2009年06月30日

日本古代史ロマンティックファンタジー

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】
 須磨ノ浜(すまのはま)から船をこぎ入れ、葦原(あしはら)の湿地帯を左右に見つつ川を遡り、菊水山のすそ野まで上がると鵯(ひよどり)という在所である。
 鵯はきぶい崖を背にした小さな村で、農耕や漁業を営む人々がのんびりと暮らしていたが、都祢那賀(つねなが)が邪馬台国(やまたいこく)軍を率いて近隣の小国を攻め滅ぼした後に陣屋を構えて周囲に兵馬を配したため、畿内から大勢の商人達が移り住むようになった。

 都祢那賀は鵯に居座り、須磨港に水軍を集めて淡道島を攻め落とし、周囲の海域を縄張りとしていた海賊どもを制圧、そのため貿易に訪れる異国人が急増し、須磨周辺は急速に開けた。湿地帯が徐々に埋め立てられ、商人達が露店を広げたものだから、ありとあらゆる物資が集まり、いわば国際的な市場が出来上がったのである。

『媛国攻陣始末記』という古文献には

《鵯村とは、もともと四十八戸であったが、都祢那賀が陣屋を構えて半年後には三百二十三戸、海上を制圧した後には千余戸》

とある。

《これらは、すべて一年半以内の出来事である》

ともいう。
『魏志倭人伝』に、伊都国(いとのくに)千余戸とか対海国(つまのくに)千余戸云々と記されているのは、この当時から約半世紀余前の場景である。自然的人口増加を考慮したとしても、ひなびた田舎の里が二年足らずでちょっとした小国に発展したような騒ぎであった事は間違いない。
 また『魏志倭人伝』によると

《邪馬台国は三十余の小国が連合し、卑弥呼(ひみこ)を女王として成立した国である》

となっている。

「然(しか)ながら、それは大陸から観た話だ」
 と、都祢那賀は断じて云うのである。
「倭国(わこく)など未だ存在せぬ」
 とも云う。
「大陸などを向こうにまわし、なお堂々たる一国を、たった今より俺が創り上げるのぞ」
 五年前、明日香野の本陣に居並ぶ幕僚に対して、この若者が宣言した言ノ葉である。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:41 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年06月29日

神話のはじまりにおいて・・。

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まえがき9



 さて、この古文献の解読に尽力下さった龍顕(りゅうけん)和尚に深く感謝するとともに以上の余談をふまえ、かつ未来の蓮華を願いつつ、祖先の著した神話の世界にただ遊んでみるのも一興か・・・、と思っている。

 この日本列島なる大地には世界最古とも言われる文明が息づいていたのである。願わくは、倭国(日本)として少なくとも二千年余の歴史を有する大地に産まれ育った我々の =民族としての誇り= なるものを、この物語の内に探してみたいのである。

 ただ、ここでは、神話部よりも主に『媛国攻陣始末記』に関する部分を軸に意訳を記したい、とも思う。
 意訳の理由はもう一つ、原本のいたみが甚だしい頁が、けっこう多いからである。

 意訳にあたっては段落なども再編集し、略筆・余談・注釈などを多分に含んでいる事、先に断っておきたい。それらはできるだけ略筆の中に挿み、【 】でくくる事で本文とは区別し、物語の持つ雰囲気をできるだけ損なわぬようにしたつもりである。
また天竺(現在のインド)の、婆羅門教の神々についてはカタカナで記す事とした。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 09:10 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年06月28日

現在を生きる子供たちの賢さと美しさ・・。

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まえがき8

 現代人達の多くは・・・

《地球に優しい》

などと、さも平然と云う・・。
これこそ、物質文明の極みを狂信する人類の、どれほどに思い上がった戯言である事か・・。

 人類という生物は、この天然のうちに他の生あるもの達と同等、この地球に恩恵を得て育まれているのである。
 有り難い・・有ることが難しい、にもかかわらず生かされて生きている喜びを
「有り難うございます」
 と、生命の大河に向かいて感謝してきたのである。

 大地震や大雨などを〈天災〉と云い、その圧倒的壊滅力の前には絶望的無力を思い知りながら、自ら造り出しておいて制御しかねる〈核〉を頼る事を止めず自然破壊を止めず戦争を止めない、とは、人類、もはや痴呆となり果てたか・・。

 これらの事どもをも、いわゆる天然の力を畏怖する素直な心で、謙虚に考え直さねばなるまい。この地球上で、これから先を生きてゆくのは、紛れもなく僕達の子孫なのだから・・・。

