2009年09月30日

出雲で、日本最古と想われる石器が発見されたそうですね。ふと、神の手の捏造事件、を思い出しました。が、しかし、どうであれ、僕たちの御先祖様が手作りしたものでしょうから、やはり大切にしたいものです。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 兵舎では、すでに殊里(しゅり)は有名であった。
何しろ、幼くして、かの覇津華雅(はつかが)大将帥(だいしょうすい)の側近に抜きん出た者なのである。誰ひとりとして、殊里の言葉を疑う者はおらず、すぐに酒宴が始まった。その酔態を、殊里は、じっくりと眺めているのだった。
「いやはや、しみったれの斗羅雄(とらお)様が、わしらに酒を下されるなどは、たまげたのぉ」
「上官にへつらうのんは常々やったが、わいら目下者には鼻もひっかけんのにのぉ」

 だんだんと酔いがまわるにつれ、嫌味な上官の悪口が生々しさを増してゆくあたりは、いつの世にも変わらぬものらしい。
「ありゃあ、人を見て態度を変える、いやなやっちゃでぇ」
「確かに強いし、戦場で手柄も立てるけんどよぉ、部下の手柄も横取りしよるんやどぅ」
「自分の失敗は知らん顔やが、同僚の失敗には容赦ないで」
「わいら、下っ端(したっぱ)が下手(へた)売った日にゃあ、むごいもんやんかあ」
 みな、口々に云いはじめ、積もり積もっていたらしい鬱憤(うっぷん)には、もう取り留めもない。

「むごいっちゅうより、えげつないわ」
「ありゃ、男のくせに気鬱【きうつ=現在にいうヒステリーの一種】やんか。その時の気分しだいで許したりもするし、吐き気がしてくるほどに責めたりもするんや」
「許す、ちゅう時もよ、さも自分は豪気者やっちゅう芝居をしよるやろが、いやらしいやっちゃで」
「あれの、どこが豪気なもんかや。ほんまは肝の小さい見栄っ張りやがな」
「それに性根が下卑とる。卑猥話が何より好きで、時と場所をかまわず話しよるがな」
 なるほど、こうした生な話は、その部下の、しかも酔った上でなければ聞けまい。

 あらためて殊里の報告を聞いた都祢那賀(つねなが)は
「ふん、見栄っ張りなら堕とすのも簡単だ」
 と笑った。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:32 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年09月29日

今日という一日が、なんとなくではありますが、とても大切な時間に想える昨今です。いい調子になってきた・・、という気がしています。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 その殊里(しゅり)の家の前で馬を止め、戛戛(かっかっ)と足踏させつつ都祢那賀(つねなが)は
「殊里、戦ぞ」
 と叫んだ。
脱兎のごとくに走り出てきた殊里に
「敵は斗羅雄(とらお)、すぐに調べよ」
 と命じている。
斗羅雄の暮らしぶりを調べよ、という下知であろう。
 これは狩猟(かりくら)の折々に、遠海(えんかい)より学んだものらしい。確実に獲物を倒すためには、まずその習性を知り尽くし、弱点と追い込む場所と射かける機会を定めねばならぬ、という教えであった。

 まだ都祢那賀は幼く、身体も小さい。が、この子の命令のままに動く者達は殊里などのように年上であり、その中には遠海などのように歴とした大人までがいるのである。
 殊里は素早く、しかも聡い。翌日の夕刻には、斗羅雄の屋敷造りから保有する土地、妻女の数と住まい、彼の日課と性癖までもを調べ上げて報告している。
「されど都祢那賀様、願わくは、もう二日か三日ほど時を下されよ」
 都祢那賀の許しを得た殊里は、都の市場横に在る造酒屋(つくりさかや)で上等の濁酒(どぶろく)を買い込んだ。それを持って向かった先は、斗羅雄の部下達が寝起きする兵舎であった。
「斗羅雄様よりの言付物(ことつけもの)です。将校様以下、皆さんで呑み食らえ、とのお達しです」
 斗羅雄の部下達が皆、驚いたような表情をあらわにした、とある。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 08:14 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年09月28日

ラジオ体操といえば・・、近ごろは運動不足もはなはだしく、身体が衰える一方って感じです。立ち座りにも、つい掛け声をつぶやいてしまう前に、何とかせにゃなりませぬ・・。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 殊里(しゅり)の家は、さほど遠くない。
狭い屋敷に結いまわした竹垣が、かつての武門を伝えてはいた。が、現在は朽ちて、ところどころ崩れ破れている。ただし、それはもはや、貧しいゆえではなかろう。覇津華雅(はつかが)に召し出されて後の殊里は、子供としては法外なる高禄を食(は)むまでになっているはずだからである。

