が老人のもとに参集し、さらに都祢那賀は近江海へ向かって移動する道中にある奴婢部落も通過、その人数を膨らませていった、という。
 ただし、この賎民解放集団は、いまだ邪馬台国として認可された者どもではない。その意味では、まさに叛乱軍と云っていい一団であった。しかも首謀者は、斬髪の都祢那賀に違いないのであるから、まことにもってややこしい・・。

(後の話だが、この重大事を裁断した嘉汰耶は・・
「是非もなし」
 という一言で決着をつけている。一国の軍事総帥として見事、と賞賛するより他のない裁きでもあったろうか。)

 さて、この一戦は夜明けを待たずして都祢那賀の思惑通りに終結した、とある。覇津華雅と合流した後の都祢那賀が、戸板に乗った老人に下知して鈷卯挫威と樹久砕を働かせ、鍬鋤を携えたにわか兵士達にやらせた事は、近江海の土手【堤、堤防】を決壊させる土木作業である。
下手の盆地に野営する東日流(つるが)軍陣を圧し流し、かつ水浸しにして壊滅させた上で、覇津華雅軍に矢槍剣を馳走させた。東日流国が、例えば邪馬台国のような強大軍事国であったなら、むしろ小勢の都祢那賀が危うかったかも知れぬ。
 が、史実によれば東日流国は、いわば権謀術数をして他国と対する国であり、軍兵は劣弱であったらしい。
 ともあれ、こうして都祢那賀の初陣は二夜にわたる劇的勝利のうちに収まった、というのである・・。

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2008年12月26日

軍令と軍律とは、軍団においては死守せねばならない掟だよね!!ほんとよね、そうでなければ纏まらないものね!!うん、そのとおり!!

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愛媛国縁起

初陣
         九
 ちょうどその頃、明日香野は深い悲しみに包まれようとしていた。前日、戦場をかろうじて離脱した者達が嘉汰耶(かたや)屋敷に帰参し、壊滅的な敗報を言上しているのである。
 中でも、唖毘卑鈷(あびひこ)と長髄彦(ながすねひこ)の戦死を告げたのは、それら最期の時に側近くにいた、という、かの九市(くいち)将帥であった。
 報告を聞きながら汰雅志嘉(たがしか)は慟哭し、嘉汰耶は沈痛な面もちで終始無言であった、とある。

 しいて察するに、汰雅志嘉は父親として悲しみ、嘉汰耶は軍事総裁としての絶望を噛みしめていたのかも知れない。
まあ、いずれにせよ二人、正気を失っていたには違いあるまい。
 夕暮れが邪馬台の山河を淡く、しかし鮮やかな血色に染める頃まで敗戦物語は続き、その間、どちらもが、今にも迫り来るであろう神武の大軍を防ぐ手だての一つすら思いつけずにいた、という。
ただし、もし平静を取り戻していたとしても、すでに軍兵がいない。都に残した警護兵など、かき集めたところで千にも満たぬ数であり、勢いにのる大軍を迎撃するなどは、どうあがいても出来る思案ではなかったのである。

「まずは宮に・・卑弥呼に報告せねばなるまい」
 やっと嘉汰耶が一言、力無く呟いている。
秋の陽が落ち、庭に篝火が並べられた。そこへ飛び込んできたのは、一騎の早馬である。
「どけ、どけい。注進ぞ」
 叫び上げる騎馬兵の血相が変わっていた。止めた馬から転がり 落ちた兵士は土足のままで、嘉汰耶達が寄り合う住屋へ走り上がり、九市将帥以下数名の敗残兵を押しのけるようにして嘉汰耶と汰雅志嘉の前に進み出て片膝をつき、目礼して
「東方は味野国境(みののくにざかい)に敵軍勢、その数およそ一万。臨戦態勢のまま野営しておりまする」
 喉から血しぶくような嗄声で言上し、後は自らの姿勢を保てず腰を落として尻餅ついた。
「何じゃとお」
「腐れの味野兵めが、こちらの窮状を見透かしおったか」
「さにあらず。物見の報告では北方の真秀ば、東日流国(つがるのくに)の軍兵とか」
 早馬の伝令は顔面蒼白、息が乱れて荒い。嘉汰耶がすすめた盃を受け、一気に呑んだ。暫し、息を整えてから
「神武と呼応して進軍したものらしく、邪馬台国包囲網などと気勢をあげておるよし。東西から都を挟撃しつつ、やがて大軍にて包囲せん滅するが策とて、西方に戦火の見ゆるを待っておる様子にござる」
 と云い終えて、もう一杯あおった。
「邪馬台国包囲網とや」
「やんぬるかな。鬼門に入りて金神嫌う大凶卦、動けばたちまち敗死が必定とは、この事じゃったかよ」
「今宵一夜が、現世のなごりかや」
 場は騒然、皆が口々に呪わしい言霊を吐き散らし始めている。
重くよどんでいた空気がかき乱され、燭台の上の蜜蝋の炎が激しく揺れてくゆった。
「汰雅志嘉よ、皆も聞け。座して待っても死あるのみなら、一矢一槍一剣たりとて馳走してやるが戦士ぞ。討って出る」
 嘉汰耶は、まっさきに肚を据えたものらしい。
「されど、もはや勝ち目はないものを。ひとまず国を捨て、機会を待つが得策かと」
 床に這い蹲った九市が、今にも泣くような震え声で叫んだ時、であった。
「さすがは逃げの九市だな」
 住屋の外から嬉しげな、甲高い声が返ってきたのである。
 その声に続いて入ってきたのは都祢那賀(つねなが)と、くゆる灯明を浴びて大きく映る彼の影の後には覇津華雅(はつかが)と殊里(しゅり)が控えていた。
「都祢那賀か」
「都祢那賀よ」
 嘉汰耶と汰雅志嘉、ほとんど同時に声を上げ、よほど驚喜したものであろう、汰雅志嘉などは
「都祢那賀、都祢那賀」
 と、さらに二度連呼して跳ねるがごとくに立ち上がった。
「よう生きて帰った」
 そう云う、眼には見る間に涙があふれてくる。

