2009年08月31日

鳩山代表はじめ民主党の方々、おめでとうございます。どうぞ、僕たちの悲願を裏切らず、腐敗しきった日本の政治を立て直しては、また素晴らしい国へと導いて下さいね。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 明日香野は、遠く四方を小高い山々に囲まれた平野であり、たとえば盆地の山里などよりは日が長い。
 覇津華雅(はつかが)の屋敷から西方遥かにのぞむ葛城山の上空が、濃い橙と鮮やかな赤に染まり、なだらかな稜線がくっきりと浮かぶ頃、表門に駆け込む二駒の馬蹄の音が響いた。
「帰ってきたわい。さて、勝ち戦であったかや」
 覇津華雅は、上機嫌である。幼い頃から・・
「こやつ、女に生まれた方がよかったかよ」
 とまで嘲笑混じりにも嘆かれていた都祢那賀(つねなが)が、近在の村々の悪童相手に、喧嘩を仕掛けてまわるほどに成長した、というのである。もう、初陣で大手柄をたてたかのように嬉しくてしかたないのだった。

 苫屋では、いつものように宵襠(よいまち)が心尽くした夕餉の膳が整いつつあり、いつもなら手酌で盃をなめながら待っているのだが、今日ばかりは待ちきれず、さっそく庭を横切って住屋の裏手にある馬屋の方へ迎えに出た。
「おお、殊里(しゅり)。どうじゃ、勝ったか」
 馬屋の前で自分の馬に青草をやっていた殊里は振り返り、上気した顔の汗を拭いながら、覇津華雅を見上げてうなずいた。
「ついに、親父殿にもばれましたか」
 いつの頃からか殊里は、覇津華雅を
「親父殿」
 と、敬愛を込めて呼ぶようになっている。
「おお、ばれいでか。若様はいずこ。いずこにおわす」
「裏の池で馬と、御自身を洗うておりまするはずにござりまする」
「そうか。さても殊里よ、若様の馬術も一段と進んだようじゃのう」
「御意。先日、本陣横(地名。嘉汰耶屋敷を本陣と呼称した)の調練場(軍馬の飼育場)に駆け込んだ折には、なかなかの見世物でござりました。馬引役が手こずる荒馬が、若様を見た折柄【おりから=ちょうどその時】、にわかに首を垂れて鎮まってござりまする」
「ほうか、ほうかよ」
「近頃では遠駆けの競馬(くらべうま)なども、ややもすれば吾の方が馬煙(うまけむり)にまかれまする」
 馬煙とは、馬が駆けて立ち起こる土埃(つちぼこり)の事である。つまり二騎で競走する時、うっかりすると自分が負けてしまうのだ・・、と殊里は嬉しいやらくやしやらで誉めているのである。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:09 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年08月30日

西条バンガードムードお世話になりましたm(._.)mムード

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 十月二十八日夜半をもちまして、ライブで長らく御世話になりました西条ヴァンガードが閉店いたしました。

 伊予西条では唯一とも云っていい、シャレた雰囲気の店でした。
僕たちのバンドも幾度となく出演させていただき、美味いピザなども楽しませてもらったものです。

 写真は、この店のハウスバンドでしたジャズビーンズのファイナルステージです。ほんと、ホッとするような演奏で和ませてもらったけど、もう気軽にいける店が無くなったので、残念です。

 いろんな思い出を抱えて、皆さん、最後の夜を過ごしたことでしょうね・・。

 いまは、もう無いヴァンガード、ほんとに長いこと有り難うございました。お疲れ様でした。

 一つ終わって、また新たな一つが始まる・・、そんなことを祈念しながら、この記事を書いたことでした。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 08:44 | Comment(0) | 縁ある人々

どちらにせよ、しばらくは政治がらみで賑やかなんでしょうね。どうぞ、日本の未来を見据えて、文字どおりの懸命してほしいものです。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 ともあれ、宵襠(よいまち)と撫子(なでしこ)が都祢那賀(つねなが)の心象世界を変え、覇津華雅(はつかが)と馬が、その現世界を広げた、と云っていい。