 さて、筆を持ちなおし、あらためて、この国が堕ちている、と書いてみた。
しかし、僕は、現在を生きる若者達の〈賢さ〉を信じている。

 蓮華は腐泥水の上に荘厳を漂わせつつ咲く、という。
現在の日本に毒する我々大人達が、やがては死に絶えて腐泥となった時、その大地の上に生きる子孫達は〈雅芳しい日本〉という蓮華を、見事に咲かせてくれるのであろうと、想うのである。
 そうして、それは古式ゆかしい伝統美をそなえて、なお新しく瑞々しい愛に満ちあふれた生命の華であることに違いないのだ。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 09:49 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年06月27日

工藤隆さんて名ピアニスト晴れ

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昨夜は、プロピアニストであります工藤隆さんのライヴにいって来ましたムード

その繊細かつ力強い演奏には陶酔して心酔しきった次第です。久しぶりに晴れほんまもんの音楽家に出会った心地しておりますムード


最後のセッションタイムにはムードいつも向こう見ずな僕ですから、ブルースを一発いっしょに演奏させていただきました。まあ、工藤さんの素晴らしいことといったら、やはり筆舌には尽くせません。現場にいた人々でなけりゃあ、どう足掻いたって、この感動は伝わらないでしょうね。


僕個人としては、ついに長く忘れられない最高のセッションとなりましたムード

あらためて、工藤隆さんに感謝感激です晴れ

僕は、工藤隆さん西条市ファンクラブの副長となりましたので、また年内中にはお招きしたいと祈念しおります。その時には前もって大いに宣伝いたしますので、どうぞ御家族、ご近所、お友達などお誘い合わせてライヴを楽しみに来てくださいませよ〜晴れ

昨日は最後の打ち上げまでご一緒いただき、歓談させていただきましたがムード

やはり一流の人らしく、人間としても素晴らしい方でしたよ。また一つ宜しくお願いいたします黒ハート


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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 14:35 | Comment(4) | 芸術に捧ぐ

性、セックスに想う・・。

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まえがき7

 さらに『愛媛国縁起』には、いわゆる〈性〉に関する描写が多く含まれているが、これに関しても、現代日本の道徳・概念で解釈する事は避けたい。

 古来より、〈道祖神(どうそしん)信仰〉なるものがある。
性器(男根と女陰)を御神体として奉るものであり、いわゆる精霊崇拝と並べて、我が国の神道における原始形と云っていいだろう。

 邪馬台国の時代にも、確かに巷では〈性〉が単なる快楽であった事をうかがわせる記述もみられる。が、少なくとも卑弥呼(ひみこ)を取り巻く支配者階級においては、あくまでも神聖かつ荘厳な〈神事〉の一つであったらしい。

 まあ、どうであれ、人類が刻み続ける歴史そのものが大いなる虚構なのであり、常にうつろいやすきものであろう事には違いあるまい。言葉や道徳、習慣なども、それぞれの時代によって、まったく異なるのである。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 10:35 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年06月26日

古事記と日本書紀における漢字について・・。

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まえがき6

 その〈歴史〉を変えるのは発見である、とも云われるが、これは嘘もしくは間違いであろう。発見などは、ある意味においては、たんなる偶然と言っていい。とある旧家の倉を整理していて、途方もないお宝や古文書が出てくるようなものであり、たとえば原始の人類が落雷による山火事などで火を手に入れた、とか、その焼け跡に半ば硬くなった土塊を見つけて土器を思いついた、と云うに変わらない。

 発見によって手にしたものを〈謙虚に熟慮しつつ思考する〉時に初めて、歴史は〈変わる可能性〉を持つのである。
 また、歴史は繰り返す、と云われたりもするが、いやはや、これなどは、どうであろう。

 縁起一三〇〇年余を誇る古刹の本堂改築工事の際、本尊が鎮座まします厨子中から偶然発見された『愛媛国縁起』を読み解く事によって我々は、日本という国の歴史を再考すると同時に、太古より絶対かつ普遍とも言われる〈神〉という存在について想像するための示唆を見つけるかも知れない。

【石鎚山真言宗総本山極楽寺は開山縁起千三百年余を誇り、役行者(えんのぎょうじゃ)が石鎚山頂に感得された阿弥陀三尊(あみださんぞん){阿弥陀如来(あみだにょらい)、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、勢至菩薩(せいしぼさつ)}を本尊として奉る。本尊は荘厳重厚(そうごんじゅうこう)な厨子(ずし)に納められ、開山以来百年に一度のみの御開帳と定められた秘佛(ひぶつ)である。平成九年本堂改築が終わり同年九月吉日、盛大な落慶法要が営まれては今日に至る。】