 ところが都祢那賀は
「まだです」
 と微笑し、すぐに九市の前に立ち、ぷっと頬を膨らませた。
まったく、この子の気性、秋山の空より忙しい。
「わっ・・若様、ようも、ようも御無事で」
 と九市は平伏し、それを見据えた都祢那賀は
「異母兄様方の前でも、そうして逃げたか」
 などと、微笑しつつ云うのである。
さらに間をおかず
「俺は、しかと申しつけたはずぞ」
 と、これも笑みを含んで云う。
九市が
「はて、何を」
 と顔を上げて云いかけた瞬間、その顔を都祢那賀は蹴って怒号した。
「従わねば斬る、と下知したわ」
「そっ・・それは・・」
 九市は両手で鼻を押さえ、指の間からは鼻血が流れて床を汚した。
「うぬは破った。ゆえに斬り捨てる。覇津華雅」
「はっ」
「斬れ」
 都祢那賀が叫び、覇津華雅は剣を抜き放ちながら、その大股に二歩踏み出した。
「げっ」
 と仰け反る九市の首を横殴りに罅ねて飛ばした。おびただしい鮮血が周囲に噴き散り、その場に居合わせる者の皆にかかった。
座していた嘉汰耶は顔面に浴び、しかも微動だにせず、生温い血が白髪混じりの顎髭を染めて滴るにまかせ、泰然とかまえている。

「軍律に照らして裁きましたが、住屋を血で汚したる事、後ほど如何様にも詫び申す」
 覇津華雅は手首をかえして剣を自身の背に隠し、落ち着いた口調で嘉汰耶に礼した。
都祢那賀の生還がよほど嬉しかったか、あるいは東方の新手に対する自棄によるものなのかは分からない。が・・
「許す」
 と、即座に云ったのは汰雅志嘉であった。
「誰ぞ、首と屍を片づけい」
 とも云った。居合わせた敗残兵どもは、どうやら九市の手下らしい。次は己か、とでも思うたか床に額をすり付け
「生命ばかりは」
 と、震えている。
「早うせい。亡骸を抱えて出て失せよ。働かぬ者こそを斬る」
 覇津華雅は剣を振って血糊を飛ばし、兵士達は狂者のように慌て、さっきまで九市が宿っていた肉塊を数人で引きずり出し、残った一人が眼口を開いて転がった首を拾い抱えて逃げ出した後の事である。

「翁様、父様、ひとまず凱旋いたしました」
 と云いながら都祢那賀は、嘉汰耶の正面に腰をおろし、ややぎこちない仕草で胡座をかいた。
どうやら一人前の大人の武将を、その小さな身体中で気取っているらしい。
「ほう」
 血まみれ嘉汰耶が、ぎょろりと鋭く眼を剥いて
「凱旋と申すかや」
 と問いただし、これには覇津華雅が剣をおさめて
「御意」
 と応えた。
「神武(かみたけ)を討ち、敵を霧散いたした」
「何と。まことか」
 息急切ったのは汰雅志嘉である。よほど驚いた様子であった。
「いかにも。ただし重ねて申す。神武は確かに討ちとったが全軍壊滅ではなく、ただ逃げ散っただけにござる。むしろ壊滅は当方にて、追撃する余力などはありませなんだわ」
「まずは、ようやった。これの初陣を勝ちで飾ってくれた事、幾重にも礼を云う」
「吾ではござらぬ。紛れもなく、若様自らの御手で掴んだ戦勝にござりまするわい」
「ますます驚く。都祢那賀は初陣、まだ年端もゆかぬ子供ではないかよ」
「いやいや、都祢那賀様こそは、まさにまことの軍神におわしまするぞ。此度の戦勝軍慮、すべて都祢那賀様より発せられた。ここに控える殊里ばかりか、庭に控えおる兵どもにも確かめらるるがよかろう。吾ども、若様の御下知に従うたばかりにござりますわい」
 覇津華雅は戦況の詳細を語ろうとし、都祢那賀は膝で飛び跳ねるようにして立ち上がり
「時を惜しめ」
 と怒号した、という。
「俺の初陣、いまだ解けておらぬ」
 とも叫んだ。

 まだ、西方には散り隠れた残兵どもが多数いる。
しかも先刻、東方には新手がおる、と立ち聞いたではないか、とでも云いたいのであろう。
「兵を集めよ。まずは東方を蹴散らす」
 都祢那賀は、熊毛軍靴で床を踏み鳴らした。
「都祢那賀よ、気をしずめい。その、集める兵士がおらぬのよ」
 自嘲ぎみに云う嘉汰耶に向かって都祢那賀は
「阿呆なことを」
 などと、思わず叫んだものである。
「覇津華雅、殊里、ゆくぞ」
 云いながら脱兎のごとく、もう住屋を飛び出していた。
「御免」
 覇津華雅と殊里も慌てて追った。続いて、汰雅志嘉も外へ走り出ている。
「どこへゆくのじゃ」
 高床から庭を見下ろして叫ぶ父親を、息子は篝火の灯の中で輪乗りして見上げ・・
「酒でも食ろうて酔うていなされ。明日の宵は戦勝祝いの宴に、翁様ともに招待いたす」
 と、これまた嬉しげに叫び返した。
「都祢那賀」
 実母である撫子(なでしこ)が、汰雅志嘉のかたわらに並んで心配げな顔をのぞかせている。
「これは母様、相も変わらずお美しい。そのお顔が吉兆、吉兆、大吉兆ですぞ」
 ぱっ、と破顔ってみせ、あとは一目散に大門を駆け出ていってしまった。

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2008年12月25日

神武討死!!ええっ?!うそでしょう?!本当さ!!読めば分かるよ!!