 さても都祢那賀、よほど馬が気に入り、乗馬を好いたものであろう。一年を待たずして彼は、殊里(しゅり)と並んで遠駆けできるほどまでに上達した。
「夕暮れも近いに、まだ帰ってこぬとは。さて今日は、どこまで遠駆けているのやら」
 覇津華雅は庭先で武具の手入れをしながら、かたわらで縫い物をする宵襠に話しかけた。
「さあ、案外と近くかも知れませぬよ」
「確か、二人して、つつみ飯【竹皮で包んだ握飯】を持って出たではないかよ」
「あれは腰糧【こしかて=兵糧】だそうでございますよ」
「なんじゃと、腰糧とや」
「はい。何でも近ごろは、近在の村々をまわって戦に明け暮れているとやら」
「戦とは、これまた穏やかならぬ話じゃ。そなた、笑っておる場合ではあるまいに」
 宵襠は、くっく、笑いながら最近の都祢那賀の様子を語って聞かせた。

 近ごろの都祢那賀は、よく遊びに来ていた近所の子供らを兵士に見立てて率い、隣村などで徒党を組む悪がき共に喧嘩を仕掛けてまわっている、というのである。負かした子供らを手下に加えつつ、さらに勢力を広げているらしい。
「若様の軍勢、なかなかにお強いらしく、いまだ負け知らずとか」
「ほうほう」
 覇津華雅は兜をみがく手を止め、嬉しげに笑った。
「されど、喜んでばかりはおれませぬよ。昨日も近所の方々が押しかけてこられました」
「ここへ、かや」
「はい。子供らが皆、農作業をほっぽり出して若様と駆けずりまわっているのですもの。手伝いを望む親兄弟としては、そりゃあ文句の一つ二つは、云わずにおれますまい」
「・・ふむ。そりゃあ、そうじゃろうて」

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 06:43 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年08月29日

天気のいい日なら、自転車で走るのが数寄です。自動車で通りすぎると気付かなかった、いろんな自然が楽しめます。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 都祢那賀(つねなが)が乗馬の稽古を始めた頃から、宵襠(よいまち)は、盛んに草花を植え始めている。
渋みのある静寂を漂わせていた覇津華雅(はつかが)屋敷の庭が、にわかに華やいできたのである。
「若様、いずれは生命震えて儚き戦場に出られまする御身なればこそ、一輪の花を愛でる御心を忘れませぬように。是非もなく気魂荒ぶり荒む修羅場にても、花を慈しむ御心を保たねばなりませぬ」
 と朝な夕な、都祢那賀に向かいては幾度云い聞かせたか知れない。まったく、どこまで聡明な女性であったことか。

 聡明といえば、生母である撫子(なでしこ)もまた、ひときわの白眉であったろう。祖父に嘆かれ、父にうとまれた都祢那賀を、母はいっそう優しくなぐさめた。
「そなたは、そなたのままがよいのです」
 きっぱりと云った。
「臆病などを、少しも恥じる事はありませぬ」
 とも、この美しき実母は云う。
「されど・・」
 やや拗ねたような都祢那賀の、これは、まだまだ幼い頃である。
「なぁに」
「翁様や父様は吾を、出来損なう者だと嫌いまする」
「今は云わせておきなされ。気にせねばよいのです」
「異母兄様達も遊んではくれませぬ」
「それもそれ。そなたには殊里(しゅり)殿をはじめ、大勢の友がおると聞きました。覇津華雅爺様や宵襠乳母様も、いつもお側におるではありませぬか。寂しくはございますまい」
「うん」
 とは云うものの、やはり寂しいのであろう。
「ここに、ほら、母もおりまするよ」
「うん」
「よいですか、都祢那賀。母は、戦の事などは知りませぬ。知りませぬが、こう思います。武将にて、ただ武勇を誇る者は華やかなれど功は小さい。たとえ臆病なれど武将たらんと欲する者こそは、臆病こそが天佑です。なぜと問われれば、臆病こそが智略なる大勇を育むと思うからです」
 とは、さすが邪馬台大将軍の妻女であった。
「ちりゃくとは、いかなるものですか」
「たった一人で千人の敵を相手にできるもの、と聞き及んでおりまする」
「一人で千人・・とや」
「はい。そのあれこれ【詳細】は、覇津華雅爺様に教えていただきませ」

