2010年01月31日

今日は、尾道に行ってきます。美味しい、という評判の、尾道ラーメンってえやつを食べてみたいと思ってます。

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

【邪馬台国の兵制にいう〈師〉という呼称は、大陸に在った大国である魏(ぎ)に学んだものらしい。
vただし、その規模が桁外れに違う。魏国の軍制では兵士五〇〇人で〈旅〉とし、旅の五倍、つまりは二五〇〇人をして〈師〉となっていた。魏国は、さらに古代の周国に倣っている。
邪馬台国よりも後世、大和朝廷の律令制による軍では一〇〇人で旅と成し、旅帥が統率する事に定まっている。さらに後世、将帥すなわち将軍、あるいは大将と同格になった。】

 途中、ちょうど蛙久蛇(あくた)との国境辺りの右方(西方)はるか、名も知らぬ低山の向こうに白煙が盛んに立ち昇っているのを認めた都祢那賀(つねなが)は、やや馬脚をゆるめた。
やっと馬を並べた遠海(えんかい)が
「何事やある」
 と問い、都祢那賀は
「刻限に追いついたのよ」
 と破顔(わら)った。
怪訝顔(けげんがお)の遠海を見やり
「相変わらず、うぬは鈍いのう。神之戸軍と同じだ」
 と嬉々として叫ぶや都祢那賀は、一鞭くれて馬脚を速め、さらに下流へと駆けてゆく。
「急げ。危機を好機に変えるには、まっと【もっと】急がねばならぬわ」
「教えてつかぁや、都祢那賀様」
「あの白煙、神之戸軍の昼餉と見た。戦勝の機会がな、煙とともに消えてゆくのも知らず、さぞや阿呆面して食ろうておろう。それがおかしい」

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート


posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 01:57 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2010年01月30日

昨日は、近隣に点在する城跡あるいは城山を巡ってきました。どれもが、展望の素晴らしいところで、なるほど、その昔に城あるいは砦などを普請するにふさわしい地ノ利だなあ、などと感嘆しつつ巡らせてもらいました。合掌

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

「爺様(はつかが)が危うい。神之戸が出陣てくれば、ついには万事休すぞ」
 甲高く叫ぶや藁束を鎧懐にねじ込み、遠海(えんかい)達があっと云う間もなく馬に飛びつくようにして、乗り上がる前に下流めがけて駆け出した。横乗りにしがみつき、よじ上って鞭をくれ、蛇武芭(たむば)国領細道を海の方へと急行してゆくではないか。
 遠海も懸命に
「続け、続けや」
 と叫び上げ、それでもさほど混乱せずに三千の兵馬が引き返しているのは、日頃よりの軍事調練の賜物でもあったか。
引き離されず、追いつけもぜずに土塵を巻き上げて駆けている。

《いかなる火急にも陣列を乱すな。己一人で敵を圧し返すほどの気迫を保て戦にのぞめ》

 都祢那賀(つねなが)は敵大軍を壊乱させる得意であったが、それだけに自軍が壊乱に陥る事を最もおそれた、という。そのため日頃から、前述のような訓戒をたれては兵士を調練したものであった。

 補佐する覇津華雅(はつかが)も、兵をまとめるのは卓越の上に慣れている。まずは軍の最小単位を、五人組として、それをまとめる兵長を一人置く。さらに兵長を五人まとめた上に一人の師長を置き、師長を四人束ねて一個小師団ができるのである。その小師団長を五人率いる者が中師団長となり、その中師団長二人を側近として幕僚となす者が大師団長、すなわち将帥であった。
 その将帥を、存分自在に統帥する者を将星、もしくは将軍と呼ぶものである。

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート




posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 02:02 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2010年01月29日

いや、まったく縁というのは大変に摩訶不思議、したがって有り難いものです。どうやら近々のうちに、なんと銀座一流の店のママさんとお会いできそうな運びなんです。先んじて写真など拝見しましたが、まるで女優さんみたいな別嬪さんです。合掌

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 ここは他国にて、この辺りの地理、都祢那賀(つねなが)には不案内である。この若者は、闇雲【やみくも=前後の思慮なく、むやみやたら】に兵馬を動かす事をせず、臨戦態勢のまま河原で夜を明かした。
 早朝新鮮の陽光を背に浴びつつ進軍を始めた都祢那賀は、すぐに異変を嗅ぎとっている。河原に隣接した雑木林の境付近で平服の、一人の男が事切れていたのである。
その遺骸の周囲に散らばった物が藁に包まれた納豆であったのは、どうやら納豆売りの行商人らしい。
 何を思ったか都祢那賀、ふと馬を止め、ひらり、飛び降りては、散らかった荷を拾い上げた。
「これは邪馬台の男だ」
「えっ」
 この若き大将軍の言い切りが、遠海(えんかい)らには解せないのであろう。
「藁(わら)を縛った結び目が、これは邪馬台結びだ。巫女結びともいう結わえ方で、貿易する荷を区別するための目印ともなる。教わった者でなければ結べぬ術ぞ」
 と、珍しく長口調で云いながら、都祢那賀は死体を足蹴にして仰向けにし、その衣の懐を探っている。

