2008年11月11日

仏教童話を古い西条の方言で・・・

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わが町 西条の古い方言で、思いついた時に書く仏教童話です。


猿の恩返し                                                       
「ほんまの物語ぞよ」
 とは云うたもんの、こりゃあ、いつ頃のできごとだったんだろぞ。
極楽寺からは、まだ三里ほども山奥へ入ったとこにのもし、よいよに腕の達者な猟師さんがおったそうなわね。

 狸が出たならドンと撃ち、猪出たならドンと撃ち、大けな熊が出たならドンと撃ちしもて、夜には狼を避けて高い木の上に寝てのもし、夜が明けて狐が見えたらドンと撃ち、鹿を見たならドンと撃ち、雉や山鳩ドンと撃ちして、仰山(ぎょうさん)に稼ぎよったんじゃと。
ちゃあんと名前も伝わっとる、亀弥(かめや)ちゅう、長生きしそうな、ええ名よの。

 ところがのもし、天は二物を与えず、じゃの云うように、この亀弥は不細工なこともこの上なしっちゅう男しじゃったけん、可哀想なことには、年頃を過ぎても嫁の来てがなかったんじゃちゅう。

 まあ、のぉの助ほどの男前でも、なかなか嫁が来てくれんらしいけんのもし、山奥に住んどる不細工な猟師には、それこそ結婚やかは難しかったんだろぞい。

 ほんでもまあ、石鎚大権現さんのおかげ様ぞいのもし、亀弥の両親は心身堅固で息災延命の御加護をいただいとりますけんの、独り暮らしのわびしさだけは、亀弥は知らずに過ごしよりまさい。
年寄りの両親は、裏の畑を耕しては野菜を作ってのもし、亀弥は山で獣を獲ってきて、かならず月にいっぺんは
「獲物供養(えものくよう)ですけん」
  ちゅての、極楽寺にお参りするんも忘れんちゅうんじゃけん、
ほりゃあ、ほりゃあ、たいそうに感心な若者ぞいのもし。

 さあ、秋も深まってきて石鎚山が色とりどりの錦絵みたいな紅葉に染まり出したある日のこと、亀弥は鉄砲かついで、もっと山奥の急斜面に分け入ったんよの。石鎚山が雪化粧なされる前に、両親と一緒に一冬を過ごせるぐらいの獲物を稼いどかないかんけんのもし、亀弥は一所懸命に狩りをしもて山や谷を超え、もっと大きな獲物がおるらしい山の奥へ奥へと登っていったんじゃちゅわね。石鎚山いうたら、あんたぁ、お大師さんが産まれた頃には、もう「鋸ノ峰(のこのみね)」ちゅうて日本全国にも有名な大霊山だったんじゃけんのもし、ほの嶮しゅうて高いことは西日本一じゃけんのもし、さぞかし亀弥もしんどかったろぞい。

 ほんでも達者の猟師じゃけんのもし、迷子になることやか無しに、急斜面でも転げ落ちもせんとのもし、獲物をさがして歩きまわったんじゃと。ところが、なんぼ腕のたつ猟師でも、さっぱり獲物が獲れんこともあるらしいわね。獲れんどころか、不思議なことにはのもし兎や狸の一匹も見あたらん日が続いたんじゃちゅわね。

 これには、なんぼ狩り達者の亀弥も焦らいね。ほれこそ必死で獲物を探っしょるうちに、細い獣道のわきでガサッちゅう音を聞き分けたんじゃちゅ。亀弥は鉄砲に弾を込めての、火縄に火ぃつけてのもし、構えた鉄砲の先で草木をかき分けもて音のした方へ、のしっ、と脚を踏み込んだことよ。
ほたらのぉえ、あんたぁ、一匹の猿が亀弥に向かってしゃがみ込んどったんじゃちゅわね。

 さすが達者の亀弥よの、慌てて撃ったりはせんとのもし、ように見たら猿の白い腹にゃあ子猿がしがみついて震えとる。
それを抱えた母猿は柔らかげな毛の生えた太股あたりから血を流しよらい・・、大怪我しとったんよの。尻餅をついたままの母猿は、まっすぐに亀弥を見上げてのもし、なんと健気にも両手を合わして目ぇつぶってからに、痛げな脚をひきずるようにしての、子猿をかばうつもりだろぞい、手ぇ合わしたまんま背中を向けたちゅう。
なんぼ獲物が欲しいっちゅうたての、これをドンと撃てる亀弥じゃなかったんよのもし。

亀弥は、すぐに火縄を揉み消しての、鉄砲やか放り捨てるようにして母猿に近づいていて、その丸まった震える背中を、そりゃ優しゅうに撫でてやりもての・・・
「まだ血が出よらい、手当てしたるけん、じいっとしとれや」
 ちゅて自分の着物の裾を引き裂いてのもし、懐から薬草を出してのもし、傷に当てて包帯したったんじゃちゅわね。