 里子(さとご)でなくなるのは、その初陣の後である、という慣わしであった。が、言葉をかいするようになれば、十日に一度くらいは実母とも語らえる暇が許されているのである。
 幼少の都祢那賀は、祖父の嘉汰耶(かたや)と実父である汰雅志嘉(たがしか)が住み暮らす実家を好まなかったが、こうして母親と過ごす一時は疎かにしていない。
 馬をうたせて逢いに通う際の手みやげは、必ず宵襠が植えた四季おりおりの花々であった、という・・。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 08:42 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年08月28日

ことに近ごろは、あらためて、まんが日本昔ばなしに凝ってます。市原悦子さんと常田富士男さんが織りなす名人芸と、多彩な映像と、やはり先人の語り残した話そのものがいいです。ほんと、人として大切なことが学べますよね。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

舶来の金襴(きんらん)に包まれており、金襴をほどけば中からあらわれたのは一尺ほどの人形である。
「そなたは巫女ゆえ、触れて障りなかろう。手にとって見ませい」
 宵襠(よいまち)は受け取り、目を凝らしてよく見れば、豪奢(ごうしゃ)な甲冑(かっちゅう)を身に纏(まと)った武将のようだった。
「それなるは御名を毘沙門(びしゃもん)と宣(のたま)いて、天軍神大将におわします」
「まあ」
 さすがは巫女である、宵襠はそっと両手を合わせて拝んだりした。

「祖父が、どこぞで手に入れてきて、父が受け継いだものらしい」
「ほんに凛々(りり)しい、御立派な御姿」
「わしの幼少の頃には、嘉汰耶(かたや)様に仕えての初陣前夜であった。親父(おやじ)がな、これをわしに授けて申すには、これを持して心呪を唱うれば、矢槍豪雨のごとくに降り注ぐとも決して当たらず、軍略などは岩をも割って溢るる泉のごとくに湧きいでて、しかも一つとして外れず・・というほどに霊験灼(れいけんあらたか)なる軍神様ぞえ。しかながら、その功徳をひらかせ奉るに
は一生涯、女性を近づけてはならぬ、と云う」
 祖父も父も拝まず持していたものゆえに、武功の一つも恵まれなかった変わりに、わしが現世に生をうける事ができたわけじゃが、さて、どうしたものかと思案のすえ、わしは密かに拝む事に決めたのよ。確かに絶大無比にして神妙なる霊験を授かったわい。
それゆえ、女性と契るどころか、その柔肌に触れる事すらも叶わぬのよ・・・。

 宵襠は呆れた、という。世に隠れもなき名将の武功の種が女禁とは、どうであろう。
 しかし、邪鬼神の類とて逃げよう、というほどに威風堂々たる覇津華雅(はつかが)が夜な夜な、この御神体に向かいて、その節くれ立った厳つい手を合わせて畏まる姿を想い浮かべたらしい彼女は、つい、ぷっ、と噴き出してしまった。これで淫靡(いんび)なる気は失せたのであろう。
「ありがたし。委細承知いたしました。もう、無理は申しませぬ」

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:55 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年08月27日

ハリウッド映画の観すぎじゃないですか?!日本を動かしてる各省庁の偉いさん方はじめ有識者だの知識人だのを気どって口出ししてる方々。ここは、日本という国ですよ。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 はてもさても、覇津華雅(はつかが)と宵襠(よいまち)、ともに暮らすようになって、もう久しい。だが、しかし、いまだに、いわゆる男女の契り、というものは無いものとみえる。
 このあたりの情景、『媛国攻陣始末記』にも十数行しか記されていない。