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愛媛国縁起

初陣
        八
 一方、覇津華雅(はつかが)も忙(せ)わしい。
二人が見事に敵陣を割って葛城山に入った事を、松明の灯で確認した時
「この戦、もはや勝ったわい」
 と呟いている。泣いてばかりいた都祢那賀(つねなが)を、ここまでに育て上げた傅人(めのと)としての喜悦もあったであろう。 が、名将ならではの先読、という冷静さも失ってはいない。
闇の中で地に腰をおろし、肩を寄せ合って膝を抱えている兵士達の前に戻るや
「声を出すなよ」
 と念をおし
「大将は、見事に敵陣を割って葛城山へ入った。この一戦、必ず勝てる」
 と云った。兵士達が思わず吐く(おぉ)という息が頂に満ち、眼には見えない志気が夜空に立ち昇ってゆく。
「明晩は都で酒宴じゃがな、今は粽の三本ばかりでこらえておけやい。味わって食らえ」
 すると、がさごそという音が一頻りした。兵士達が、いっせいに腰袋から粽を取り出し、竹皮を剥く音である。やがて静けさが戻り、皆、無言で食った。覇津華雅も食らった。

 粘りけのない竹臭い餅を咀嚼しながら想うのは、葛城山の狩猟道である。都祢那賀達と馬で駆ける己を想う事で、時を計ろうとしているのであった。ゆっくりと三本食らい終えても、まだ遠海(えんかい)の村には着いていない。
 覇津華雅は想像の道行きを続けつつ、現の言動は軍事をおろそかにはしなかった。まず兵士には長さ七寸ばかりの松生枝を横にふくませ、馬には一尺二寸ほどのそれを噛ませて結い付けた。
移動中、不意の声を出させぬためである。

【後世、同様の使い方をして〈枚=ばい〉と称すものである。口木とも書く。】

 松生木を選んだのは、樹皮の裏薄皮が食えるのと、松脂香が気付けになる、からであった。
「これより陣を移す。地や落葉が濡れておるでな、人馬とも足元を注意せよ」
 さらに神武(かみたけ)が眠る本陣の斜め、やや後方から突撃する、と云い含めている。そうして、最初に逃げ登った山の頂にまで戻ると軍を二手に分け
「一手は緒鵜騎摩(しょうきま)、うぬが率いて真横から突け。一手はわしに続けや、真後に回り込んで暴れる。討ち取る敵は神武のみ、と思い定めて掛かれやい。今より後、突撃までは無言ぞ」
 と下知し、大胆にも山裾まで陣を降ろして竹薮の中に兵馬をひそませた。神武の本陣まで、わずか竹編の衝立一枚を隔てたような接近であったろう・・。

 風がやみ、月も雲に隠れたものか、笹葉の隙間から薄い銀布のように淡く差し込んでいた光も消えてしまった。隣兵の顔立ちも定かでない暗闇の中で、突撃の時を待つ兵士達の神経は否応もなく高ぶり、荒い鼻息に揺れる眼前の草葉がさらに緊張をあおる。
耳奥で脈打つ鼓動さえ、不気味な静寂に満ちた竹薮に鳴り響いているかのように想われ、すでに敵は感づいているのではあるまいか、とも想えてくるのだった。
 この季節、夏ほどではないにしろ薮蚊が多い。
甲冑や軍衣から露出した、例えば顔面などを容赦なく刺して血を吸うのだった。
通常の野営なら蚊遣(かやり)できる。蚊火を焚き、蚊遣木を燃べ、もしくは除虫菊を干して粉末にした香を焚けばよいのだが、今は叩く事も追い払う事も叶わず、ひたすら蚊に馳走して養ってやるばかりである。か細い羽音が苛立つ神経を逆撫でし、思わずかきむしりたくなる痒みは、松生木をへし折るほどに歯噛みしてこらえ、それでも、よほど大量の血を吸われているような錯覚にも悩まされ続けねばならない。

(若様、急いで下され。早うに遠海達を掌握し、稲穂原めがけて駆け落として下され。)

 戦とは、不如意な事の多きものかな。穿った云い方かも知れぬが、その不如意を如意に変えてしまう力こそを〈将器〉というのではあるまいか。その時(突撃)は、覇津華雅の思惑の外にきてしまった、という。それは、こんなふうであった、とある。
「ぎゃあっ」
 突如、大音の奇声が竹薮に響き渡り、がさがさと駆け出す音がしたのである。兵士の一人が異常な緊張を堪え切れずに発狂し、竹薮を走り抜けて敵陣へ飛び込んだのであった。
「ちっ」
 覇津華雅は悔しげに舌を鳴らし
 「やんぬるかな」
 と呟いた後には、間髪入れず
「突撃じゃあ」
 と大音声で叫び上げ、鐙に片足掛けたままで馬を走らせ、走らせながら鞍にまたがり、敵の真後から夜目にも白い陣幕めがけて突っ込んでいった。兵士達も、べっ、と松生木といっしょに唾を吐き、緒鵜騎摩は
「吾に続けや、皆、死ねや」
 と、血しぶくほどの大声を発しつつ、あとはもう敵陣の真横から突撃した。