 しかして、なお困窮ぶりなたたずまいには驚嘆すべき理由があった。
「今日、そなたが高禄を頂戴するは、私(わらわ)どもが贅沢のためではありませぬ」
 とは数年前に覇津華雅に雇われ、初めての禄を頂戴しては、嬉々として米や菜や新しい衣などを買い付けてきた殊里を叱って、母親が叱咤した言葉である。
「そなた、いつからそんなに卑しゅうなった」
 とも云っては泣いた、という。
幼い殊里も
「母上を思うてした事ですのに」
 と、大粒の涙をこぼしている。
「何の涙ぞ」
「悔し泣きです」
 小さな足で米俵を蹴りつけ、殊里は身をよじって泣いた。

 すると母親は、思うさまに殊里の頬を張り飛ばしたばかりか、その細腕をつかんで祭壇の前にひき据えて云ったものである。
「殊里、さあ、潔く死になされ」
 祭壇には、父親の霊を入れている、という黒曜石を研磨した矛先が祀られている。
「もはや、そなたは兵士ぞ。この禄は馬を飼い肥やし、武具をととのえ、手下を養うためにこそいただけるものです。今日よりそなたは覇津華雅様の御為に生きて働き、若君様の御為に戦場にて散るが覚悟。私の手にて育てし殊里などは、たった今、死になされ」
 これは、そなたが生まれし時に、父様が宮へ出向いて祈祷してもらい、そなたの霊を吹き込んだ黒曜石です・・・さあ、さあ、今こそ父様のお側に祀ってあげまする・・。
「・・・・母上」
「何の涙ぞ」
「・・・幼き己へ、別れの涙です」
 そう云って腕で拭い、後はもう泣かなかった、という。武門の血とはいえ、すさまじや・・。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:21 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年09月27日

新しい朝が来た、希望の朝だ・・、確かラジオ体操のオープニングテーマでしたよね。ようど、たった今、僕の部屋の小窓に朝日が差し込んできました。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 さて、そろそろ初雪が舞おうかというある冬の日、斗羅雄(とらお)が斬った相手は、子供であった。
その子供が、どういう無礼をはたらいたのか、までは記されていないため分からない。が、確かに斗羅雄の手で斬って殺された。これが、そのまま斗羅雄の不幸にもなってしまった。

 この子供、奴婢(ぬひ)の間に産まれた子だが、ただの子供ではない・・とは、都祢那賀(つねなが)の縁者であった。都祢那賀の手下には、たとえば殊里(しゅり)などのように兵家の子息だけでなく、農民や建師などの職人や猟師の子供達が大勢おり、奴婢の子供達も分け隔てなく混ざっている。
これが覇津華雅(はつかが)と宵襠(よいまち)の、大らかな養育のおかげである事は、すでに書いたとおりである。

 もっとも奴婢とは、もともと畿内に暮らしていた者達であり、突如勝手に攻め込んできた嘉汰耶(かたや)に敗れて俘虜【ふりょ=捕虜】になった兵士とその家族なども多数いる。斬り殺された子供の祖父も猛将として戦った者であるが、その勇猛ぶりが災いし、捕らえられた時には再蜂起を懸念されて、両目を潰されてから家族ともども奴婢の身分に堕とされた、という悲惨であった。

 ともあれ、異変の知らせを聞いた都祢那賀は広大な屋敷内の、苫屋(とまや)の囲炉裏(いろり)で暖をとりながら、ちょうど夕餉の膳に向かっていた。庭先で泣きながら報告する手下の声だけを聞きつつ飯を食い続け、やがて小さな手を合わせ
「美味しゅうございました」
 と、心配げな覇津華雅と宵襠に、ちょこんと辞儀をしてから立ち上がり、ゆっくりとした足どりで外に出た途端に
「もう泣くな」
 と甲高い声で怒号したあとには、もう馬屋に向かって駆け出している。

 庭に出てきた覇津華雅に
「殊里のところ」
 と叫んだ時には馬上、手綱を引いて高々と馬の前脚をあげて、それは見事な輪乗りをして見せてた。もはや勇んでいる、と想っていい。
「若様には、どうなさるおつもりか」
 と問う覇津華雅に
「どうもいたしませぬ。今宵の内だけは」
 そう叫び残し、あとは表へと駆け出していったのである。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:10 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年09月26日