 都祢那賀(つねなが)を里子に引き取って間のない頃であった。宵襠と都祢那賀は新築の高床住屋に寝るが、覇津華雅は従来の苫屋(とまや)暮らしを止めていない。
 互いに慣れぬ日々が暫く続いたが、ある夜、囲炉裏(いろり)の炎が炭火になっても、宵襠は席を立とうとはしなかった。
 かたわらでは、乳をたらふく飲んだ都祢那賀が、すやすやと眠っている。盃を重ね、心地よく酔いのまわった覇津華雅は
「乳母様よ、今宵は蜜蝋を切らしたかや」
 などと、からかい半分で云ったものであった。
ふつうは庶民の住み暮らす苫屋では、囲炉裏火が、夜の灯明を兼ねている。つまり、高価な蜜蝋(みつろう)を手に入れられる身分の者でなければ高床の屋敷には住めない、とも云えよう。
 その灯明を、うっかり切らしたゆえに、夜ふけても宵襠は住屋に戻らぬのか・・、と、どうやら覇津華雅は思っていたらしいのである。

「そうではのうて・・もうそろそろ、傅人様と乳母の契りを、男女の神事を契りとうござりまする」
 と云いつつ宵襠は腰紐(こしひも)をとき、髪の元結(もとゆい)まで、ほどこうとしていた。
「まっ待て。それはならぬ。ほどくなよ、待て待て。いっ・・いかぬと云うに」
 覇津華雅はとめようとし、宵襠はやめようとしない。
「なにゆえにござります。契るにも、わたくしの身分が低すぎるからでしょうや」
 彼女は髪をほどく手を休めたが、そのかわりに目を据えて覇津華雅に問うた。
「ちっ違うわい。わしは、その・・ただ、いかんのじゃ」
「それでは返答になりませぬ」
 宵襠は膝をにじって詰め寄り、覇津華雅はよほど困惑したものか盃まで落として、尻をついたまま後退し、ついに苫屋のすみの鎧櫃(よろいびつ)の後ろに隠れてしまった。
「契りが叶わぬなら、せめて陰部(ほと)をさすって下さりませ」
 この夜の宵襠は、相伴の酒に酔うてしまったものか、妙にしつこい。
「いかん、いかんぞ。それもいかんのじゃ」
「女性に、これほどの恥をかかせて・・覇津華雅様には・・・死ねよ、とや」
「あっあほうな。されば云う。今、話す。話して聞かせるゆえ、腰紐をもどせや」
 そう云いながら覇津華雅は急ぎ鎧櫃の蓋をずらして、内から何やら掴み出した。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:04 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年08月26日

人間たる心情を蔑ろにして合理化を圧しつけられ、母国語を疎かにして英語を圧しつけられ、電子機器に囲まれて成長する子供たちって、果たして幸せに育つのかなあ・・。

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愛媛国縁起


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『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 この宵襠(よいまち)なる女性、巫女としての身分は低いが、そうとうの才媛であったろう。
こうした機知(奇知でもある)の豊富な他には、料理も上手い。ありきたりの食材を巧みに組み合わせ、様々に調理した。

 そんな中でも都祢那賀(つねなが)をはじめとする子供達が歓喜するのは茶子【ちゃのこ=菓子の類】である。羹【かん=羊羹の祖先】と呼ばれる練物が得意で、色々な素材を錬って作った。
 餅の種類も多い。都祢那賀がもっとも好んだ茶子は、後に〈歓喜団子〉と称された逸品で、その製法も記されている。まず金柑(きんかん)と柚子(ゆず)と橙(だいだい)の、表皮と実を別々にして天日で干し上げてから細かくきざむ。焼栗と胡桃の実を潰した物を茹小豆と混ぜ合わせ、それに前述のきざみ物をよく練り込んで餡に仕上げる。つきたての餅を一口ほどの大きさにちぎり、柔らかい間に薄くのばして餡を茶巾包みにしておき、それを胡麻油(ごまあぶら)でさっと揚げれば出来上がり。
 揚げ立てなら餅皮はかりっとして、中の餡は口中でとろけるような感じで、柑橘の香りが広がり、しかもほのかに甘い。これを薄塩で浅く漬けた大根の千切りと一緒に夏なら冷茶、冬なら温茶で食するのが、また格別に旨いものである。