 この、日本における〈神〉は、いわゆる〈ゴッド=唯一神〉ではなく、実は〈神〉でもなかった。正しくは〈かみ〉という発音だけであり、本来は、非常に位の高い者の名前の後ろに付く〈様〉という敬語であった、という。
『古事記』や『日本書紀』などを編纂するに際して、太古からの口伝を文字におきかえる時、〈かみ〉に〈神〉という漢字を当てただけであり、これは他の単語でも同様であるらしい。
 漢字など無かった時代の、その発音の響きまでを考慮しつつ訳することなど不可能なのであり、つまりは、このあたりこそが現代語訳と云わざるを得まい、とする理由でもある。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:41 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年06月25日

光源氏も嘆いてますよ・・。

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まえがき5

 さても、この大霊山を南方に仰ぎ見て、北方を瀬戸内海に接する西条の地に人々が集い暮らし始めた歴史は、考古学にいう縄文時代にまで遡る事ができる。
 昭和十五年に、わずかなる土器が発見されたのを契機に発掘調査が進み、縄文から弥生、そして古墳時代に至るまでの遺跡が示されたのである。

 歴史といえば、僕は縄文人が原始人に近い生活を営んでいたと教えられたが、近年の新たな発掘調査や研究によって縄文人は我々が信じていたよりも、はるかに高度な文化を有していた、という実証がなされた。
 そこには祭祀(さいし)といった宗教的要素も多分に含まれているらしい。その事実を知った時、僕は、古代人達が定住する場所として、石鎚のすそ野(神野=かみの)を選んだ理由を
「地理条件に恵まれていたから・・」
 などと、それほど単純には片付けられないように想えたのだった。

 発見がある度に歴史が変わってゆく、と云う。が、過去は何も変わらない。僕達が知らなかっただけの事である。

 では、いとも簡単に変わってしまう〈歴史〉とは何か。

人間社会や物事などが時間経過とともに移り変わってきた過程と、それらを、ある秩序や観点に基づいてまとめ上げた記録や文書など、と辞書に出ている。

 この〈歴史〉を想う時、僕は、かつて紫式部(むらさきしきぶ)が著した『源氏物語』の中で彼女が光源氏に云わしめた・・
「六国史など、国家正式の歴史書の中に真実など存在しないのではあるまいか。むしろ、物語の中にこそ真実が在るのではないか」
 という台詞を思い出すのである。
まさに現代人の、記紀に対する諸説が定まらないことへの嘆きに通じるものであろう。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 06:25 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年06月24日

古代史ってロマンチックだね・・。

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まえがき4

 神野郡司(かみのこおりのつかさ)である新居氏(にいし)が天皇家の血を引いているから、という理由も成り立つかも知れない。 が、それで片付くようにも想えない。
真実を探るには記紀編纂の意図を、もっと細分化して考えねばならないであろう。こうした記紀研究については、すでに幾多の学術書が出版されており、総じて未だ揺るがぬ定説はない。

 ただ、飛鳥・奈良・平安時代を生きた人々が怨霊を恐れ、勝者が敗者の霊魂を慰撫するために神として奉った史実を思う時、記紀を編纂する事で己(自分)らが駆逐した神々に贖罪し、すなわち、太古よりの大霊山に守られし神野を攻めあぐねた大和朝廷の狼狽ぶりが、つい僕の脳裏に浮かんでくるのである。

『愛媛国縁起』の冒頭に出てくる〈伊志都知=いしづち)〉とは、西日本最高峰石鎚山の事である。
 昨今でも石鎚山は、太古より八百万(やおよろず)の神々のおわします大霊山である、と云われており、その信仰は全国に厚い。

 現在の地図でいえば、四国の、愛媛県西条市に位置している。
その信仰の起源を太古というのであれば、なるほど、四国そのものが古い。『古事記』の国生みの頁に、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)が、御合いしてお生みになった島々の、二番目として生まれたと記されている。

 伊予ノ二名ノ島がそれであり、四国が生まれた時、すでに愛比売(えひめ)という国もあった。また、この一帯は、神々が遊びおわせし野ともいわれ、神野郡と命名された事実が、これは『日本書紀』に出ているではないか・・。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 10:17 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年06月23日

古事記や日本書紀って・・・。

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まえがき3

 さらに『愛媛国縁起』には、大和朝廷派が公には騒ぎたくない重大問題があった。記紀で、なるべく触れる事を嫌った邪馬台国(やまたいこく)の事である。嫌った理由も明確である。
 彼ら(大和朝廷派)の過去に、自分達の祖先以外に高度な文化を誇った者(例えば邪馬台国等)が存在していたのでは宜しからず、という一事に尽きる。