日々に深まりゆく秋の景色を観ていると、四季を全身で感じられる田舎って素晴らしい・・、と、あらためて思います。石鎚山に今年の初雪は、いつ頃でしょうか・・。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 ともあれ、これより二三年の間の都祢那賀(つねなが)は、狩猟三昧(かりくら)の日々を送って恙(つつが)なし、とある。
恙なし【病気などせず健康に過ごす、という意味の他、異常なく無事である、という意味がある】とは、どうやら都祢那賀に限っての事であったか。この子は、確かに強くなった。

 が、しかし、である。周囲の者といえば、まず都祢那賀の悪戯(わるさ)に遭うた人々、ことに、この子を敵にまわした者達は無事にはすんでいない。
そんな被害者の一人として後世にまで名を残したのが、斗羅雄(とらお)という、この男は汰雅志嘉(たがしか)配下の将帥(しょうすい)である。斗羅雄は平素でも気性が荒く、たまたま彼が通りかかる道わきの田畑で働く奴婢(ぬひ)などは、その姿が見えただけで泥の中に平伏し、ただ通過するのを待った、という。
そうすることは、決して邪馬台国の定めではなかったが、彼の逆鱗に触れる事を、万が一にも避ける知恵だったらしい。

 この斗羅雄、いっそ、一種の狂人(たぶれびと)とでも云っていい。泥がはねて衣を汚した・・、とて激怒しては、奴婢のひとりを斬り殺した事がある。
 ばかりか、何気なしに挨拶した奴婢を
「奴隷めが。わしに口を聞くとは何ぞや」
 と、叫び終わらぬうちに斬り捨てた事もある。
かと思えば田畦道(あぜみち)で、飢えて泣く奴婢の赤子(あかご)を不意に抱き上げては、鼻水などをぬぐってやり・・
「高い、高い。なんであれ、赤子は国の宝よの」
 などとあやしてから、焼いた芋をくれてやったりもした、というのだった。斗羅雄、おそらくは気鬱【きうつ=ヒステリー】の者であったか、と想われる。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:42 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年09月25日

昔の人々の知恵は、何であれ素晴らしく大切なものだ、と僕は思っています。迷信と云われる事なども、けっこう味わい深いなあ・・、などと感心させられます。

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愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 どうであれ都祢那賀(つねなが)は、その生まれつきが、よほど凝る性質(たち)なのであろう。
 服装から食物にいたるまでを、遠海(えんかい)ら猟師と同じである事を望み、殊里(しゅり)達にも強要した。
「肉を食う」
 と云い、ついには獲物の解体法まで習っている。
ただし、子供だけに理由は単純であったらしい。いや、あるいは、かつて祖父や父親に疎まれた記憶が胸中にてついには発酵し、その悪酔いが云わしめたものであろうか。
「遠海達を見よ。身体が大きく、いかにも強そうだ」
 と、大真面目で云うのだった。
幼いながらも都祢那賀なりに、ただただ強くなりたい、と願っていただけのものかも知れない。

 しかし、いずれにせよ時代の伝統や慣習を平然と廃する気魂こそが新たな文化を産み出す、とも云えはしまいか。その善し悪しの是非などは、後世の雑言にまかせておけばよかろう。
「山で草履はだめだ。皮筒(くつ)の方が動きやすい」
「冬には毛皮衣が温いものだ。雨も通さぬ」
 ついには・・
「うぬらも馬を習え」
 と、百姓家の子供らにも云いつけたばかりか・・
「弓矢などは、その作り方も覚えておけ」
 とまで命じた。

 また、遠海の話を聞いて飽きない。遠海は祖先から口伝された、いわば狩猟族の秘事をも明かして都祢那賀に教え込んだ、という。狩猟には最も大切であろう天候の予知法である。
 いちいち
「若様」
 と呼びかけ
「見なされや」
 と、都祢那賀の目と耳に語りかけている。
「蚊が高みを群がり飛んでおる」
「うん」
「あれは、近く雨降る兆(きざし)ですのや」
「ほう」
「雨の兆、と云えば他にもありますのでや」
 遠海は、まだ都ぶりの言葉には慣れていないが、懸命に改めようともしているらしい。
「川の魚が盛んに水面を飛び跳ねる、やら、地を這う蟻の列が忙しげなのを見かければ雨近し、と思いなされや」
「うむ」
「蜻蛉(かげろう)や羽蟻などが仰山(ぎょうさん)に出てな、上下に乱れ飛ぶ時には雨といっしょに風もふく。また、雨の降る中で蜘蛛(くも)が新たに巣をかけるのを見たら近く晴れて、しかも当分の間は暴風などもありませんわい」
 などと四季に映ろふ天然の内に、じっくりと時をかけて教授した。
 その口伝には地震や大水【洪水】とか暴風雨、山津波や大雪などを察知する法もあった。
「もうないのか。もっと教えよ」
「蛇の山登りは下里など低地が水に呑まれる兆ですど。いずれにせよ動物や草木は異変にさとい。天然は決して嘘をつかんもんじゃでござる」