 この歓喜団子を食べる時、どういうわけか都祢那賀は生大根の輪切りを好んだ、とある。彼は、よほど大根が好きらしく、畑で引き抜いた大根を洗って丸ごとかじる事もあった、とも云うのである。 変わっているようにも想えるが、なるほど、確かに団子の甘味と大根の辛味がほどよく混ざり、互いを引き立て合うような食べ方ではあろう。
「乳母(かか)様は巫女でありましょう」
 幼い都祢那賀は料理する宵襠にくっついて、乳母の白く細い手先をのぞき込むようにして問うている。
「はい」
 宵襠は、手を休めることなく餡を練りながら応えた。
「俺が翁様【じじさま=嘉汰耶=かたや】ならば、乳母様を巫女の女王にする」
「ほう」
 と、かたわらで武具の手入れをしていた覇津華雅(はつかが)が、その由緒を聞いている。
「宮中の巫女などは、その手で怖い物ばかりを出してくる」
 乳母様の手で出来る物は、みな旨いもの・・。
これには覇津華雅と宵襠、思わず顔を見合わせて噴き出したが、都祢那賀だけは真顔で
「本当の事です。乳母様の手は、どの巫女の呪術よりもすごい」
 と感心していた、という微笑ましさなのである。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:28 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年08月25日

賛否はともかく、曾(ひい)おじいさん、おじいさんは、人間としても政治家としても大変に魅力的な御方でしたね。当代様を観ていると、どうやら産まれ育ちと、人格や教養などは別ものとも想われます・・。

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愛媛国縁起


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『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 鼎(かなえ)が、くわんくわん、と音を立てて震え、当たり前ながら水面(みなも)に細かい波が立つ。
「水面が揺れて、よう見えませぬ。あぁ・・見えなくなってしもうた」
 都祢那賀(つねなが)の残念そうな声を聞き、宵襠(よいまち)は、くっくっ、と笑いをこらえて云うのである。
「心とは、この水鏡(みずかがみ)の水面のようなものにござりまする。鎮まっている時には何でも映して見せてくれまするが、ざわめくと見えなくなりまする。また、水面は確かにございますのに、水面だけを手にとることは叶いませぬ」

 宵襠は鼎をひっくり返して、水を流し・・
「そして水は形を整えませぬ。つまり、どのようにでも形を変えることができまする。心も同じにござりまする。目を閉じて気を静めれば、まぶたの裏に水鏡ができて、手で触ることは叶いませぬのに、まるで目の前にあるかのように見えるのです。まぶたの裏の水鏡こそが心です。心が騒げば、さきほどのように水面が波立ち、何も映らなくなってしまいまする。さらには、若様。もう一度、目を閉じて馬の顔やら都の賑わいを想い出しながら見てみなされ」
 都祢那賀は、素直に従った。