 乃麻埜(のおの)は自国の縁起を著すにあたり、参考文献の中から『媛国攻陣始末記=ひめのくにぜめじんしまつき』という書物を大きに取り上げた。これは邪馬台国衰退期に巫女文字(みこもじ=甲骨文字の類か)で書かれた物である、という。
 この奇書の著者の名は台与(とよ)といい、卑弥呼(ひみこ)の縁戚でもあり、二六六年には大陸の西晋へ貢献している事実が『晋書=しんじょ』に記載されている。
 後に卑弥呼の地位を継いで、邪馬台国の女王になった巫女である。まこと、記紀の編纂者らにとっては忌むべき女性であった。

 こうした事から『愛媛国縁起』は大和朝廷にとって禁書であり、その著者を処刑した、という処置も一応は納得できるのだが、それにも増してすさまじいのは・・・

《わずか四行のために処刑された》

と記載した『愛比売国風土記=えひめのくにふどき』である。
この『風土記』という書物も、実は大和朝廷が各国に命じて、その地方の地理や文化などを書き記させた物なのである。これはもう、時の最高権力に対する抗議などという、なまやさしいものではあるまい。もはや、一国の存亡をかけた〈豪然=ごうぜん〉とも云っていい。しかし、大和朝廷は、ついに愛比売を討つ事をしなかった。

 なぜか・・・。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 09:33 | Comment(2) | 邪馬台国物語

2009年06月22日

日本古代史も面白いね。

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まえがき2

《大海に、大白鯨神(だいはくげいしん)真坐阿(まざあ)おわしまし、深海より地を圧し上げて国土を造りたもう。天空より八百万(やおよろず)の神々来臨影向(らいりんようごう)なしたまいて伊志都知(いしづち)を生み、真護神(まごしん)と納南神(ななしん)なる二柱(ふたはしら)の神が御合いして媛(ひめ)を産みたまえり。神々、殊(こと)の外喜び、媛を愛でつつ詔(の)りたまうに”我ら永劫(えいごう)、この伊志都知にて媛を守らしめん” ”然善(しかよし)けむ”と。》

 これが、天平三年(七三一年)に書かれた『愛媛国縁起=えひめのくにえんぎ)』という物語の冒頭である。
これから記そうとするのは、この『愛媛国縁起』の意訳なのである。

 さあ、いよいよ書き進める前にとて、多少の余話を挿んでおきたい。この物語が記された時代背景などである。
 まずは、この、わずか四行のために著者は処刑された、と『愛比売国風土記=えひめのくにふどき)』の神野郡(かみのこおり)という頁に出ている。
著者の名は乃麻埜(のおの)といい、罪名は
「不敬」
 となっている。はて、何に対する不敬か。
無論、大和朝廷に対するそれであろう。神野郡は大化改新時に置かれ、孝徳(こうとく)天皇の一族が郡司に任ぜられて子孫が世襲し、これが新居氏(にいし)の祖であるが、その後も新居氏は様々
の姓に分派しつつ神野の地で繁栄している、という。
 つまり土着民にとって、神野郡を治め始めた一族は、いわゆる〈余所者=よそもの〉であり〈余所者〉は常に、勤皇(きんのう)の一族、であった。

 それでも、大化改新から百年近く経った聖武(せいむ)天皇の治世には、ずいぶんと在所になじんできたであろう。
 とはいえ、まだ〈余所者〉の匂いが濃厚であり『愛比売国風土記』には

《過ぐる白雉(はくち)九年、倭国の大事(白村江の戦)に勤皇して後、いまだ些かも変わらず》

と、ある。その新居氏一族が、乃麻埜という一介の田舎文学者を処刑した、というのである。
『愛比売国風土記』の記述によれば、乃麻埜は愛比売国神野郡で生まれた文学者であり、彼は自国に伝わる文献や伝説、さらには大陸の古文書や文献等々を詳細に調べ上げて自国の縁起をまとめ上げた、という。
『愛媛国縁起』は、冒頭で解るように、いわゆる神話であるから『古事記=こじき』や『日本書紀=にほんしょき』を編纂した大和朝廷派の意図を著しく損なう物には違いない。
 ここに云う大和朝廷派の意図とは、天皇家を神の子孫として位置づける事で倭国における大和朝廷の覇権を正統化すると同時に、側近としての自らを尊重せしめるものである。その倭国に、天皇家の祖先とは異なる神々がいたのでは、これはまずかろう。
 そこで、とりたてて問題にされたのが、前述の冒頭四行らしいのである。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 08:10 | Comment(0) | 邪馬台国物語