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 07:28 | Comment(2) | 邪馬台国物語

2009年09月24日

PC98シリーズとかいって、むかし買い集めたゲームソフトがたくさん出てきました。パソコンが進化するのはいいけど、こうしたゲームくらいは使える機能もオマケして欲しい・・、ふと想ってしまいました。ほんと、もったいない・・。

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愛媛国縁起


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『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 ともあれ、狩猟(かりくら)を始めた都祢那賀(つねなが)自身も変わったが、彼を見る周囲の目が変化してきたのも、この頃からであった。いよいよ都祢那賀の天性、もしくは本性が光芒を放ち始めたのである。
「猿松(さるまつ=腕白小僧=わんぱくこぞう)様」
 と呼ばわれ出した。あるいは・・
「おおかみ様」
 とも呼ばわれ、または・・
「狩猟様」
 とも呼ばわれた。

 とうの都祢那賀は、思い切った喧嘩よりも、四季を問わずの狩猟に、それこそ没頭し始めたのである。
「子供戦よりも面白い」
 と、上機嫌で云った。
「殊里(しゅり)よ、いっそ皆を連れてゆくぞ」
 とも云い、彼の手下同然になった近在の子供達の内から、主だった者を率いて山に入るようになったものである。
 働き手をとられた大人達からは苦情も多数聞こえたが、とうの都祢那賀は涼しい顔である。

 覇津華雅(はつかが)や宵襠(よいまち)は、近在百姓衆らの対応に追われつつも、都祢那賀はじめ子供らの好きにまかせおり、何より嘉汰耶(かたや)と汰雅志嘉(たがしか)などは大きに喜んだ・・、という。
「これはどうじゃ。あの泣虫のしょうたれ【意気地なし】が手下を引き連れて狩猟とは」
「さすが天下の名将とうたわれた覇津華雅じゃ。ようもここまでに育ててくれた」

 もっとも、一説には、多妻である汰雅志嘉の最も寵愛するのが撫子(なでしこ)であり、彼女が産んだ都祢那賀を、もとより可愛く思わぬはずもない、ともいうのだが如何・・。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 06:05 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年09月23日

歌は世につれ、世は歌につれ・・、というのは、なるほど、あらためて名言だと思います。歴史というものを眺めていると、ざっと時代というものと人の営みが、まこと愛くるしく想えては有り難い、有り難い。合掌

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愛媛国縁起


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『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 そこで・・・
「ならば、都祢那賀(つねなが)という名を御存じか」
 と、吾は、恐る恐るも尋ねてみた。
「・・・こっちへ来いや。いっぺん、拝ましたろやないけ」
 誰もさからわないあたり、この先達してくれる御老人は、どうやら、やはり村の長老らしい。

 やがて吾が案内されたのは、村はずれの杉巨木の下に在る、石積みの祠(ほこら)の前であった。
「こん中を、よう見てみいや」
 無愛想に促され、吾が祠をのぞき込むと、唐様(からよう)の甲冑を纏って憤怒相(ふんぬそう)の木像が一体、奉られてある。
 これこそが遠海守大権現である・・、というのだった。

「その足元に、踏みつけられとる天邪鬼(あまのじゃく)が一匹おるやろ」
「あぁ」
 確かに、そのたくましい脚の下には、小鬼らしきものが踏みしかれては、小憎らしくも苦悶の表情していた。
「そいつが、拗祢那賀(すねなが)っちゅう名の子鬼やがな」
「へぇぇ、すねなが・・すねなが・・・となあ」
 四百有余年という時の流れが、名ばかりか、ついに主従関係をも逆転させてしまったらしいのである。
 どうやら、こうしたあたりが、いわゆる歴史の機微であり、あるいは郷土史というものの面白味でもあろうか。

 さても現存の頃の都祢那賀、なるほど、彼を観る目線すなわち立場が異なれば確かに、途方もないほどに偉くもあり、また天邪鬼のようでもある。云わでもながら、こうしたあたりは都祢那賀にかぎらず、およそ人間ならではの妙味とも想うべきであろう。たとえば長所と短所は一つものであり、かつ個々には本音と建前も胸中に秘めていようし、時と場所によっては人間としての善悪さえも左右するほどの所以ともなる・・、まこと身勝手なるものではある。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 04:03 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年09月22日