 奇襲とて、深い寝込みを襲われた敵兵は応戦どころか起き上がる前に馬蹄にしゃがれ、臓物が破裂して口から血を噴き、また
「あれえっ」
 と起こした首を、開いた口そのままに罅ねられる者、馬脚に蹴られて骨を砕かれ悶絶する者もいれば、味方の区別もつけられぬらしく闇雲に剣や槍を振り回し、狂うたように突いては斬る者もいて、混乱を極めてゆく。
覇津華雅は一気に敵兵の人垣を突き破り、神武が居るであろう陣幕へ馬ごと突っ込んだ。
「神武はいずれぞ。憶して逃げるを恥と思えや」
「思わいでかあ」
 さすがに敵大将かや、戦場錆びた野太い声とともに大きな陰影が飛び上がり、覇津華雅の馬に向かって突進してくる。
「おお、主が神武か」
「ちぇえすとおおっ」
 神武の気合は、覇津華雅には聞き慣れないものであったらしい。
「何じゃとお」
「夜討ちの卑怯に呼び捨てされるわしではないわ」
 そんなふうに言い返すあたりが、これは、まがいもなき神武であったろう。
「夢の続きは黄泉で見よ」
 覇津華雅は馬上、神武の突き出す長剣を横殴りに払い避けるや、馬の腹を締めて進め、巨漢の影を真っ向から斬り下げた。
「ぶはっ」
 と奇妙な発声と、ばっ、と肉が裂けて血が噴き出す鈍い音とが同時に絶命している。覇津華雅の顔に飛び散った生温い鮮血は、まだ濃い酒の香が漂っていた、という。

 そのまま陣幕の外へ駆け出た覇津華雅は
「神武、討ち取ったあ」
 と叫び、はるか前方に横たわる黒雲壁のごとき葛城山を見やった。いまだ、山腹に松明は踊らず・・。
「ええ、もはや死んで悔いなし。邪馬台の者ども、葛城山に突っ込めえ。神武は殺った」
 その頃にも、本陣から遠い敵陣までは事態が伝わっていない。が、波紋のように敵襲の恐怖だけが広がりつつあった。それを追い立てながら、覇津華雅は
「敵襲じゃあ。神武様が討たれたぞお」
 と叫び散らし、惑乱した敵兵が同士討ちするのをあおり、かつ斬り捨て、後続する味方を振り返るや
「皆、死ね。死ねや」
 と血唾を飛ばして励ました。緒鵜騎摩も心得た者で
「神武は討ち取ったあ。皆も叫べ、叫びつつ進め」
 と下知している。やっと敵兵の中にも反撃に移る者達が出始めた頃であったか、覇津華雅達は敵陣中央辺りまで馬を入れた頃、ついに葛城山中に響き渡る鉦鼓の音が聴こえ、山腹のあちこちに灯が揺れて、それは瞬く間に数を増してゆく。
なかでも、炎が流れ下ってくるか、と見ゆるは山辺道に違いあるまい。その炎流の先端が都祢那賀であった事を覇津華雅が知るのは、戦の後の朝焼けの内の勝鬨の静まってからの談笑の時を待たねばならないが、神武が討たれ果て、なおも挟撃されると悟った敵が大壊乱に陥るのに、さほど間はいらなかった。
大軍であるがゆえの唯一といっていい弱点、すなわち群集心理が引き起こす大恐慌である。

 やがて、空が白み始め、来光の下にさらされたのは収穫の叶わぬほどに踏み荒らされた稲穂原と、おびただしい人馬の戦死体と血だまり、うめきつつ這いずり、あるいは身体を震わせる負傷兵ども、そして腰が抜けたか逃げ切れず、なお恐怖にすすり泣く敵兵と、生き残って嬉し泣きする邪馬台国の兵士達が、これは五百余名ほどであった、という。
 せめての供養とて唖毘卑鈷(あびひこ)や長髄彦(ながすねひこ)の屍を埋葬してやりたかったが、探し出す事も叶わぬ惨状であり、後の始末などは・・
「あらためて奴婢にやらせましょうぞ。あわよくば武具などの遺品が出るやもしれませぬ」
 と覇津華雅は、悔やみ泣く都祢那賀をなぐさめている。
 次に覇津華雅のした事は、近在の農民や葛城山の猟師達に手伝わせて負傷兵の救護であった。遠海と紗貴には、敵味方の別なく介護してやれ、と云いつけてある。逃げそこねた敵兵達を俘虜として葛城山を越え、竹ノ内を通過したのは同日昼下がり・・。

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石鎚山真言宗総本山極楽寺へ大掃除手伝い

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今朝は…出先から直接に石鎚山真言宗総本山極楽寺へあがりまして…大掃除手伝いしてきます晴れ

やはりお世話になっております神仏様々に感謝しながら…少しなりとも御礼の気持ちを伝えてきます晴れ

今、取り組んでいる原稿が…よりよい物語になりますように黒ハートまた、より多くの人々に楽しんでいただけますように…黒ハート

そんな気持ちを伝えてきます晴れ有り難く、有り難く晴れ朝日に祈念いたします黒ハート

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:51 | Comment(0) | 歴史小説家菅靖匡の信心

2008年12月24日

古代日本史なら、やっぱり邪馬台国かな?!そうね、なんだかとってもロマンチックだものね。うん、ファンタスティックだしね!!