 かたわらの覇津華雅(はつかが)は、眠気もさめたらしく息をするのも忘れて驚いたように目を見開き、大蜜蝋(おおみつろう)の揺れる炎に照らされた宵襠の微笑を見つめていた。
「若様には、初めて乗った馬の顔など見えておりまするか」
「うん」
 目を閉じたまま、都祢那賀は素直にうなづく。
「では、そのまま耳をすましてごらんなさいませ。馬の駆ける音が響いてきませぬか」
「・・・聞こえまする。ああ、都の賑わいも聞こえてきた」
「はっきりと、ですか」
「うん。まるで、また馬に乗ったような心地にござりまする」
「では、目を開けなされ」
 宵襠は静かに立ち上がり、今度は紙と筆、それに墨を持ってきて、都祢那賀のそばに座りなおした。床に紙を広げて置き、くるくると、それに何やら書き始めたのである。
 やがて書きあげたのは、細枝を幾重も垂らした柳の木である。
「拙き絵なれど、これは柳にござりますよ」
「うん」
 都祢那賀は、もう、その眼を好奇心いっぱいに潤ませている。
「柳は目ではっきりと見えまするし、手で触れることもできましょう」
「うん」
 都祢那賀、すでに夢見心地であったろう。
「されば絵にも造作なく描けまする。では、目には見えませぬ風と風の音を、絵に描いて御覧にいれまする」
 そう云って、また宵襠は、くるくると筆をくねらせ、細枝がゆったりとそよぐ柳を描き、その横には幹までがしなり、細枝が乱れ散る柳を描いた。
「こちらが風、こちらには枝に切られて鳴る風の音を込めました。聞こえまするか」
 すると都祢那賀は絵におおいかぶさるようにして見いり、暫くして顔を上げた。
柔らかな頬がやや紅潮し、満面の笑みを浮かべて目を輝かせ
「聞こえまする」
 と、甲高く云い、覇津華雅は思わず膝をうち
「見事じゃ」
 と、うなった。

「この・・絵に描きし風と風の音こそが、心というものにござりまする」
「いやはや、そなたの聡明なる事、常々見知っておるつもりじゃった。されど今宵こそは、あらためて感服つかまつったわいのう。いや、まこと見事じゃ」
「されば、覇津華雅様。今宵こそは愛でて下さいましょうや」
「そっ・・それはその・・」
 覇津華雅は慌て、宵襠は美しい顔に笑みを咲かせて身をよじり
「さあ、今宵はずいぶんと遅うなりました。お二方とも、お疲れでしょう。早う、お休みなされませ」

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 08:26 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年08月24日

心霊とか霊力とか占いとか、ことにテレビなどで流行っているモノは、僕にとっては眉唾です。が、眼に観えず、手にとることもできないからといって、それは存在しない、と云うのは間違いだとも思っています。たちまち生命は、その尊きにして最たる。

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『愛媛国縁起』
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 都祢那賀(つねなが)は飯をかき込み、覇津華雅(はつかが)は興味深げに宵襠(よいまち)を眺めつつ、悠々と呑み続けた。
 やがて膳を片づけた宵襠は、大蜜蝋(おおみつろう)が明々と燃える燭台(しょくだい)の近くに鼎【かなえ=三本の脚で立つ、煮炊き用の器】を据え、手招きなどして二人を近くに寄せた。
「では、心を見せてさしあげまする」
 と云いながら、鼎にたっぷりと水を張った。
「まずは目を閉じて、お気を静めなされ。そして今日、馬で駆けて見た景色をまぶたの裏に想い浮かべてごらんなさいますように」

 暫し、蜜蝋の芯が燃える微かな音が聞こえるほどの沈黙の時が、静かに流れていった。
「何か見えましたか」
 と宵襠が問うと、都祢那賀は目を開け・・
「馬の顔と・・都の賑わい」
 と答えた。
「目を閉じているのに、よう見えましたか」
「うん、夢のように」
「それこそが、若様の内にある心が見せたものにござります。この世には、確かに目で見、手で触ることのできるものと、目には見えず触ることもできないものの二通りございます。時おり参ります宮中にて、巫女がお呪いなどして見せるものがございましょう」
「うん」
 都祢那賀は、こくり、とうなずいてる。
「あれなども、いつもは見えぬ神々様を口寄して、御姿を現していただくのですよ」