 ほてからの、自分が野宿するんとおんなじようにして子猿を抱えた母猿を高い木の上に上げてやってのもし、近くで木ノ実も一抱えばあも探してきてやって、怪我のところに手ぇ当ててのもし・・・
「この薬草はよう効くけんねや、すんぐに治らい。狼がおるけんねや、治るまでは、ここにおれよ」
 ちゅうて言い聞かしてから、もと来た道を引き返しもて獲物を追うたんじゃと。家に帰り着くまでには、ええことしたけんかしらん、大けな熊と猪を一頭づつを撃ち獲ってのもし、家族で一冬を越すには充分の収穫じゃったそうなわね。

 亀弥が帰った明けの晩かしらん、えらい冷え込んでのもし、みなで囲炉裏を囲んで雑炊なんぞすすりもての・・
「お山は初雪かねや」
 と話しよった時に、誰ぞ戸をたたくもんがおる。
亀弥が開けてやったら、この山奥の寒い晩に、そら綺麗な女子(おなご)しが可愛らしい幼子抱いて立てっとるがね。
亀弥は、たまげたけんど
「寒いけん、はよ入らんかね」
 ちゅて家んなかに入れたったちゅ。
亀弥の両親も
「はよ火にあたらんかい、雑炊も食わんかい」
 ちゅて囲炉裏に誘うてやったんじゃと。
 
 女子しは頭を下げもて板間に上がったけんどのもし・・・
「どっから来たんぞね」
「名は、なんちゅん」
 と、両親が聞いても幼子抱いて黙ったままでのもし、なんちゃ言わんのよの。正座しきらん女子しの、ちょっと乱れた着物の間から雪みたいに白い太股を見てしもた亀弥は、はっと気づいたんじゃ。
女子しの太股にゃあ、亀弥の着物の切れ端が巻き付いとったんよのもし。ここで【猿の浅知恵ちゅたら、このことか】じゃの思うた人は、いかんぞよ。亀弥は知らん顔してのもし、すやすやと安心して寝だした幼子の頭を撫でてやりもて
「疲れ果てとんだろけん、お父もお母も、ようけ聞くな。今晩は、はよ寝さしたったらえんじゃ」
 ちゅた。ほたらのもし、女子しは雑炊すすりもての、ぽろぽろと涙をこぼして泣いたっちゅう。
「山は怖かったろ。もう心配ないけんねや。ようけ食べな、乳も出んちゅけん、よう食べい」

 さあ、ほれから女子しは帰らんがね。くるくると家事いっさいをこなしてのもし、畑仕事もして、お父はんとお母はんと亀弥の肩は揉むわ腰は揉むわ脚は揉むわ腕は揉むわ、風呂に入ったら髪は洗うて梳くわ背中は流すわ、夜なべして繕いもんはするわ、亀弥の手伝いして毛皮は鞣すわ、そらもう身を粉にするほどに、いたれり尽くせりしたんじゃちゅわね。
けんど、その間にはのもし、ただの一言もしゃべらんかった。
幼子も、こりゃあ、ぐすっ、とも泣きもせんかったんじゃと・・。

 ほなにしもて、二十日ほども過ぎた頃だろか・・、亀弥は極楽寺に供養参りするっちゅうて家を出たんよの。
幼子を抱いて坂の途中まで見送った女子しに、亀弥は小声で・・、こう言うたちゅ。
「お父とお母が喜びよるけん今まで言えなんだが、恩返しのつもりやったら、もう仰山にええ夢見さしてもろたけん、だんだん(ありがとう、の方言)云わんならん。今晩、わしが戻って、みなで晩飯食うての、お父とお母が寝入ってから、こそっと山へ帰らんかい」

 さあ権現さんの前で拝み終えた時よの、亀弥の耳の奥に権現さんの声が響いたちゅわね・・。

「亀ぇ、あの母子猿は二十日前の夜中に、大怪我しとる脚を引きずって、わしを拝みに来てねや、おんし(お前)に恩返ししたいっちゅうて願掛けよった。猿が人に化けるんは寿命も尽きる苦労ぞよ、ちゅうても、かまいません・・、ちゅう。母子猿め、ついに変化(へんげ)を解かずにおったけん、ついに今日が懸命満願の命日じゃ」
「ほなな可哀想なこと・・」
「心配すな。猿としての寿命は尽きたけんど、正真正銘の人に生まれ変わらしたったわい。どうじゃい、亀よ、おんしも一生懸命して添い遂げちゃらんかや」
「へへえっ。ほんまに有り難い、有り難いですけん」

 亀弥が家に着くと、そりゃあ、可愛(かい)らしい女子しがの、
おぎゃあ、おぎゃあ、と元気に泣く幼子を抱いて、あやしもてのもし・・
「あんたぁ、お帰りなさい」
 と、そらもう、満面の笑顔で迎えたっちゅ。

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posted by 歴史小説家 菅靖匡 at 18:09 | Comment(0) | 仏教童話 当ブログ用