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愛媛国縁起

初陣
       七
「全滅やとお」
「若様も覇津華雅(はつかが)も、往んでもうたんか」
 あちこちで嗚咽がもれ出し、ついには地をたたき、ころげころげして一同号泣し始めた。蛙毘寄(あびき)も泣き、村の女子供達も泣いた。遠海(えんかい)と紗貴(しゃき)も泣いている。
しかし、この二人、どうやら他の猟師どもとは、その生まれつきの気魂が違うらしい。ひとしきり泣いて泣き止み、後は・・
「仇をとらにゃあならんぞ」
 と、どちらからともなく云い出した。ただ、その思案、どうしても生業からしか浮かんでこないあたりが哀しいといえば悲しい。
まあ、しょせんは人間の性でもあろうけれど・・。
「敵は大群、どうやって狩るかい」
「大熊百頭、いっぺんに狩る、とでも想えや」
 やはり猟師、されども猟師、とでもいうしかあるまい・・。

 夜が更けても誰一人として立ち去る者はおらず、この期におよんでは蛙毘寄も、肚をくくるしかなかった、という。
「やっぱり、夜討ちしか手はあるまいよ」
「おう、多勢に無勢では、それしかないどう」
 そう決して皆が腰を上げ、馬に乗ろうともした時、であった。
都祢那賀(つねなが)と殊里(しゅり)が、村に入ってきたのである。この時の村の光景には、都祢那賀と殊里こそが驚いた。
遠海に下知して、早急に猟師達を集めねばならぬ、と思い続けて狭くきぶい夜の獣道を駆け通してきたからである。
「うぬら、何事ぞ」
 都祢那賀にしては間の抜けた言葉が、その驚きをあらわしていよう。
「若様、殊里もか。ありがたや、おおかみ様の御加護や、わしを見捨てとらんやった」
 遠海、地に額をすり付けて、都祢那賀とおおかみ様を一緒に拝んでいるつもりらしい。
 やっと顔を上げた時には額の皮が擦り剥け、滲んだ血に土がついており、涙と鼻水で頬や唇が月明かりに照らされて光って見える。紗貴も声を出さずに泣き、皆もうれし泣きして都祢那賀と殊里を迎えた。都祢那賀は馬から降りず
「うぬら、俺とともに死ね」
 と云った。
「おうさ、肚はできとりまするわいな」
「吾ども一同、若様と往きまするぞ」
「うむ」
 都祢那賀、これは子供心にも嬉しかったらしく、戛戛(かっかっ)と輪乗りして
「黄泉なる国には獣などはおらぬ、とも聞くが」
 馬を静め
「邪気畜生の類が群ておる場所もあるらしい。狩猟三昧の捕り放題ぞ」
 と、もう上機嫌で叫んだ。

 無論、都祢那賀に死ぬ気なぞは微塵もない。
馬から飛び降りると、すでに下馬していた殊里を見上げ
「描け」
 と命じた。
「はっ」
 殊里は己の馬に提げている皮袋から蜜蝋を一本取り出し、遠海が素早く火をおこして灯す。その明かりに照らされた地面に枯枝で何やら描いてゆく。
「これが葛城山、こっちが平野で・・ここに小山が連なっております」
「おう、百草山や」
「敵はここから、この辺りまで広がりて」
 と枯枝を捨て、今度は小石 を拾っては置いてゆくのである。「吾らは今、この辺りにいる。覇津華雅大将帥の陣がここ、敵の本陣が、ちょうどこの辺り」
「覇津華雅も生きておるんか」
 遠海が喜声を上げた、その時である。
「死人が陣を張るか」
 と、都祢那賀が怒気をふくんで甲高い声を出した。
「続けまする」
 殊里は周囲に注意をうながし
「もう一軍、味方がここにいる」
 と石を置き、さらに石を拾い
「さて、猟師部落はここと、ここと、この辺りが乳杉だから、ここと」
 そんなふうに十ばかり、葛城山中に散りばめた。
「ここにも一つあるで、わいの部落や」
「この離れ山にも二つある」
「ここと、ここですか」
 応じた殊里は、そのあたりに石を置いた。
「そうや」
「これでよろしいか」
「おうさ」

 すると、都祢那賀が喋り始めた。
「ふもとの敵は狢(むじな)の大群だ」
 と云うのである。
「ほう」
 と、猟師達が互いに顔を見合わせ喜色を浮かべた。
狢はもっとも狩りやすい獲物の一種なのであった。鹿どころか兎や野鼠などよりも警戒心が鈍い、という。〈捕らぬ狢の皮数え〉という言葉が、葛城猟師達の間に云い伝えられている。
まだ弓も引けぬ子供達が、父親の真似をして遊ぶさまを表しているのである。初めて狩猟に出て狙うのも狢であるらしい。
〈狢も捕れぬ〉とは、弓の下手者をあざ笑う時の決まり文句なのである。