 都祢那賀は、その癖で小首をちょっとかしげ、宵襠の話に真顔で聞き入っている。
「では若様、この鼎をのぞいてごらんなさいませ。よぉく目を開けて、じっと見て。これは奴我【やつかれ=わたくし】が化粧の時などに使う水鏡にござります」
「みず・・かがみ、とや」
「今は水面が鎮まっておりましょう。若様のお顔も、よう映えて見えまする」
「うん」
「では、けっして目をはなさずに水面(みなも)に映る御自分のお顔をじっと見つめておいでませ」
 と云いつつ、宵襠は手にした擂粉木(すりこぎ)で 鼎の縁を叩き始めたのである。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 06:40 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年08月23日

Sun Ship【サンシップ】に酔いしれる夜揺れるハート

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 昨夜は、またもサンシップのライヴに行ってきました。
今治の老舗食堂であります、かねと食堂での、まさにワンダフルナイト!!一昨日にも書いたとおり、まったく素晴らしいステージでした。この写真は、ウッドベースが二本立ってますように、アフターセッションの一場面です。

 およそ明治維新ののち、いわゆる文明開化ってやつ以降・・、世界各国から観た日本人は、悲喜こもごもに、猿真似などと嘲笑されることが少なくありませんでした。あるいは敗戦ののち、ブルースとかジャズなどという舶来の音楽が根づき、日本人のうちにも数多の名演奏家が輩出されおりますでしょう・・。

 じっさい、僕個人としての話ですが、サンシップに出会うまでは、ことにジャズと云われおります音楽を演ってるバンドにおいて、猿真似などという言葉を想いもしませんでした。みな、それぞれに素晴らしく聴こえていたんです。ほんと、みんな、凄かったなあ・・。

 ところが、しかし、です!!

 ついにサンシップを目の当たりにしてしまった瞬間から、今まで僕が感じていたものが、ほとんど猿真似に観え聴こえし始めたものです。いや、もちろん今でも、ほかに何人かはおりますよ、僕が感じる凄い人たちが・・。とはいえ、サンシップというバンドは、もう圧倒的な存在感でもって、僕を酔いしれさせてくれてます。

 日本人にもジャスはできますよ・・
ってなもんじゃなくて

これがジャズでなくて何としょうぞっ!!
って感じです。


 音楽というものの、各パートにおいては、僕の知ってるうちにも、それぞれ凄い人たちが、たくさんいます。が、個人プレーとバンドってやつは異質なものだ・・、と僕は想っています。
云うまでもありませんが、サックスの並木さん、ピアノの村上さん、ドラムの北村さん、ベースの川崎さん、それぞれ超一級の名演奏家ですしね、そのコンビネーションが、それこそ絶品としか想いようのない素晴らしさなんですよね。

 どうであれ、音という、眼には観えない、かつ一瞬にして消えゆくものの・・、しかし、確固たる存在感が、サンシップというバンドにはあるっ!!と、僕は感じています。

 いや、音楽のすべてを知ってるわけでもなく、自分が名演奏家などでもなく、むろん評論家なんぞでもない僕ですが・・・、
ついつい興奮醒めやらぬまま、書いてしまいました。
m(@。@)m

 あと、皆さん、ぜひチャンスをみつけて今治の、かねと食堂に足を運んでみて下さい。さすがは老舗ならではの、古き良き日本が、これまた確固たる存在感を醸し出していますよ。僕は食通なんかじゃあないし、だけど、イタリアンだのフレンチだの三つ星だの五つ星だのというレストランなんて、じつは僕には猿真似としか想えず、大した魅力も感じない者なんです。

 ほんと、かねと食堂は、めっちゃ美味しいよっ!!
ちなみに、上の写真の左端でトランペットを演ってるのが、かねと食堂の桑原さんです。この人も、僕の感じる名演奏家のお一人でしてね、陶芸の先生なんかもやってる、まこと魅力ある多彩な人です。いやはや、サンシップの皆さん、桑原さんはじめ地元の名演奏家の方々、いつも、いつも感謝感激です。有り難うございます。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 09:23 | Comment(0) | 縁ある人々