秋祭り・・、神事であります古式ゆかしい大祭を、どこかの商店街やスーパーの大感謝祭と間違えてしまって、はや十数年。滅びゆく古き良き日本を観るような哀しみが染みついてしまう前に、鎮守さまに謝るべきだ・・、と僕は想います。

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愛媛国縁起


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『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 このくだりを書き綴るにさいしては、吾【あ=乃麻埜=のおの】は、どうしても現地の空気が吸いとうてたまらず、かつて蛙毘寄(あびき)や遠海(えんかい)達が暮らしたであろう・・、と想われる山岳村を訪ね歩いてみた。
 もう廃虚と化し、あるいは昔ながらの穴ぐらで寝起きし、また、あるいは斜面を削って段々の狭い平地として、そこに苫屋(とまや)を建て、狭歪(きょうわい)なる田畑を耕しつつ暮らす人々と出逢った。

「ここは、はるか昔から在る村でしょうや」
 などと問うたが、初めは余所(よそ)者を警戒してか、誰ひとりとて応えてはくれなかったものである。はたして、彼らが、遠海らの子孫なのであろうか・・。
 そこを何とか案内人(あないびと)が取り持ってくれながら、点在する村々を問い歩くうちには、いかにも頑(かたく)ななる山岳村人らも、やっと重たい口をほぐしてくれ始め、ぽつりぽつり、と話にのってくれ始めたものである。

「この山には昔、遠海なる人がおりませなんだか。遠い海という意味名にござりまする」
 吾は思い切って問うてみた。途端に、それまで笑ったりしていた山民達の表情が、にわかにこわばった。
吾は驚き・・
「どうされたのか。何か気にさわったのかな」
 と、案内に問うた。
この問いに答えてくれたのは、まだ年端もいかぬ村の子供であった。
「それは、偉い神さんの御名や」
 と云うのであるから、吾はますます魂消(たまげ)てしまった。
「神様・・ですか」
「そうや」
 と云うたのは、いかにも長老らしき風格の御老人である。
「遠海守大権現(とおうみのかみだいごんげん)様やがな」
「・・・何と」
 遠海は、いつの間にやら大権現なる神様として、恭しくもかしこく奉られているらしい。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 06:05 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2009年09月21日

昭和という時代を想う折りの眩しさは、自分が産まれ育ったから・・、という懐古だけではありません。きっと後世史家諸氏にとっても、極めて目映い時間でしょう。それが、ロウソクが燃え尽きる直前の一穂でないことを祈念しおります。

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愛媛国縁起


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『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 そこから見おろすなだらかな傾斜の草原には、悠々と草を食む羚羊(かもしか)の大群がいた。
 馬上の都祢那賀(つねなが)と並んで座った主狼が、いかにも堂々と胸を張り、高らかに遠吠えた途端、羚羊の大群が、にわかにあわただしく身構えるのが、都祢那賀達にもよく分かるのであった。

「お父、魂消(たまげ)るなや。おおかみ様はのう、おおかみ様の狩猟(かりくら)の術(すべ)をやでぇ、若子(わこ)様に見せたのどぅ」
 真顔の遠海(えんかい)が、いかにも重々しく云うたとき・・、ええっ、という顔を、蛙毘寄(あびき)でさえ、した。他の村人達も、やはり同様であった。
「その後じゃ。わしの耳奥にのぅ、そりゃあ、はっきりと主様の声が聞こえたんやがな」
「ぬっ・・主様は、われに何ちゅうたんや」
「わしが何のために現世に生まれたか、その理(ことわり)じゃわい」
 若子様に従いてのぅ、生命を賭して守り通す・・、ただそのためにこそ生まれ出たっちゅう。
「じゃけん、わしゃ、もう猟師を捨てた。この村の後継ぎも、お父が決め直してくれや」

 はてさて、この話のどこまでが夢で、どこまでが現(うつつ)であるのかは、ついに解らない。
 が、しかし、この日を境に遠海が別人のごとくに成り代わり、都祢那賀に接し始めたのは事実である。また、これとまったく同様の話を、後日には覇津華雅(はつかが)が嘉汰耶(かたや)達にも語り、さらには明日香野の都にとどまらず、畿内全域の邪馬台国中に云い広めたあたり、始終がまったくの作り話とも想いがたいものではある。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 05:55 | Comment(0) | 邪馬台国物語