 敵は一見大軍なれど、ようは狢の大群に変わらぬ、と都祢那賀は云いたいらしい。
「しかも狙うは」
 言葉を区切り、殊里が捨てた枯枝を拾って
「本陣にて酔い潰れた神武の腐れ首一つ」
 と指した。そして・・
「遠海、夜明けまで、どれ程の時がある」
 と問うている。
遠海は夜空を見上げ
「あの黄色い三ツ星が見え申すか」
 と、妙な応えをした。
都祢那賀も遠海の指す方向を見上げ
「三つ並んだ、少し大ぶりな星だな」
 と云うのである。
「この季節、ここから見上げて、あの屋根の端に重なれば、そうさな、馬ほどの大熊二頭、手慣れた猟師が皮剥いで肉を捌き終える。若様でも、きれいに全皮を剥げるほどの時や」

 はてさて、吾【あ=乃麻埜=のおの】などには見当もつかぬが、当時の都祢那賀にはよく分かったのであろう。
摩訶不思議で大ざっぱな云い回しのようで、しかし、当事者にとっては身体で感じる事のできる絶妙の表現ではなかったか、都祢那賀は
「よし」
 と了解している。
おそらくは夜半、まだ夜明けは遠い、そんな刻ではなかったろうか・・。
「この村々に早馬を出せ。女子供もたたき起こし、松明を持たせて辺りを駆け踊らせよ」
「松明で踊りとや」
 遠海も紗貴も解しかね、都祢那賀は
「歯痒し」
 と身をよじった。
軍慮を、うまく言葉にできないのであろう。何せ、まだ子供なのである。すかさず殊里が説明し始めた。まず・・
「この策は、都祢那賀様の思惑を覇津華雅様が整えたものにて、よくよく肚に入れ、すみやかに、しかも間違いなく動いて下され」
 と念を押し、地面の絵図に並べた小石を動かしつつ
「この一軍と、ここに集まった吾ら一同が攻撃軍となります。鉦鼓を打ち鳴らしつつ一気に山辺道を駆け下りて敵兵を蹴散らし、真正面から敵本陣を突く。この時、村々でありったけの松明を灯し揺らすは、こちらも大軍であるように見せかけるためです。同時に手分けして山全体が鳴るほどに鉦鼓を打ち鳴らし、わぁわぁ、と大声も張り上げて下され」
「おぉ」
「馬を使える男なら、松明を持って馬を駆り、このようにして、一気呵成に、すそ野辺りまで下るのです。これは、大軍勢の一斉突撃に見せかけるため」
「なるほど」
「よりいっそう敵を驚かせ乱すためには平野に出る手前で馬を降り、馬の背に松明を立て、松明馬のみを敵に突っ込ませまする。吾ら攻撃軍が敵に突撃し、やや遅れて覇津華雅様の一軍が敵本陣の背後を突く。戦闘中の合い言葉は、神武、討ち取った、の呼応とします」
「そりゃ何でや」
 
黙って聞き入っていた紗貴が、ぎょろりと眼をむいた。
「敵は大軍なれど、大将が死んだと思えば気の張りも失せ、後は勝手に崩れ散るはずです。周りがよく見えぬ闇の中、恐怖に惑乱する者が多いほど、まとめる事もむつかしくなる」
「まったくやな」
「鹿の群かて猿の群かて、どんな大群でも頭領を失えば終いやからなあ」
 紗貴や他の猟師達も納得したらしく、だんだんと勝てる気になってきた、という。
「・・この動きは」
 と遠海がうなり、殊里が微笑して
「思い出しましたか」
 と云った。
「気付かいでか。夢にも忘れられんわい、これはいつぞや見た、おおかみ様の狩猟やでぇ」
「いかにも、その通りです。これなら、酔うて寝ぼけた狢どもを狩り損なうはずがない」

「時が惜しいわ」
 突然、都祢那賀は飛び上がって叫び、地団駄を踏んだ。
「さよう。夜が明けてしまえば、もはや使えぬ手でもありまするな」
 殊里が云い添える。
「早馬を出せ。勝機をのがすな。獣道の腐れ落葉は濡れている。めくら駆けで駆け通せ」
 都祢那賀、頭では分かっていて言葉にしきれないのが悔しいらしい。真夜中の静寂の中、大勢が動けば馬蹄の音がこだまする。
が、獣道に分厚く積もり腐った落葉は、昼間の雨で濡れており音を消してしまうであろうから、月光もとどかぬ森林の闇道を駆け通して急げ、とでも云いたいのであろう。すぐに早馬数騎が山中を走り、残りは峠の兵士と合流した。
〈戦における真の敵は己【自身】と時ぞ〉後年の陣中にて、都祢那賀が吐いた言である・・。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:02 | Comment(0) | 連載長編小説 当ブログ用

2008年12月23日

菅靖匡が書く歴史小説が云いたいことってさあ、古代とか戦国とか近代とか、時代にかかわらず、人間って素晴らしい!!日本人って美しい!!ってことなんだよね!!きゃあ!!だから大好きなの!!

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愛媛国縁起

初陣
       六
 はたして、そこには、兵馬が屯(たむろ)していたのである。
「すわ、敵かや」
 これは二人と、その兵達がほぼ同時に思った事であった。
が、群れた兵の一人が都祢那賀(つねなが)を知っていた。
「つっ・・都祢那賀様かえ」
「おうさ」
「よくぞ、よくぞ御無事で」
 日中の戦闘で死んだと思っていた、という。
「わしら決して逃げたわけやおまへんで」
 今朝、戦場に駆け下る前に山坂で転んでしまい、やっと馬を立て直し、平野に討って出ようとした時には敵の攻撃が激しさを増していた。出るに出られず、かといって都へも戻れず、仕方なくここで一夜を明かすつもりやった。
「これなどを、天佑(てんゆう)というのだな」
 都祢那賀は、いつぞや大人達が使った言の葉を思い出し、その意味を殊里(しゅり)に確かめている。
「御意」
 すでに殊里も、肚が据わってきたらしい。
平素の微笑を浮かべ、深くうなずきながら落ち着いた口調で応えた。
「俺の下知にて働け」
 都祢那賀は馬上、ざっと二百余の兵士達を見渡して甲高く叫んだ。
兵士達は月明かりの下で顔を見合わせ、どうする、どうしょう、とひそめき合っている。

