2008年11月30日

『古事記』などで土蜘蛛などと呼ばわれた人々の祖先なの?!遠海たちって・・?!さあ、これを読んでれば、そのうち分かるさ!!

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愛媛国縁起

遠海(えんかい)
        三
 その夜は、夜露くらいはしのげましょうぞ・・、とて洞穴を一つあてがわれた。三人だけで過ごせるのは、蛙毘寄(あびき)の好意である。その穴の住人達は、蛙毘寄達の穴に移って寝るのである。洞穴の入口は地面より二尺ばかり高く、頭からもぐり込むようにして入らねばならない。
 中は覇津華雅(はつかが)が暮らす苫屋(とまや)ほどの広さで、中央あたりに丸く炉(ろ)を切ってあり天井は低い。
入口の上、天井近くに二つ掘ってある穴は、煙を抜くためのものであった。
「まだ初秋とはいうても、山の夜は冷えるでよ」
 そう云いつつ新しい干草を運び込んでくれたのは、熊蜂に刺されたほどに顔を腫らした遠海である。
干草を手際よく広げ、熊毛皮をかぶせれば寝具であった。
さらに上掛けの毛皮を押し込み、その後は、入口から薪を二束ばかり押し込んでいる。
「寝る前の火起こしはやめいや。寝とる間にいぶされたら、かなわんやろが」
 と遠海、穴の外に突っ立ったままで、いかにも無愛想に云った。
「遠海。まあ入ってこい、四年ぶりじゃ。一杯なりと酌み交わそうぞ」
 遠海、酒には目がないものと見える。すぐに、ごそごそと入ってきた。
「痛むか」
 と、覇津華雅は気遣い・・
「歯は折れとらんでよ」
 と、遠海は無理に笑みを浮かべた。

 こんな時にも、無邪気に残酷なのは子供であろう。
「ますます泥人形のようだな」
 などと、都祢那賀(つねなが)は上機嫌なのである。
「われらぁ、ええ気になるなや。わしゃあ、覇津華雅様を立てとるだけやど」
 覇津華雅と遠海は思い出話の間に間に、明日よりの狩猟の段取りなどを打ち合わせながら盃を重ねた。
 殊里(しゅり)は、二人のかたわらで胡座(あぐら)をかいてはいるが、手をきちんと両膝の上に置いて背筋をのばし、時おり火の加減を見ているのである・・。

 さても都祢那賀、こっちはもとより行儀が悪い。
熊毛皮の寝具がすっかり気に入ったらしく、そこに、ごろり、と寝そべって、片肘ついて頭をのせ、片手で好物の炒豆(いりまめ)を口に放り込んでは、かりかり、と勢いよく噛み砕いている。
「やかましいやっちゃのう、われぇ」
 遠海は炒豆を噛み砕く音が耳障りなのか、はたまた 都祢那賀の、いかにも横着そうな態度が目障りなものか、どちらにせよ、よほど気にくわないらしい。
 いくら睨まれても都祢那賀は涼しい顔で、炒豆を噛み砕く拍子を乱さない。どころか時々、わざとらしく大あくびなどしては・・「似合わぬやつだな」
 と云うのだった。身体のわりに神経が細い・・、と云い続けているのである。

 やがて遠海も、どうせ子供じゃ・・、とでも思ったのであろう。
「ちっ」
 と舌を鳴らし
「これが猟師ちゅうもんじゃい」
 と云うのである。猟師とは、捕った動物をさばいたり、ただの肉塊と化した獲物を担ぐためにも強靭な身体が必要であり、その狙う獲物により近づくためには足元の小枝一本にさえ細心の神経を使わねばならない、とも云った。
 が、都祢那賀には分かろうはずもない。
「まあ、若様。まずは狩猟(かりくら)に出てみれば、百編(ひゃっぺん)聞くより、一目で解しましょうぞ」

 翌日早朝、三人が一夜を過ごした洞穴の前は、たいそうな人だかりで姦(かしま)しい。
「邪馬台国なる国の若子様を一目なりと見よや」
 とて、近在の村々からも押し寄せてきたのである。
これは早朝から、ちょっとした大猟祭のような賑やかさであったろう。
「ほれ、あれやで。あの一番ちっちゃいの、あれが、つ・・つね・・」
「都祢那賀様やがな」
「へえ、その横の、一まわり大きい子供とちゃうんかい」
「おお、あんな【あいつ】も、えらいしゃんとした面してるがな」
「いや、あのこんまい【小さい】のが馬に乗ってな、惣領はんを叩きのめしたらしでぇ」
「やかましい。見世物ではないわ」
 洞穴の奥から都祢那賀の、甲高い大声が響いた。
「おお、ものを云うたで」
「小猿みたいな声やのう」
 それにつられて、どっと沸いた。皆、よけいに喜んでいるのだった。これには覇津華雅、さすがに業肚(ごうはら)だったらしい。
のっそりと穴からはい出し・・
「今しがた、若様を小猿なんぞと呼ばわった阿呆(あほう)はどいつじゃ。前に出いや、雑言できぬよう顎を砕いてやる」
 と、その眼を剥いて大喝している。
これには皆閉口し、やっと山の朝の静寂が戻った。

 ただし、もともと山奥の在所者どもである。
長老の差配によって村の女達が猪の臓汁と山芋で整えた朝餉を、都祢那賀を東方に座らせて、覇津華雅と殊里が南方に並んで座し、談笑の内に喫している間中、周りを取り囲むようにして見物していた。ちなみに、東方、南方、ともに神座場の方位なのである。
「いかがでござります、若様。臓汁などは、生来の初物でござりましょう」
 邪馬台国にて高貴な者達は、菜食であった。
これは、どうやら、卑弥呼(ひみこ)の影響によるものらしい。
殊里は境遇に恵まれたためか、はたまた貧しかったゆえか、幼い頃より菜物しか口にしていない。臓汁が、よほど臭かったのであろう。今にも泣きそうな顔つきで息をつめ、必死の思いで飲み下そうとしていたが、都祢那賀は上機嫌で・・
「うまい」
 と云い、さも嬉しげに、二椀も食った・・。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 09:30 | Comment(0) | 連載長編小説 当ブログ用
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