 内から掴み出したのは金袋などでなく、やはり一束の藁納豆であった。それを見つめた都祢那賀の血相が、これは見る間に変わりて蒼白になってゆく。藁束を持つ手が、かすかに震えていたのは、いったい、どうしたわけであったのか。

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート


posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 00:16 | Comment(1) | 邪馬台国物語

2010年01月28日

地元の、ある武将の家系図を調べては、できるだけ正確に仕上げてゆこうとしています。が、なかなか厄介なものでして、うまくつなげてゆけるかどうか・・。しかし、まこと有り難い縁結びの仕事です。合掌

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 ともあれ、大軍は動いた。すでに追撃戦は始まっているのである。後をまかされた覇津華雅(はつかが)の手並みは、さすがであった。彼は殊里(しゅり)に命じて、騎馬にて渡河できそうな場所を見当し、手勢四千の内から千頭余の馬に重石を載せている。

 殊里の見つけたのは河口からやや遡って河幅の狭まった場所で、浸かれば馬の腹が洗われるほどの緩瀬【なるいせ=流れが緩く、川底が石の少ない砂地】であった。
 そこに、まず重石を載せた馬を入れて並ばせて暫時の堰(せき)とし、やがて浅瀬になったところを好機とみて一斉に駆け渡る、という思案である。こうして、蛙久蛇(あくた)軍が船で渡った大河を一気に騎馬で、しかも四千の大軍を落伍者もなく対岸に押し上げてしまったのである。

 その頃、はるか上流に至った都祢那賀(つねなが)も鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)と、夜半の川を渡って、こちらは蛇武芭(たむば)国領内へと侵攻している。見上げれば、月に淡雲のかかりて、星々がさんざめくような初夏の夜空であった、という。

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 00:17 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2010年01月27日

来月の三日は、石鎚山真言宗総本山極楽寺にて節分大祭が厳修されます。一年ごとに移ろう運気が変わる節目だそうです。より良い一年を過ごすためにも、一緒に参拝しませんか?!合掌

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 都祢那賀(つねなが)軍の兵士は、いわゆる世襲の正規兵ではなく、奴【ぬ=奴隷】が転じて従軍している。また、農民の次男や三男なども志願すれば採用された、というのである。
 新規の甲冑は、まだ量産が間に合っておらず、多くの兵士は戦場で拾った挂甲【かけよろい=鉄の小札(こさね)を革紐でつづり合わせ、肩掛けのように着込む鎧】を纏い、中には、それすら手に出来ず、穴あき鍋を冑よろしく被っている者もいて、そんな乞食(こつじき)まがいの異様さが、むしろそのまま凄みに変わっているのだった。
 その足元は、と見れば、将校階級以上は革長靴【葛城猟師の靴を真似た軍靴】だが、兵士達は草鞋(わらじ)や突っかけ草履(ぞうり)をはき、裸足の者も多くいる、というほどのすさまじさである。

 ただし、これは都祢那賀の気にいらぬ。
この若者は、当時としては希有といっていいほどに雅(みやび)た魂を宿していたらしい。例えば、冬の本陣に仕切る囲炉裏に活ける薪は
「吉野桜のそれでなくてはならぬ」
 と云い、埋(い)ける灰も吉野桜樹の燃尽(もえつくし)であった、という。
「これを囲んで酒宴するは花見心地にて、これで暖をとりつつ、うたた寝などしたならば、夢の中じゃあ吉野の桜花も盛りぞ」
 などと、たいそう上機嫌で盃をすすめた、ともいうのである。
「甲冑は、全軍に整えねばならぬ。将帥(しょうすい)ともなれば、それは豪奢に仕上げよ。老舗を誇る国の土民どもが、すわ天兵か、と見まごうほどの軍装に仕立て上げるが肝要ぞ」

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 00:21 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2010年01月26日

書くにあたって、まこと現地取材は大切な一つだと、僕は思っています。取材などと云えば大袈裟にしても、ただ現地に身をおいてみるだけで重要な何かしらを感じる・・、そんな気がします。ああ、有り難い。合掌

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 この若者は、騎馬軍特有の機動性を活かし切り、戦場を思うままに拡大しているらしい。つまりは敵の意表をついて現出し、疾風迅雷のごとき攻撃を仕掛けるのだった。
「今宵夜半、一気に渡河する。覇津華雅(はつかが)、殊里(しゅり)、後の手筈は任せたぞ」
 下知し終えるや馬に飛び乗り、あざやかに馬頭をひるがえして、もう上流目指して駆け出している。都祢那賀の進軍の常であった。単騎で駆け出す彼の背を、諸将率いる軍勢が慌てて追うのである。