 この当時、兵士達にも将を選ぶ余地が残されている。
戦場にての下知なども、ある程度は拒否できた。戦に出るのは俸禄と恩賞のためであり、生命あってのものだね、でもある。戦況を見て、より安全な所や手柄を立てられそうな所へ移動する事が、さして罪にも問われず、危険と思えば戦線離脱しても罪悪感などはない。
 今朝方、突撃のさい九市(くいち)が長髄彦(ながすねひこ)の陣営に兵馬を移したのも、初陣の都祢那賀に従うよりは手柄を拾いやすかろう、という思惑が働いたからであり、将としての都祢那賀に狂気を感じて見限った、だけの事である。

「されば都祢那賀様には、よほどの軍慮がおありか」
 兵の中の、将校らしき者が進み出て問うた。
都祢那賀は、こんな時の癖で、ぷっと頬を膨らませただけでいる。
もう、許せないのである。

(阿呆が賢しらげに、分かり切った事をわざわざ問うな。愚問などは時の無駄ぞ。)

 そんな心持ちであろう都祢那賀の代わりに、殊里が声を励まして答えた。まず殊里は
「愚問ですな」
 と、にべもしゃしゃりもなく【ひどく無愛想に】云うのである。
「何じゃとぉ」
 将校が怒気を発したのが、すでに殊里の術中であった。
「すそ野には、敵兵がひしめき合っているのを御存じか」
「知らいでか」
 だからこそ、こうして動けずにいるのではないか、と憤慨した。
「吾ら大人を愚弄するかや」
 とまで勢い込んだのが、殊里の思う壺の機会であろうか。
「されば各々方、歴戦の強者とお見受け申すが如何」
 殊里は、一転しておだてた。
「まあ、そうじゃ」
 いささか場都合の悪げに、将校は苦り切っている。
「その各々方が動けぬ中を堂々と、たった二騎で通り抜けおおせたは若様の軍慮ぞ」
「・・・なるほど」
「しかも、かの覇津華雅(はつかが)大将帥(だいしょうすい)様でさえ舌をまいたほどの起死回生策を携えて、ここまで登ってきたものぞ」
「何と、覇津華雅様が・・生きておいでかや」
「若様の下知に従いて、百草山なる頂にて待機しておられる」
「おお」
 兵士達がどよめき
「左様しからば従い申す」
 と云う将校の声には、すでに喜色がにじんでいた、という。

 覇津華雅の勇名、このあたりにも推して知るべし、であろう。
「ならば死ねよ」
 こうした火急の時、都祢那賀の言葉は殊更に唐突で短い。
解しかねた兵士達がたじろぎ、殊里が都祢那賀の言外を察し、重々云い添えるのである。
「下方の敵が大軍なのは各々方も承知のはず。そこへ少数で突っ込みて勝つには、必勝策を決死の覚悟で遂行するほかありますまい。初手から逃げ腰では、いかな必勝策とて通用しませぬ事は、これも歴戦の強者であろう各々方なら承知の理ではありましょうものを」

 殊里も初陣、しかし覇津華雅の手塩にかかった者である。
堂に入った訓戒であった。先刻まで意気消沈していた下級兵士達も、どうやら勝てそうな気がしてきたらしい。
こうとなればしめたもので、重責を感じて進退に窮していた将校などは単純に調子づく。
「やあ、子供に諭された上に逃げたとなれば兵士の武門が恥も恥じゃ。この先を惨めに生き長らえるよりは、この一戦に大輪の死花咲かすほうがええどぅ。どうじゃ、皆の衆」
「そうやな。どうせなら死んだ仲間の仇、一矢むくいにゃ祟られるでぇ」
「おう」
「よっしゃ、決まりや。都祢那賀様、お聞きのとおりにござりまする」
 戦場にては、いっそ節操のない上官の方が、気の荒ぶる下級兵士には分かり易いのかも知れない・・とまで、都祢那賀が思ったかどうか、吾【あ=乃麻埜=のおの】には読みとれぬ。
が、とうの馬上の都祢那賀は
「きゃっ」
 と嬉しげに破顔った、とある。
「うぬ、名は」
「果蛾耶(かがや)と申しまする」
「たった今より、俺の馬廻【うままわり=側近】につけ」
 都祢那賀は取り立てたばかりの果蛾耶に兵馬の掌握を任せ、殊里をともなって獣道へと入った。獣道とはいえ狩猟で通い慣れた道であり、遠海(えんかい)の居る村に続く山道でもある。山村中の猟師達をたたき起こし、にわか兵士として平野に突っ込ませるつもりなのである。

 その遠海の村、いや、葛城山中の猟師村が、今朝から一日中の大騒ぎであったらしい。
「わしは行く。行くんじゃ。頼む親父、行かせてくれや」
「遠海、ぬしゃあ惣領ぞ。葛城猟師の統領ぞ。目ぇ覚ましさらせぇ」
「あかん、こないな事しとる間に若様が殺られてまうかも知れん。そこを除け、退けや」
「邪馬台国が何ぞ、戦なんぞは兵にやらしときゃあええんじゃ。ぬしが逝てしもうたら、いずれは葛城猟師がばらばらになってまう、廃れてまうんや。退いてたまるかい」
「ど阿呆、若様を見殺しにするほうがやばいどぅ。おおかみ様を怒らしてみい、それこそ猟師は生きていけん。わしが行くんは、葛城猟師を守る事にもなるんじゃい」