「では後ほど」
 馬上で会釈した遠海(えんかい)が三千の兵馬をあずかっており、都大軍四千を覇津華雅と殊里がまとめていた、とある。
 また、この陣における都祢那賀(つねなが)の甲冑(かっちゅう)は、青竹を細工して鹿皮を裏張し、表には大猪の皮を膠【にかわ=獣の骨皮を煮詰めた物】で二枚張り重ねて仕上げた渋物(しぶもの)で、銘を〈風呂猪=ふろのいのしし〉という。
 泥濘(でいねい)に浸かりて壁蝨(だに)を取り、そのまま乾かした毛に松脂を擦り付け、堅い皮に仕立てて身を守る、という猪の習性を真似た逸品であり、鉄甲冑に比して軽く、しかも矢槍を通さぬ堅固さもあった、とある。
 いかにも猟師の思いつきそうな物であり、実はこの頃、葛城山中の猟師村は、そのまま都祢那賀の軍備庫と云っていい。弓矢・槍など武具の他に、甲冑も工夫しており、女子供も獣肉の塩漬などの兵糧までを仕込んでいるのだった。

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート
posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 00:13 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2010年01月25日

昨日は、見事な冬晴れでした。高峠の頂にて弁当を使い、霊峰石鎚を遙拝し、暫し座禅なども真似てみました。まこと、最高でした。合掌

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

【ちなみに農耕技術などは、こうして広まっていったものであり、異文化の普及も同じ事である。倭国大乱、この一大破壊期の、まさに同時期に飛躍的発展も成されていった。】

 列島に割拠する群雄どもは、百年余という時を経てなお鎮まらぬ戦乱の内に、じっくりと、かつ徐々に勢力を増し蓄えてきたのであり、かつて筑紫より攻め上ってきた神武(かみたけ)でさえも、畿内にたどり着くまでに十年余を費やしていたではないか。

 ところが、馬という機動力に重きを置いた邪馬台国軍だけは違った。その騎馬軍団の中で育った都祢那賀(つねなが)は
「戦とはな、己と時との、せめぎ合いぞ」
 と云うのである。事実、名将の誉を欲しいままにする覇津華雅 (はつかが)をして
「若様の差引【さしひき=軍の進退、采配】、無常迅速」
 と感嘆せしめているほどであった。

【後世、無常迅速とは、人の世の移り変わりが極めて早い、歳月人を待たず、などの意味に使われるようになったが、どうやら語源はこの故事によるものらしい。】

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート





posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 00:06 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2010年01月24日

本日も日中が晴天であれば、高峠の頂まで登ってみようと思います。絶景を脳裏に焼き付けては、いっそう想像を膨らませたいと思うばかりです。

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 殊里(しゅり)と遠海(えんかい)はじめ、居並ぶ諸将達は云われた通りにしたが、覇津華雅(はつかが)は苦り切っている。
 すると都祢那賀(つねなが)は細薪を取って、地面に線を引き
「これが眼前の大河」
 と云い、その横に落花生を一つ置いた。その横に折り割った半分を並べ置くと、幕僚達を見回した。
「殻に同盟と砦を擬えたなら、中の豆が蛙久蛇(あくた)と蛇武芭(たむば)の二国。神之戸(かみのと)は折り割った一粒にて、背後に控えておるばかりだ」
「あっ」
 思わず覇津華雅は驚きの声を発した、とある。
「この下天にてはな」
 都祢那賀は上機嫌で云い
「ひとたび形を整えたが限りっ」
 と、にわかに叫び
「潰せぬもののあるべきかっ」
 と、ついに怒号して細薪を振り上げ、それを一気に振り下ろして、落花生をたたき砕いてしまったのである。
「これが戦ぞっ」
 と鋭い眼を据え
「どうであれっ、戦で福は食らえぬわっ」
 とも云った。
「後詰(ごづめ)を出させぬためには、二国を同時に攻めればよいっ。背後の第三国が気付く頃には、すでに二国が炎と灰に変わり果てておればよいのだっ。炎は下から上に這い走るものぞっ、砦など丘ごと焼きあげてくれるっ。爺様と殊里は蛙久蛇攻めっ。遠海っ」
「へへえっ」
 遠海は、その巨躯を縮こめるようにして緊張している。
「俺とともに上流へ移動し、狭い浅瀬を一斉に騎馬渡河しては、一気に蛇武芭を陥落すっ」
「ははあっ」

 当時の戦は、まったく気の長い一大事であった。一つの国を攻め潰すのに半年や一年を見込むのが普通で、迫る寄手は国境付近で田畑を耕して居座り、攻める機会をうかがうのである。

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート



posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 00:23 | Comment(0) | 邪馬台国物語

2010年01月23日

昨日は、まったく清清しい冬晴れに誘われるまま、高峠城の本丸跡地まで登ってきました。まさに絶景、山頂に吹きすさぶ強風も苦にならないほどの絶景でした。合掌

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

「爺様は好みませぬのか」
「若様」、
「この殻を見なされ、見事な物だ」
「・・・若様よ」
「瓢箪のようにくびれた一つの殻の中には、二つの豆が入っておりましてな」
「左様な事は存じておりまするわい」
 とうとう覇津華雅(はつかが)はむくれ、ぐいっ、と盃を干した。
「その豆を壊さずに殻を割るのが」
 と云いながら、都祢那賀(つねなが)は酒壷を傾け、覇津華雅の盃に注いでいる。
「幼い頃にはできませなんだ。乳母様が教えてくれる、その細い指先の白さを、俺はよう覚えている」
 などと、都祢那賀はどこまでも屈託がないのである。
「若様、今は戦場じゃで。豆の話なんぞは後にしなされ」
 これには覇津華雅、もう情けなげに云うばかり・・。
「きゃっ」
 何が嬉しいのか、都祢那賀は甲高く笑い、指先で殻を圧したりするのである。乾いた音が微かにして殻は真っ二つに割れ、くびれた器に薄茶皮の豆が二つ並んでいた。
「この殻の、どこを圧してもよい、というのではありませぬ。こちら側は、つるり、として尻、こちら側が少し尖って頭。この頭の、内に丸まり込んだ所を真っ向から断ち割るつもりで圧せば・・」
 と云いつつ都祢那賀は、じっさいに圧してみせている。
「ほら、きれいに割れまする。また、こうして割っても豆は潰れぬ」
 さらに、くびれた部分を折るように割って見せ、あいた小穴から中を覗き、からから、と振って鳴らしたりもした。
「これを大陸では落花生と呼ばわり、文字で書いたならば、落ちて生まれる花、という意らしい。二つの豆には男女を擬えて、それを包む一つの殻に和合を願うものにて、貴重にして縁起のよい福豆とされる。ほれ、爺様も食うてみなされ。殊里(しゅり)も好きであろう。遠海(えんかい)、うぬにもくれてやる。自分で割って食ってみよ」

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート



posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 00:13 | Comment(4) | 邪馬台国物語

2010年01月22日

僕は、殻付きの落花生も大好物なんです。これは、やはり千葉県産のものが一番なのでしょうか?!とても美味しく、しかも、某近隣大国産のものとは大きに違って、健康にも安全ですよね。食べてるものが、産地偽装でないことを祈念しおります。合掌

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

愛媛国縁起


おもしろきことも無き世をおもしろく・・


『愛媛国縁起』
【乃麻埜(のおの) 『媛国攻陣始末記』を物語りて・・・】

 この三国同盟、確かに古い。いわゆる倭国大乱の最初期に交わりを結び、どれもが一度も裏を切らずに、今では血肉を分け合っていると云っていいほどに深い絆と成っていた。

 都祢那賀(つねなが)は、無謀を力説する覇津華雅(はつかが)の眼を見つめたまま、しかし、手と口を動かす事を止めない。
この若者が食らい続けているのは、焼けた肉ではなく豆であった。落花生(らっかせい)という豆で、何より都祢那賀の大好物の一つなのである。
 いつも、腰袋に入れて持っている。それを取り出しては指先で殻を割り、中の豆の茶色い薄皮を剥いては口に放り込んで、忙しなく顎を働かせては噛み砕いているのだった。

「若様、吾の話をこそ噛み砕いて食うて下されや」
 覇津華雅は平素から諧謔【かいぎゃく=しゃれ=洒落】の達者であり、ただし、この時ばかりは情けなげな顔で云ったものである。
「うまいものだ」
 都祢那賀は屈託なく云い、また剥いて食らった。
覇津華雅の話が上手いのか、落花生が旨いのか、それとも、諧謔が巧い、のか・・。
「翁様は貿易に執心した、と聞く」
 また、都祢那賀の癖が出た。唐突に云い、しかも言ノ葉を区切って酒を飲み、そして
「大陸より兵法や武具や武器などを仕入れたものだ、とも聞いたが、俺にはな」
 と、今度は殻を割って豆を取り出し
「この豆こそが嬉しかったぞ」
「はあ」
 覇津華雅などは、がっくり、肩をおとし、ますます情けない声を出している。

ninki-blog-ranking-imgにほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へビジネスブログランキング
↑ブログランキングに参加しています。3つともクリックしていただけると元気100倍です揺れるハート

posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 00:20 | Comment(0) | 邪馬台国物語