 実は遠海、この戦が都祢那賀の初陣になる、と聞いたのは三日前であった。
「連れていってくれや」
 手を合わせて覇津華雅に頼み込んだが、覇津華雅は拒否している。
「猟師は兵士になれぬわい」
「荷運びでええんじゃ、いざっちゅう時には若様の矢避けになる覚悟ぞ。頼むさかいに、陣中に入れてくれやい」
「ならぬ。若様を守護するは、わしら兵士の役ぞ」
 当時は、家業を世襲するのが決まりである事、すでに述べたとおりである。

〈生業に身分の上下はなけれども、気ままに職を選ばせるは国の秩序が乱れるもとじゃ〉

 とは、実質上の国主となった嘉汰耶(かたや)の言である。
覇津華雅とて、破るわけにはいくまい。
「当日は、戦場に迷い出る事も許さぬ。もし出れば、わしが手ずから射殺すぞ」
 そこまで云われ、一度は諦めたらしい。が、邪馬台国軍が葛城山に布陣した事を知るや、いてもたってもおれず、馬をとばして頂まで駆け登り、崖岩の上から難波平野を見下ろしていた・・。
 いざ戦闘が始まって見れば、邪馬台国が負けている事などは素人目にも分かる。
「覇津華雅め、大口たたいて負けておれば世話ないわ。都祢那賀様が、かわいそうじゃ」
 激怒した遠海は、すぐさま村に戻って、甲冑などは持っていないから狩猟支度を整えた。住穴を出ようとしたところで、村の長老であり父親でもある蛙毘寄(あびき)が穴の前に立ちふさがり、短刀を自ら喉元に突きつけ
「どうでも行くなら、わしの屍、踏んでいけ」
 と云った。
戯れでない事は、父親の眼奥に揺れる気迫でわかる。
遠海は暫し絶句し、やがて窮した。
「この通りじゃ、行かせてくれや」
 と、ついには穴中で土下座し、手を合わせて懇願した。
やがて昼も過ぎ、夕暮れが近づいて、それでも蛙毘寄が退かない事は先の会話の通りである。

 この親子の押問答を止めたのは、同村他部落から馳せ参じた猟師どもであった。
「長老様、わしら一同、暇乞に来たんじゃ」
 と進み出たのは紗貴(しゃき)という、およそ猟師には似つかわしくない名の男である。名に所以があった。父親が、落人(おちゅうど)だというのである。
 もとは大和国の兵士であったが、嘉汰耶に敗れた時に葛城山中へ逃げ込んで蛙毘寄に匿われた者であり、そのまま村の娘を娶って猟師になった。二人の間に産まれた男子に紗貴という名付けをしたのは、いつの日にか父の無念をはらしてくれや、という願いを込めての事であった、という。この紗貴、遠海とは竹馬の友であり、猟師としても退を取らない。

「なっ何じゃと、紗貴。おのれら、皆で逝くつもりかや」
 一瞬、蛙毘寄の気がそれたすきに遠海が穴から転がり出てきた。
蛙毘寄の手から素早く短刀を取り上げ、しかし、遠海の言葉も以外であったろう。
「紗貴、おのれが煽ったんか、ど阿呆」
 遠海の怒声はすさまじい、しかも、さらに吼えた。
「お前のせいで、ついに村の男ども総出やないか、わりゃあ、この村を廃れさす気ぃかい。しょせん、おのれは余所者の性根かや」
 とまで云ったのは、よほど激高していたらしい。
「遠海、おんどりゃあ、そこまで云うか。なんぼ何でもあんまりやないか」
「やるんか、わりゃ。ほんまの事やないか。村のゆくすえなんぞ思うとらんくせによお」
「やったらあ。汚い歯ぁ見せさらすな、先におんどれを血祭りじゃい」
「こいや」
「おう、やったらあ」
「二人とも、やめいや」
「やめてくれえ」
 周囲の男達がばらばらと飛び出し、二人を引き離した。

「統領、わしゃあ、わしの了見で行くんや。紗貴につられたわけやないでえ」
「わしもや。わしも覇津華雅様に恩返しで助けに行くんや」
「わいかてそうや、わいは都祢那賀様のためやったら死んでもええ」
 その男などは、垢に汚れた顔を涙で濡らしながら地面をかきむしるようにして云う。
「わいら下里へ降りたらやあ、やれ山賊やの怖いの汚いの云われて、臭いからあっち行け、とまで追われるんやで。都祢那賀様は、わいの家に入ってくれて、わいの母の椀で粥食うてくれて、にっこり笑うてなあ、旨い、ゆうてくれたんや。それだけで死ねるわい」
 いかに純朴とはいえ、すさまじい。紗貴や他の男どもとて似たり寄ったり、遠海とても同じようなわけで生命を捨てようとしているではないか。そこへ、偵察に行っていた者が帰ってきて報告には「邪馬台国軍全滅や。勝った方は無傷で平野を埋め尽くしとるがな」
「げっ」
「ほっ、ほんまかあ」
 皆、ほとんど同時に叫び、遠海と紗貴、驚愕顔を見合わせ、あとはもう、その場にくたり込んでしまった。

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